【部長+何処かの友人】最演

「……」

「初めまして、随分綺麗なお客様だ」

「誰だとは言いたいが、いや、ここは夢か」

「気付くのが早いな」

「まず、俺の国にそんな悠長にテーブルクロスを弾ける西洋人はいない。見たところ、アンタは欧州だろうけど……それでも俺を知らずに座ってて待つのも随分肝が据わっている。ここでの稼業は楽じゃないはずなのにな」

「もしも商人だとして、私は馴れ馴れしいか?」

「いや……不思議と悪くない」

「そうか」

「不思議とだ、例えばアンタとここで商談する約束をしていなくても、見ず知らずのはずの俺に声を掛けるのも。何故か悪くない。一度どこかで会っていた、って話なら納得できる位にな」

「それはないかな、私たちはここで初めて出会った、その言葉は悪くないがな」

「レッドカーペットに、このシャンデリア、アール・デコ気味だな、確かに何回か合っていれば覚えているはずだ」

「君の言う通り、君の国はほぼ鎖国的状態にあって、こうした身なりの私はよそ者として風当たりが厳しい……特に、今は内戦が続いている。その最中に海外を渡っている人間なら、研究員ならまだいい方だが商人……ここはバイオテクノロジーが発達するとなると需要の大半は酒や薬か。何れも歓迎は期待できないかな」

「夢にしては良く知ってるな」

「君の夢だからね、だからよく知っているが。望みのものも取揃えてる」

「楽器も、観客が埋め尽くされているコンサートもか?」

「……勿論」

「おいおい、そんな顔するなよ。音楽家になりたかったけれど、夢を諦めた俺の事なんて知らないわけがないよな?」

「当然だが……望みとは、二度と叶えられないことを指すのだと構えていたものでね」

「冗談だよ。それで、俺の夢をどうするつもりなんだ?現実じゃ会えないからって少しは寝かせてくれよ」

「そう悪い気にはしない、少し話を聞きたいだけなんだ」

「話?」

「君が、その国で生まれて、その国で育って、どんな人に巡り合えたか、その話を聞きたい」

「俺の夢ならそのくらい知っているだろうに」

「反芻のようなものだよ。乾く喉と舌の為にも良いものを用意している、フィレミニョンとサーロイン、どちらがいい?」

「サーロインのレア」

「分かった、ワインは?」

「黄ワイン、ヴァン・ジョーヌ」

「……僭越だが、組み合わせとしてちぐはぐかな」

「髪の色を見たらついそう思っただけだよ……気にしないでいいし、ワインはそっちでセレクトして構わない」

「君が?毒でも入れたらどうする」

「アンタが選んだ死に方で、俺が死ぬのも悪くない……夢だからそういう気分になっただけかもな」

「その体、もう持たないと思っていたがのうのうと生きそうだな」

「俺も思う。俺は俺が思うほど諦めに潔いって性分ではない。待ち続けて、アンタが俺を殺して終わりだったとしても、また会えていたというだけで十分だ」

「告白にしては熱いな、その言葉で一体どれくらい泣かせたか」

「一人以外はあまり覚えてないが、いい思い出にはなったんじゃないか?」

「泣かせるなよ」

「可愛いから仕方ないだろ?」

「……それより、食べようか。野菜は苦手かな?」

「グラッセでも構わない。付け合わせに食べるのも悪かないな」

「苦手だって顔をしていた頃が嘘みたいだな」

「神父さんが一度パウンドケーキ作ってくれてな、人参や菜っ葉、南瓜のパウンドケーキ。クリームと付けると甘くて苦手なのによく食べていた」

「さぞかし優しい神父だな」

「俺のガキの頃の救いだよ。まあ、あまり覚えていないけど、本当にそれを食べたかどうかも怪しい」

「それはそうだろう、昔だから」

「昔だ、どこかに教会があったかも俺は覚えてない。すべて幻かもしれない、だけど」

「だけど?」

「アンタは今、俺の馬鹿みたいな話を真面目に聞いている。それだけでも居心地がいい、思い出したような感じだ……まあ、そっちの言う通り食事にするか。そう言えば産地は?」

