伍朝伍夜:弐の印~1a~

「だいじょう……ぶ……?」


 駆け寄る二人の労いの言葉に対し自身の無事を告げようとしたレーメは、突然上半身をぐらりと傾け始めた。


「レーメッ?!」


 全身を地面に横たわらせたレーメの体を、ティオが慌てて抱き上げて声を掛けるが、目をつぶった彼女は全く反応しない。ぐったりとした旅の相棒の様子に彼は取り乱す。


「おい! レーメッ!!! しっかりしろよ!!」

「ティオ君、落ち着いてください!」

「落ち着いてられるかって! どうしてレーメが倒れたんだよ!?」


 アーブがなだめようと声を掛けるが、動揺している彼は簡単に落ち着きそうにない。


 ノストに訪れて何度も大声を出し続ける少年は、今まで以上に大きな声でアーブを問いつめ始めた。


「レーメさんは疲れて眠っているだけです。ですから少し静かに……」

「お前たち、魔法使いか」


 アーブがティオに対してレーメの様子を説明しようとした時、しゃがれた声が言葉を遮る。

 敵意を隠さない威圧的な声色に、二人は振り返った。


「町長……」


 二人の視線の先には、いつの間にか落ち着きを取り戻した街の人々が集まり始めていた。彼らの先頭には、頭髪を丸めた老人が腕を組んで仁王立ちしている。


 彼らは昨日トラブルを起こしたばかりの二人を、昨日以上の敵意を以って睨み付けている。手を出してこないのは、ティオが町長と呼んだ老人の影響だろうか。

 視線を受けたティオは唸り、彼らに負けじと目力を込めて睨み付けて威嚇し返す。


「町長さん……ですか」


 敵意を隠そうとしない住民たちの様子を見てアーブは眉をひそめる。

 三人は次第に住民たちに取り囲まれようとしていた。


「そうだ。儂が町長だ」


 アーブの呟きに老人は重く頷いた。


「……お前だけ姿が見えないと思ったら、こんな所で油を売っていたのか」


 町長はティオから距離を取って呆然と立ちつくしていたティオの父親を一瞥し、吐き捨てるように言った。その瞬間、ティオの父親の表情が青ざめる。町長の存在は、ティオの父親にとって恐ろしい存在なのだろうか。


「……なんだよ、いちいち人のことを監視するみたいに」


「どうせお前だって何もしていないんだろう」と言いたそうな表情で、町長から目を離さずに舌打ちし苛立ちを露わにするティオ。一触即発の状態だ。


「お前たちは魔法使いだな」


 彼らに対して始めて投じた質問を、町長はもう一度繰り返した。


「ティオ君は……この街の出身なのでしょう? それでしたら、彼が魔法使いではないことはご存じなのではありませんか?」


 アーブは出来るだけ町長や住民を刺激しないように、言葉を選びながら発言した。常に丁寧で相手を傷付けないように配慮しているが、この時ばかりはいつも以上に気を配る。


「知らんな」


 町長の冷酷な呟きを聞いたティオの頭に血が上ったのがわかった。彼はアーブに聞こえる程の歯軋りをしているのだ。

 ティオなりに怒りを耐えているつもりなのだろうが、散々ノストへの感情を抑えてきた彼の怒りはいつ爆発しても可笑しくないだろう。


「フン。どうせ今回の火事はお前たちが引き起こしたものだろう?」


 言うのも煩わしい、そう感じさせる町長の仕草にアーブは思わず目を瞑りたくなった。悪意を丸めて固め、投げつけられたように感じる。


「なっ! 何バカな事をッ!!!」

「ティオ君!!!」


 レーメは火を消すために倒れてしまうくらいに貢献した。だと言うのに、町長は心無い言葉を浴びせかけてくる。

 悪意の塊を受け流すことのできなかったティオは、怒りのあまりに飛びかかりそうになるが、彼の怒りを察したアーブがすんでのところを防いだ。


「それは私たちが昨日この街から追い出されたから、そうお考えになったのでしょうか?」


 ティオの視界に町長の顔が映らないよう、アーブは二人の間に割った位置に居る。多少は落ち着かせる効果があったようで、耳に届くほどに荒くなっていたティオの呼吸が僅かに静かになっていくようであった。


