第七十六夜 ネカフェの音

 森元が世見町のとあるインターネットカフェに入った時の話だ。

 ネカフェも最近ではずいぶん発展して、結構綺麗なところが次々と出てきている。ところが森元が入ったのはずいぶんと古臭くて汚くて、世見町という場所を考えてもさすがにこれはないと思うようなところだった。


 まず入った瞬間から店員のやる気が無い。

 店員のやる気が無いのはまあいいが、客も驚くほどいない。こういうところというのは昼間から誰かしら暇な人種がいるはずだが、そういう人間もいない。一人だけいる客は顔の良い男で、あきらかに浮いていた。むしろその一人がどうして来たのかもわからないというありさま。趣味だろうか。

 こりゃあ入る店を間違えたなと思う。しかしその当の「新しくて綺麗でゆったりできる」新築のネカフェが見つからず、他に暇を潰せるような店も知らなかったので、しょうがなく一時間ほど潰すことにした。


 元々は漫画喫茶だったらしく漫画だけは結構あった。しかしそれも長期連載漫画は途中で途切れているし、知っている漫画はほとんど有名どころだけで、名前も知らないような昭和の匂いのする漫画ばかりだった。どれもこれも中古屋で仕入れたかのようなものばかりで、巻数すらしっかり並べられていない。

 ため息をつきたくもなったが、とりあえず今はネットを使いたかったし、渡された札に書かれた個室へと向かった。


「うわ……」


 思わずそんな声が出そうになった。

 個室も個室で狭いわ汚いわ、微かにする煙草の匂いが混じり合った変な臭いがした。

 最近はネット難民とかいうのがいるらしいが、そいつらだってこんな所に泊ろうと思うのだろうか、と森元は呻いた。

 とはいえ一時間もあればいいと思ったが、当のインターネットのパソコンも見たことのないような機種だった。ウィンドウズであることには違いないが、自分が触ったものよりずっと古いタイプだ。


 ――おい、大丈夫かよこれ。


 正直、後から思えば金を返してほしかったレベルだ。

 あるいは、金は返ってこなくていいから外に出ても良い。


 だが、そのときの森元はそんなことみじんにも思わなかったのだ。


 微妙にパリパリになったヘッドホンをつけ、できるだけ静かに過ごした。

 ところがだ。

 十分も経たないうちに、どかどかと人が入ってきた気配がした。結構な大人数が一斉に入ってきたようだった。ヘッドホンを外してみると、がやがやと小さな話し声が聞こえた。


 ――なんだ、誰もいないと思ったけど、結構繁盛してるのか。


 ひょっとすると時間帯のせいもあったのかもな、と思いながら再びヘッドホンをする。たまたま見つけたネットのミニゲームから聞こえる音に混じり、外からは相変わらずざわざわと声がした。

 しかしそのまま特に気にせず過ごしていると。


 コンコン。

 コンコン。


 最初は気のせいかと思ったが、扉のノック音が聞こえているのだ。

 ヘッドホンを外して聞き耳を立ててみるが、今度は聞こえなくなった。壁が薄いせいで、隣の部屋に入ったのかもしれないと思って、再びヘッドホンをつける。ところが。


 ドンドンドンドン!


 ――えっ。


 今度は扉を勢いよく叩いてくる。


 ――オレのところか!? なんだよ一体!


 ヘッドホンを外すと、音はよりいっそう強くなった。


 ドンドンドンドン!

 ドンドンドンドンドン!


 ――うわっ、これ絶対変な奴だ!


 でも、こんなに叩いたら自分のところだけじゃない。むしろフロアじゅうに響き渡っているはずだ。

 しかも一人や二人じゃない。大勢の人間が、扉を叩いているのだ。


 ――なんだよ。なんなんだよこいつらっ!


 いい加減、自分が何かしたかと苛々してきた。まさか部屋番号を間違っているわけでもあるまい。それどころかだんだんと恐ろしくなってきた。

 ヤクザだったらどうしよう。

 奴らは一般人を巻き込んでも「仕方ない」で済ませてしまうという噂も聞く。だが誰かを探しているなら、声をあげるはずだ。大声をあげることはないので、いったい何の用事なのかもわからない。

 だが、ざわざわとした声だけは聞こえる。

 銃で撃ってこないことからしても、もしかして何かの間違いなのかも。


 ぶつぶつ。ざわざわ。

 ドンドンドンドン!


 ――ああもう、うるせえっ!


 やけになって、勢いよく扉を開ける。

 いったいなんの用だ、とでかかった声は、寸前で喉で止まった。


 なにしろそこには誰もおらず、フロアはしんと静まりかえっていたからだ。


「え……」


 きょろきょろとあたりを見回すが、誰も居ない。

 あれだけ大勢の人間がいたっていうのに。


 急に不安になって、そこで漫画を読んでいた人に尋ねてしまった。入ってきた時からそこにいた若い男性客だ。


「……あの、今ここってお客さんいましたよね? 大勢……」

「……いいえ?」


 青年は、読んでいた漫画を閉じた。


「僕がここに来てから、入ってきたのはあなただけですよ」


 肩を竦めるように言われると、森元はそのまま急いで荷物をまとめ、逃げるようにネカフェを後にした。

 後からあのネカフェについて調べてみたが、幽霊が出るとかヤバイとかの有力な情報は見つからなかった。

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