「当ててほしいな、少し遊び心に付き合って欲しい」

「分かった……それならワインは俺の前で注いで欲しい。アンタはその相性を考えてくれるって分かっているから」

「良いとも……こうして、無限に貯蔵できて風味を劣化させずに味わえるのは私の特権だな」

「好きなのか?ワイン、俺も語るからアンタもどうして好きか教えてほしい」

「人の成長と色彩に近いからな、フルボディも、ロゼも、熟成の差は違えど手を加えられてもなおセラーの中で旨味を蓄えている……その中でも貴腐ワインかな、人間味を感じるものは」

「へえ」

「貴腐ワインの生産地は多湿になる気候が多くて、一見すると生産に向いていないように見える。だがその多湿は限定的かつ、特定の菌の繁殖によって、また別格の物に生まれ変わって、私はそれが好きなんだ」

「物珍しいからか?」

「いいや、紛れもなく奇跡で、誰にでも愛されるために生まれてきていると思ってもいい」

「言うな」

「一見、それこそ限られた視野で不幸な環境と言うのも尚早だと思うが、どうなるかは神のみぞ知るだ。残酷に聞こえて、それは可能性だと思う。神は信じていないがな」

「これだけ言ってか……アンガスか、これ」

「早いな」

「柔らかいが、しつこくない脂でよく分かる……うん、美味い」

「美味しそうに食べてくれて嬉しいな……それで、そうか、俺の話か」

「君の育った所とか、なんでも教えて欲しい」

「とは言っても、肴にするには湿っぽいぞ」

「構わないよ。今の君に至らせた要素であるなら、それは土砂降りではなくて恵の雨のようなものだろう」

「アンタはどこまでも俺を褒めるな……だけどまあ、良い子ではなかったかもしれないな」

「良い子?」

「世の中良い子ってのは臆病でも優しくてひたむきな子ではない、母親の期待に添えられないなら悪ガキだったな」

「努力は汲み取れるものだろう?」

「アンタがそうであって……それは人それぞれだ、とにかく、俺は母親を幸せにしたかったけど駄目だった。餓鬼の頃の話だとそれだな。いつかコンサートで見たような、人が笑顔で拍手する演奏会の中心に立ちたい。とは思っていたけれど、母親には自分ではなくて俺だけが気持ち良くなるから耳障りだったんだろう。体が弱くて兵士にも望めないなら、荷物だっただろうし」

「今は弾かないのか?」

「弾くな。今になってやっと時間が余ってるから、たまに、気が向いた時に。丁度広いメゾネットを買った、深夜帯にもネオン街を見下ろしながら弾いていると、気晴らしにはなるさ」

「コンサートは?もう諦めているのか?」

「俺が今どんな職種について、どんな扱いを受けているか分かっているくせに」

「……私は君の夢だから、君がどんなに演奏家になりたかったか知っている」

「そうだっけ、まあそうか」

「だから君が成長する度に、どこか夢とか希望に満ち溢れていた瞳をしていて……」

「演奏家を諦めて、それでも中途半端に生きている俺に幻滅するか?

 俺は、自分の音楽を肯定してくれる人がいてくれればそれで良い。俺の母親も、社会も、運悪く『そうじゃなかった』だけだ」

「……それでも君の音楽を聴いて、心を打たれない人間はどこにも居ない」

「いいよ、誰か一人でもわかっていれば、それで良い。

 アンタは夢の人間だからノーカンとして……そうだな、俺には認めてくれる人はいた。昔も今も俺の夢を笑わないで、演奏を気持ち良く聞いてくれた」

「良かったな」

「その時は俺は幸せだった。と言っても、俺は一日最高のベストを尽くすから幸せじゃないわけがない……幼少期に出会った神父さんもそうで、コンサートで聞いてそれっきりの俺にはピアノとバイオリンを教えてくれた」

「……良かった、いるんだな」

「……そりゃあ、恩人を覚えないわけが無いだろ」

「いや、失敬、君の夢だから全て知っているが、そうか……私の知らないことがそっちで起こっているのか」

「……まあある意味そうかもしれないな」

「ある意味?」

「ああいいよ、夢の旅人サン。

 …まあ神父さんはあんまり怒らないが、俺が何も言わずにがむしゃらに練習したり、やりすぎて怪我をするとこっぴどく叱られる。バイオリンの豆が潰れただけで一日の稽古を終わっちまう」