「それ以外にどんな理由があると? このような大規模な火事、魔法によるものとしか考えられん」

「確かに私たちの中に魔法使いはいます。ですが私たちにはノストを貶める動機など、一切ありません。特に、彼らは……ティオ君たちは『成人の儀』で訪れただけなのですよ」

「愉快犯であっても可笑しくなかろう」

「……先程、魔法で何をしたかくらい、魔法を使えない方でもおわかりになるでしょう?」

「それくらい判っておる。火を弱めたのであろう?」


 思ったよりも早く理解が得られそうだと思ったアーブだが、続く言葉によってそれは早とちりだと言うことがわかる。


「しかし、愉快犯であれば己が放った火の様子を見に、消しに来ても何ら不思議ではあるまい。我々が慌てる様子をあざ笑いにな」

「……」


 随分と物事を短絡的に決めつける人間だ。アーブは怒りを通り越して呆れ返っている。


「話の、通じない方ですね……」


 町長の屁理屈に一つ一つ説明しようと思っていたアーブだが、その気がなくなってしまった。深い溜息を付くと、今までの柔らかい口調を一転させる。


「サンシエントの国民は、同じ国民を思いやる心もお持ちでないのですね……」

「なんだと?!」


 プライドを刺激されたのか、町長はそれまでの不遜な態度を一転させる。


「非常に、嘆かわしい事です。この分ですと……先の戦争では内紛によって、仕方なく休戦協定で落ち着いたのではありませんか?」


 皮肉を含ませた言葉の数々は、今までのアーブとは異なる雰囲気を感じさせる。話の内容もティオにとってはより難しくなり、目の前で背を向けて立っている人物を思わず凝視してしまった。


 アーブが言う通り、この国はティオが生まれる前の時代に他国と戦争をしていた。


「貴様……ッ!! 知った口を!!」

「それは貴方の事です」


 アーブは目を伏せ、眉をひそめる。何かを思慮しつつ喋っているようだ。


「何も知らないのは貴方のことです。この子たちは貴方がたに非難される可能性があることを判っていました。けれども、何故そこまでして火事を収めたのか。理解されていないのでしょう?」

「そんなくだらん理由ッ、知る必要などない!」


 アーブの棘のある言葉の数々により、町長が今まで以上に憤慨し青筋を立てているのがティオにも分かった。


 アーブは身を翻すと、突然何を思い立ったのか背後のティオが抱えていたレーメに近寄り、フードを軽く掴んで外し取った。


「あっ!」


 一瞬の事でティオには止める余裕もなかった。気付いた時には、彼らを取り囲む住民たちの瞳に、レーメの鮮やかな赤い髪が晒されてしまった。


「……!」


 予想外の事に取り乱しているのはティオだけではない。彼女の髪を見た住民たちが一斉にざわめき始めた。


 殺気立つ者、叫んで逃げ出す者、人によって様々な反応を見せている。街を代表する町長がいるからか、『暁』に恐れを抱いているからか、いずれにせよ幸いなことにレーメに直接手を出そうとするものはいない。


 早く追い出せと殺伐とする住民に取り囲まれた町長は、言葉を失い目を見開いてレーメの髪を凝視している。

 表情が読めず、町長が何を考えているか想像することは、アーブには困難だった。


「彼女は『成人の儀』でこちらに訪れました。ティオ君と一緒にスタンプを押せずに、困っていたのです。そんな彼女たちがノストに長居する必要など、僅かともありません」


 アーブの狙いは弁明ではない。このまま会話を続けても進展は特にないのは明らかだ。


 レーメの髪を見せたのは、一刻も早くレーメとティオの二人のスタンプを押させて、ノストから出発する一心での行動だった。


「用がすめばすぐにでも出ていきます。どうかお二人にスタンプを押していただけますか?」

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