夜、光の射す方へ
今度はちゃんと心の準備が出来た。
冷静になれたからこそ分かることがある。
姫光が一人で夜の公園に来た理由。
姫光がタコの滑り台に座っていた理由。
俺はその理由を知っている。
姫光の昔を知っているからこそ──。
「また一人で泣いてたのか?」
こういうセリフが簡単に出てくる。
「うっさい。別にあたしは泣いてなんか……」
姫光は顔を上げて目元をぬぐい、視線をこちらに向ける。
「……何しに戻って来たのよ?」
「野暮なこと
「…………何よそれ」
姫光の声はさっきとは明らかに違う質の声だった。震え声だけど怒気や敵意はまるで感じられなかった。
「何を根拠にあたしが家出したと思ってるのか知らないけど、余計なお世話よ……」
覇気のない弱々しい喋り方で姫光はそう言った。
「中二の秋、タコの滑り台、そんで大きなバッグ」
意地を張る家出少女に俺は端的な言葉を返す。
「………………」
言葉の意味を察したのか、家出少女は不服そうに口をつぐんで俺から顔を背ける。
「お前さ、嫌な事があると毎回ここに来るよな」
こんな場所で思い出話に花を咲かせるつもりはない。話すならもっとちゃんとした場所でゆっくりと話したい。
「そうやってタコの滑り台の中で膝抱えて座って、誰にも見られないように顔を隠して、そんで声を殺して一人で泣いてたよな」
「…………」
家出少女の姫光は何か言いたそうな顔で俺を見やる。その瞳にはもう哀しみの色は無かった。
「……だったら何よ?」
今この場で姫光と仲直りをするつもりはない。もう少しだけ姫光と話をするためにもこの場から連れ出す必要がある。説得と交渉はなるべく早く短めにやらないといけない。モタモタしていると邪魔が入る恐れがあるから。
「いや、なんつーか、お前には驚かされてばかりだなって思ってさ。いきなりお前に出くわして俺は少し気が動転していたのかもしれないな」
おかげで
俺が言うべき事はただ一つ。
「さっきは悪かった。ごめんな」
「………………」
謝られたのが気不味いのか、姫光はバツが悪そうにふっと目を伏せる。
「そんでさ、よかったらうちに来いよ。行く所がないんだろ?」
そうすればもう少しだけ話ができるから。
「……なんでアンタの家なんかに……あたしは嫌なんだからね……」
モニョモニョとハッキリしない口調で文句を言うわがままな
「この公園な、深夜になると警察が見回りに来るんだよ」
スマホの時計で時間を確認。午後十時十分。未成年が深夜徘徊で補導される時間帯まであと約一時間。
「なんでアンタがそんな事知って──」
思い当たる節があったらしく姫光は言いかけた言葉を引っ込め、代わりに。
「……そっか。そう言えばアンタ、経験者だったわね」
と、呟いた。
まぁ、いわゆる経験者は語るってやつだ。
「それでどうするんだ? たかが家出ごときで警察のお世話になるなんてクソださい事を実体験したいって言うんなら俺はもう何も言わないで帰るぞ?」
「何よ、それ。本当にアンタ何様のつもりよ」
言葉とは裏腹に姫光の顔には確かな笑みが浮かんでいた。
「何様、か。そうだな今なら特別にその家出セットが入ったと思わしき大きなバッグを持つ荷物持ち様くらいには身をやつしてやってもいいぞ?」
「……………」
姫光は暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「……そうね。どっかの誰かさんみたいにクソださい目に
勘違いしないで欲しいんだけど、とあからさますぎる前置きをして姫光は言う。
「あくまでも“仕方なく”だから。他に選択肢があったらそっちを選んでたんだからね? 良い? 仕方なくなんだからね」
「ああ、分かってるよ」
仕方なくの部分を強調するあたりが相変わらずというか、ほんと素直じゃない奴だ。
「じゃあ、約束通り荷物持ちよろしくね。荷物持ち様?」
約束した覚えはないけど、それで姫光の機嫌が少しでも良くなるならやらない道理は無い。
「ほら出せよ」
荷物をこっちに寄越せという意味合いで座っている姫光に手を差し伸べたのだが、何を勘違いしたのか、姫光はプイとそっぽを向く。
「ふん。調子にのんな、バーカ」
姫光はすくりと立ち上がりタコの滑り台から離れていく。俺と荷物を置き去りにして。
「あたしは先に行くからアンタも早く来なさいよ?」
手をヒラヒラ振って公園の出口に向かう姫光。
「…………」
相変わらずといか。なんというか。
「はぁぁぁぁ……」
大きな溜息を一つ。
「…………」
どうやら交渉は成立したようだ。
目的の達成を実感した瞬間、身体にどっと疲れが込み上げてきた。俺が思うにこの疲労は肉体的なものではなく精神的な気疲れからくるものだろう。
いや、むしろ安心して気が抜けたのかもしれない。ついさっきまでお通夜ムードどころか、この世の終わりを迎えた気分だったから。
「お姫様の御機嫌取りも楽じゃねーな。王子役とか俺には一生無理だ」
独り
「ふぐっ」
肩に乗せたバッグが予想外の重さで口から変な声が漏れる。
重っ! 中身に何入れたらこんな重さになるんだよ? 姫光のやつ良くこんなの持ってきたな……
そんな事を考えながら俺も姫光の後を追って公園の出口に向かう。
「ねぇ、大和。クロはどうしたの?」
遊具エリアを出たあたりで姫光がそんな疑問を口にした。
「…………あっ」
言われて気がつく。愛犬を置き去りにしてきた事に。しかも今いる場所とは真逆の出口にだ。
「やべ、逆サイドの出口に置いてきたんだった」
「はぁぁぁ!? アンタ何やってんのよ!? クロが可哀想でしょ! もー本当に馬鹿なんだから!」
キーキーと金切り声で俺を叱責する姫光。
「ほら早く戻るわよ! 光の速さで!」
そう言って姫光は空いている俺の手を強引に掴んだ。
「…………っ!?」
不覚にも心臓がどきりと跳ね上がった。
昔にもこんな事があった。
逃がさないと言わんばかりに小さい手が強引に自分の手を包み込む感覚。こうやって手を引かれたら何処までも走って行けそうな気分になる。
懐かしい既視感に胸が熱くなる。
「ほら、ぼけっとしてないで走る。ダッシュ、ダッシュ!」
「あ、ああ……分かったから、そんなに引っ張んなよ」
掴まれた手は走り出した瞬間に向こうの方から離された。
姫光が何を思って俺の手を掴んだのかはよく分からない。
分からないけど、分かることが一つだけあった。
自分の気持ちに改めて気がつくことができた。
この日、こんな風に対話した姫光と、俺はこれから先も深く関わっていくのだが、この時は先のことなんて全然考えてなんかいなかった。
他の事を考えている余裕が無かった。
この時俺が考えていた事はただ一つ。
姫光と一緒にいる時間が一秒でも長く続いて欲しい。俺は心の中でただそれだけを願っていた。
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