「君に上手くなってもらいたい、と言うより君が音楽で幸せにさせたいなら君が楽しくないとだろうな。考えていることはわからなくもない」

「まあ、母親で行かなくなってしまったけど、とにかく、少し希望は持てたんだ。誰かに否定されるのは恐ろしいが、俺にも手を伸ばす人はいる。まあビビって行かなくなってしまったけどな」

「僭越だが、その神父がいなかったら」

「今の俺はいない、と断言する……もしも今あんたが神父がいなければ、ってバチあたりなことを言うのなら尚更」

「……それを言うとでも?」

「なんて冗談だ……まあ、この肉とか、これで美味い以外言ったらそれこそバチ当たるだろ?アンタも早く食べな」

「その姿だけ見れたら十分だよ」

「そんな事言わずにさ……アンタ、昔も同じこと言ってたな」

「言っただろう?初めて出会ったじゃないか」

「あの時、野菜が嫌いだったのにすごく美味くて目を光らせていたら、作ってくれたやつカゴいっぱいに渡されてさ」

「随分お人好しな神父だな」

「ああ、『アキラのその姿を見れただけでいい』って言ってくれた」


「……」


「なあ、アンタと俺は、どこかで会ってiる」

「言っただろう、君と私は初めましてであって、なんらその繋がりはない」

「ない、じゃなくて……なくなっていた、としたら」

「……」

「……いや、とはいえ、か。これ以上俺が言っても仕方ないだろう。すまないな、何度も同じことを聞いて」

「構わないが、君が何かに足りないと思うのは、私の責任にある」

「何だよそれ、俺の夢だってのにまるでアンタのものみたいな言い方だ……」

「分かっているくせに」

「何がだ?アンタの口から言ってくれよ、俺がこう思っただけじゃなくて」


「……もしもだ、君は私の知り合いだとしたら?」

「さっきまでのモヤが晴れた気分だ。友人として迎え入れるよ」

「その友人は、何度も君を手に掛けようとしても?」

「友人と言うには俺の為に命掛けたんだろ?」

「それが自分の見栄であっても」

「俺が、友人の支えになっていたなら何も言うことはないわ」

「死にたくないと言っていた友人を何度も手にかけて、望まれない道をただひたすら繰り返して」

「だが友人で終わらせるのは悪くない。始まりも同じだったら尚な

 ……それに俺はあの頃を望まれない道だと思っちゃいない。アンタが近くでずっと楽しそうにしていたことを俺は知ってる。俺はその姿を見て育った」

「君は、今の現状をどう思う?」

「アンタが幸せなら良いんだ。たとえ俺が何度殺されても、何度クソみたいな過去を巡っても、アンタは友人としてきてくれる」

「人はそれを化け物と言うんじゃないか?」

「俺にとってはただのお節介焼きの友人だけど、まあ素直になった方が、確かに良いよなって時はある」


「……自分がいなければ良かったと思うことがあるな」

「よく言っていたな」

「私は、身勝手に振り回したくなかったんだ。それなら簡単に人間として、友人として振舞ってしまえば良い。君が現状に満足しないなら、君の現状を肯定してあげれるような最上の友人でありたい。それ以上もそれ以外もいらないで生きてきたんだがな」

「俺は知り合いというには大きな存在になったけど……アンタはどこの世界にも同じことをするのか?」

「するね、私は嫌な立場になってしまったのだから。そのくらい都合と体裁のいい人間にしないと相手も割に合わない、軽蔑したか?」

「いいや、アンタがそういう独りよがりで、相手のことばかり考える心配性なのは俺も知ってる」

「どうした、酔ったか?」

「心配してくれるのか?そういうところだぞ、ありがとうな……まあ冗談は置いといて、アンタはそれでいいのか」


「ああ、君が……いやこれは秘密にして……とにかく、君の幸せが無数にあるとしたら、その些細な一つに私がいたらこれ以上のことは無い」

「秘密?」

「君と結ばれる子は■■■だろう?……どうかな?」

「……すまねえ、聞き取れない」

「まあ、ここはそう言う仕様だからな……とにかく、私はそれだけでいい。神のように振る舞うのは、君の人生や物語にとって適当ではない。

 君の人生は長いが、それよりも限りなく短い感覚で、だが神は君を愛している」

「抽象的な話だな」


「すまないな、やっぱりこうなってしまう……だから、私が君の世界でそう振る舞うのは違うんだ。私は誰かの世界を歪にするべきじゃない。君の過去は、美しい未来のためにあるなら、私は出過ぎている」

