七朝六夜:煉獄から手向ける浄化~2~

 少女は魔物へ向かって一歩踏み出した。目を開いていると自然と魔物が視界に映る。


 これまでの魔物は彼らに敵意を見せ襲い掛かって来るものを撃退、または自分たちが魔物を食料とするため、いずれも生きるために相対してきた。

 しかし、目の前の魔物はこれまでに対峙したことのある魔物の動向に当てはまらない。

 彼らは何を思ってこの大地を彷徨っているのだろうか。


 彼女は感情を揺さぶられることによって集中力がそがれることを嫌い、足を止めると静かに目を閉じた。


――汝よ 住処へ還りたもう――


 レーメが詠い始めた瞬間、魔物はまるで救いを求めるように緩やかな足取りを彼女へと定める。


――我は 煉獄の使い也――


 不安定な動きを見せながらゆっくりとレーメに近付いているが、行動の予測できない魔物が突然襲いかかってくるか知れない。


 戦闘とは呼べなくもそうした緊迫した状況の中で、何もせずにはいられなかったティオが一人と一匹の間に割って入る。


 剣による攻撃は効かない。それを理解した上で彼は、詠唱中の少女を守る力になるべく魔物と対峙した。


――罪科の天秤 量り知らん――


 魔物が一歩進む毎に、剣を握るティオの手に汗が滲み始める。

 ゆっくりと、しかし確実に迫り来る恐怖感と、これまでのように共闘できないことに対する歯がゆさと苛立ち。

 そうした様々な感情に振り回されて混乱を招きかねない状況でありながらも、何とか保っていられるのは、彼女の口から紡がれる優しい歌声のおかげだろうか。


 一方、レーメの近辺をティオに任せたアーブは、護身用に所持している鞭を手繰り寄せて魔物を挟んだ向こう側で警戒していた。


 魔物が一歩ずつレーメとティオに近づく毎に、彼女も一定の距離を保って追いかけている。


 ティオと魔物が近づき過ぎてしまうと危険だ。

 万が一のことを考え、途中で阻止する為に、彼女は魔物の背後で用心していた。


 二人は冷や汗を掻きながら、レーメが詠い終えるのを待ち続けた。


――破りし理 未練の限り――


「……!」


 ティオまであと三メートル、と言ったところだろうか。


 これ以上魔物が近づくと、レーメの魔法によってティオまでもが巻き込まれてしまいかねない。


 レーメの歌による精霊の反応によって魔法の規模を予測したアーブが、右手の鞭を軽く振り回す。

 次いで大きな動きで鞭を振りかざした後、魔物目掛けて先端を振り放った。


「グ……」


 アーブの鞭は狙い通り、魔物の引きずっていない方の後ろ足を見事に捉えた。

 進むべき方向に歩みだせないことに不快感を覚えたのだろうか、魔物が唸り声を漏らす。それでも無理に一歩踏み出そうとすると、魔物はよろめき、軽い音を立てて倒れこんだ。


――命果てども 安息を求むる――


 アーブは鞭を手にしながらも、魔物の体重の軽さに驚きを感じた。このまま力を入れずに軽く鞭を引いただけで、簡単に引き寄せる事が出来てしまいそうな程だ。

 倒れた魔物は起き上がろうと必死に手足をもがいているが、自由になるのは前足のみ。起きることは容易ではないだろう。


――汝に眠りを 我は祈らん――


 やがて、レーメが一句詠い終えた。


「わっ!?」


 同時にアーブは魔物を鞭から解き放ち、鞭を手繰り寄せた。


 強烈な熱さと火の粉が降り注ぐと想像していたティオは一歩後ずさりして腕で顔を覆ったが、魔物を襲った魔法は予想とは異なるものだった。


「グ……グガ……」


 どこか穏やかな暖かさの感じられる風が魔物に集中したかと思うと、パチパチと物悲しい音を立てて火の粉が姿を見せ始める。

 火の粉は弱々しくも一つ、二つと少しずつ集まり……そして次第に勢いを増して膨れ上がっていく。

 そして、それが数え切れない程の数に達すると、眩い光を放ち始めた。


「うわっ?! まぶしっ!!」


 ようやく光が収束していくと、そこには魔物の姿は残されておらず、少し前まで魔物だったであろう、ほんの僅かな灰だけが積もっているだけだった。


「ふー……」


 魔物がいなくなったことに対して胸を撫で下ろしたレーメの元へ、見守っていた三人が駆け寄る。


「大丈夫か、レーメ?」

「私は何ともない」

「また倒れたりすんなよな?」

「ティオ君は気遣いがお上手ですね。お疲れ様です、レーメさん」

「ちっ、ちげーよ! もしまたノストの時みたいに倒られたら困るだろ!?」


 アーブの笑顔の一言にティオは慌てて否定し始めた。

 笑いあう三人を一瞥し、唯一蚊帳の外でのんびりと構えていたファイは灰の元へと向かってそれを掬い上げる。


「……ま、合格点ですかね」


 サラサラと指の間を通り抜けていく灰に、魔術師は感心した様子を見せている。


 面白そうなものを見つけたように口の端を吊り上げて笑みを浮かべるファイの様子を、アーブは視界の端で眉をひそめて見守っていた。

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