大江戸犬小屋住まい - 2

 寝床の焼け跡からは半刻程も歩けば四谷に着くはずだったが、江戸に上ったばかりで不案内な久吉だ。数少ない見知った景色は今や灰の山。おまけに、大火の後始末であちこち通行止め。道に迷うのも道理である。

 日暮れ前にようやく目的地に辿り着き、いざ中へ、といった所で、ふと気付く。


「俺は最早犬になったつもりだけど、傍目にそうと判るかな?」


 如何に犬を養う専門の役人とはいえ、心根が犬であるか否かを判じることのできる者が、そう沢山いるものだろうか。久吉は心根だけなら芯から犬になった心算であったが、外面まではそうとも行かない。


「うーん。一匹取っ捕まえて、皮を剥いで被ってみようか」

「あんた、よりにもよって御上の犬小屋の前で、何てこと言ってんだ」


 思わず口から漏れた計画に、背後から野太い男の声がかかった。振り返ればそれは、腰に刀を差した髭面の大男である。


「犬一匹の犠牲で人間様が一人救われるんだよ? 余った肉も食えば無駄がない」

「ううむ。武士を前に朗々と犯罪計画を語る危険人物の命と、犬の命。どう考えても犬の方が重い」


 悪びれない久吉の態度に、髭面の武士は腰の刀へ手を掛ける。

 実の所、これまで牢にでも放り込んで貰えれば幸いと思っていたそれを見た久吉は、このままでは最悪その場で切り捨てられるやも知れぬ、と自己弁護を試みる。


「命あっての物種と言うじゃないですか、お侍様。それに、俺に犬の真似をやらせりゃ、ちょっとしたもんだよ。アンアン、アオーン!」


 口を開いた頃にもう、これは弁護のし様もあるまいな、と気が付いていた。

 それでも、この言い訳にもならぬ言い訳は、眼前の武士に一定の効果は及ぼしたようである。


「……まあ、なんだ。こちらとて、犬を人より重んじる今の幕府に、思う所が無いでもない」

「お! ということは……?」

「犬として犬小屋に住めるよう、手配してやろう」


 かくして、久吉は犬となった。


「しかし……人としての生を捨て、犬として飼われるだけで、果たして生きていると言えるのだろうか」

「まあまあ、向き不向きはあると思いますが、俺はそういうの得意ですからね」


 その折、久吉は終始、自信気な様子であった。

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