「アンタは……やっぱり、と言うべきか知らないが、頑固だな」

「それは私の世界でもよく言われるよ……私は人程に欲張ると、迷惑をかけてしまうんだ。君の小さい姿を見て、未来を見てから……君の姿を肯定できる友人になり、何度も納得出来ない未来を私が変えて。君は焦げ付いた鍋みたいに憶えてしまって……そうまでして弄びたくなかったけどな」

「俺はアンタがそうしたとしても許す、じゃなくて愛していると知っても?」

「それじゃ駄目だろう。自分の気が済む道まで認めないのは、君を愚弄する大人と大差ない。

 人を幸せにするというのは、自分には傲慢だった」


「でも、そのカミサマが俺を幸せになるようにしたのはアンタのお陰って場合もあると思うぜ?」

「……言わされていないか?」

「俺は神様じゃあないから知らないが、これも神様の悪戯か愛情ってことなら、アンタは前者と捉えるけど後者だろう。アンタ自分の口で言っただろう?未来は神のみぞ知るって」

「……一考しておくよ」


「でも、まあ物足りなさは自覚しちまったな……あーあ」

「何かここに不足しているものは?」

「笑わないで聞いてくれたらいいが……差し出してくれた肉も、この酒も、どれもこれも良いが……妙に味気なくてな」

「味気ない」

「いや、俺が口に含んでいる味も、匂いも勿論わかるぜ。勿論それがアンタの用意してくれた最高のモノだって、分かっている。俺は忘れない、だが……」

「……ああ、なるほどな、科白だけのような淡泊さか」

「理解してくれたか?」

「概ね理解できたよ。感受性がいたく強いな」

「感受性……そうか?あまり言われないが」

「昔からそうだった……文章にするなら、君は繊細な描写と鮮やかな色彩が好きだろう」

「おい、何を言って──」


 一鳴。

 向かいにいる、金髪の男は確かに指を小気味よく鳴らした。鼻腔。口腔。随分話し込んだにも関わらず、口は乾きを知らず、未だステーキは焼いて煮え立った音を発する。音が、鮮明に入る。耳から、よりも肌に一つ一つ。人よりも柔い白膚に、刺すが如く。

 物足りない。その妙な虚しさは、刺激に埋められる。靴下かっかに触れる絨毯、銀のカトラリーの伝った熱。肉汁が、舌にまだ残っては、喉へと下っていく。味わいは、よく分かる。よく干された玉蜀黍を食んで、穏やかな気候で生涯を終えた牛肉の芳香。ワインを舌に乗せればより──


「──いや、必要ない」

「どうして?」


「アンタの世界なら、言葉だけで十分だ。言ってくれ、俺をどう思っているか」

「私は、君の祝福を願っている」

「ああ」

「それでも、数多くの幸福に私がいたとしたら」

いたじゃない、いる視界、揺らいでは、暗闇が脳の上で爆ぜる心地を受く。……………夢の暗転とは終わらせねえぞ、俺はアンタから貰ったものを重く、重く重く重く、鉛と似る。……忘れたく……ない……」

「……もういい、君とここまで話せて私は嬉しいんだ」


 その笑い方を俺は覚えている。

 餓鬼の頃に手を繋いでくれた笑み、初めて楽譜をミスがなく引けた時のものとは違う。諦めたその表情を俺は何度でも見ている。記憶にないけれど、足りないと思うのも当たり前なのだろう。


「アンタも──」


 足を。何の為にあるか、何の為に進むべきかを頭に。重い頭を振り払って、留まる。その足は、自分が進むことを肯定したものだ。それを働かないでは何も変わらないことを彼は教えてくれた。

 それを彼は、■■は、■■■■は、アンタは、どう思うだろうか。それでもまだ、自分は俺と違うから、と言ってまた背いてしまうだろうか。そうなのだろう。その自信のなさは、俺が出会う前よりもずっと根深いところにある。


 だとしたら、教えていかなければならないのだ。


「──愛される為に生まれてきたんだ」


 かつて俺が、誰かが彼によってそうなったように。

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