第十夜 都市伝説
Oさんは、かつて世見町を根城にしていた記者だ。
町から離れた今でも世見町との縁は切っても切れず、今ではたまに祭りの時に行ってはシャッターを切るのが趣味だという。
真昼の町中を神輿が通り、人々がわあわあと声をあげているのを見ると、その辺の町と変わらない。
どうも普通の町と変わらないと聞くと、不思議な感覚に陥る。
そんな世見町だが、意外に都市伝説めいたものも存在するのだという。
「顔の無い女、って知ってるかい?」
Oさんはにやりとしながら言った。
「のっぺらぼうみたいな怪談だよ。声をかけたら顔が無かったっていうな。
あれは確かムジナかなんかが正体だってされてたけど、世見町のは女限定で、しかも怪談よりはるかにヤバイ内容にされてるよ。
ほら、町中で突っ立って売春してる女の子たちっているだろう。
……見たコトがない?
そりゃあまあ、普段は普通の奴らに紛れてるからな。
まあそういう感じで、薄暗い所に一人で突っ立ってる女の子がいるわけだ。突っ立ってるのはわかるんだが、薄暗いからか顔は確認できない。でも、ちゃんと体のほうは衣服から見て女性かな、とわかるんだ。
それでこういう。
”お兄さん、あたしと遊ばない?”ってな。
妙に艶めかしい声をしてるが、まともな奴ならついて行かないわな。
だがちょいと助平な奴――特にそういう目的の奴は願ったり叶ったりとばかりに、声につられてふらふら寄ってっちまうらしい。
こっちに良い場所があるとばかりにホイホイと入っていっちまうと、だんだん町の奥へ奥へと連れていかれるわけだ。しだいに、裏通りの更に奥みたいな、細道のような誰もいない場所へと案内される。
そんな細い道に店なんかあるわけない。むしろ店の裏が密集してるようなところだわな。
こんなところに店なんかあるのか、そもそも此処はどのあたりだときょろきょろしていると、ぼうっと暗闇に浮かび上がるものがある。
なんだろうと近寄ってみると、それがのっぺらぼうなんだ。
ウワッと思っているうちに、……男のほうは顔の皮を剥がれて転がってるってもんだ。
一命はとりとめたものの、女の笑い声だけがいつまでも耳に残っているんだと。
……まあ、なんだ。
下手な客引きには気をつけようっていうなあ、幽霊だろうが人間だろうが同じなのかもしれんなあ。
だがなあ……、世の中には不思議なことは確かにあるのかもしれん。
当時の俺は、そういう女の子に取材をしたかった。
取材といっても、ある程度懇意になって話を聞き出すみたいなやり方だ。表だって取材といっても向こうは警戒するからな。
話をするだけで金が貰えるんだから、まあ多少はな。自分の身の上くらいは教えてもらえたよ。
俺はいつも通り、良い話相手はいないかと探し回っていた。そんなときだ。ちょうど店と店の隙間のところに女の子が突っ立っているのが見えた。妙に赤い服だった気がするんだ。
”お兄さん、遊んでいかない?”
ああ、これは売春の女の子だなって思った。
だってほら、いくら都市伝説のことを聞いていても、都市伝説はあくまで都市伝説であって、現実に起こることじゃない。
俺はいっそ無視しようかと思ったんだけど、そのときはどういうわけか立ち止まって振り向いてしまったんだ。
だけど、女の子を見た途端少しぞっとしたよ。
何しろ暗闇に紛れて、顔だけが見えなかったんだからな。
いくら夜だからっていったって、顔だけが影で見えないなんてことあるか?
そのときの俺は、射抜かれたように動けなかった。
すると……、笑い声が聞こえて、手を引かれたんだ。
”こっちこっち”
子供が手を引かれるように、俺の足は自然と動き出していた。世見町には長いこといたが、こんな道あっただろうか、というような狭い通りを歩くことになっていた。
そりゃあな、あそこは中心に向かうにつれて、ただでさえ怪しい店が集まって迷路みたいになってんだ。知らない道の一つや二つあるだろうが、それでも現実感を剥ぎ取られたような気分になったよ。
俺はふらふらとついていって、あたりを見回した。
本当にそこがどこかわからなかったんだ。
なんだか急に怖くなった。
これ以上行っては駄目だと思う気持ちと、何が起こるか確かめてみたいと思う気持ちが拮抗していた。だんだんと手汗でぬるぬるとして気持ちが悪かったのに、女の子のほうはまったく気にしないまま歩いていくんだ。
俺はハッと我に返ると、手を振り払って走り出した。
”うふふふ”
そんな女の笑い声が、俺のすぐ後ろから聞こえた。
――駄目だ、追いつかれたら顔を剥がれるっ。
何故かそんなことを思ったよ。
だって、わかるだろう。都市伝説だぜ? そんな馬鹿なことあるわけない。
だけど、そのときは恐ろしかった。
何しろ、走ってる後ろから、すっ……と手が伸ばされたんだ。
顔の両側から、白い手がな。
こっちは男で、向こうは女だ。
お互いに全力疾走だとしても、そんな風に手が伸びるはずない。
それなのに、まるで背中に乗ってるみたいにすうっと手が出てきたんだ。その手が俺の頬を……ぐうっ! と思い切り後ろへと引っ張った。
そこからどうやって帰ったものか、気が付いたときには、俺はメイン通りの真ん中で肩を揺らしていたんだ。真夏じゃないのに汗は滝のように出てるし、心臓は止まるんじゃないかと思うくらいドクドクいっていた。行き交う人たちが、狂人を避けるような態度で俺を見てたよ。
後で鏡を見て気が付いた。
俺の顎から頬にかけて、赤く、後ろへ引っ張るような手の跡がついていたんだ。それと、結構な量の血もだ。
痛みはなかった。洗い落としたら、全部俺の血じゃなかった。
あれ以来、しばらく町に近寄れなかった。
どうしてだろうな。
殴られようが蹴られようが町にかじりついてやると思っていたのに。
たった一度のことで、しかもあんなに心を折られたことはなかったよ。
そもそもどうして、あんな風なんだろうな。
売春している女の子たちに、本当に顔が無いわけじゃあないだろうに。
なんだか色々考えちまってた。
でも、それ以上に――あのままついて行ってたら、俺はどうなってたんだろうな」
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