四朝参夜:伝承歌う者~1~
あたり一面が鮮やかな緑で覆われている大草原を、赤と青と黄色の影が走り抜ける。
一つは短髪で紅の髪が印象に残る少女。その髪は光が差すと時折仄かなオレンジ色の姿を見せる。茶色いフード付きのワンピースを纏い、澄ました表情でゆっくりと草原を歩んでいる。通称≪暁の娘≫、レーメだ。
もう一つは澄んだ青い瞳と髪の少年、ティオ。髪はハリネズミの棘のようにツンツンと逆立っており、触ると痛そうだ。弓矢を背負いながらも片手剣を手に、必死な表情で草原を走り続ける。
黄色の影は二人に……正確にはティオに追われている、黄色の羽毛を身に纏った鳥型の魔物。二本の足で彼らより早く軽やかに草原を駆け抜けている。
ティオから三十メートル以上は離れて後ろを歩くレーメは、彼が何故弓で獲物を攻撃しないのかと考えていた。
ティオが標的としている魔物は足の速さで知られている。気が弱いため手を出さなければ襲っては来ないが、この通り逃げ足が速い。当然彼の走りでは魔物に追いつくどころか引き離される一方。
その上魔物は時折余裕を見せるように後ろを振り返っており、彼をからかっているような節もある。
この様子では剣で攻撃出来るチャンスは訪れることはない。早い段階で弓を使うことを考えていれば、少しは当たる可能性もあっただろう。
飾り物と化しているティオの弓を眺め、レーメは溜め息をつく。
レーメは魔物を追いかける気など無かった。対して先を行くティオは魔物の生態を知らなかったと言うのもあるが、何としても彼女より先に仕留めようと思うあまりに必死になって獲物を追いかけていた。
「はっ、はっ……はえぇー……っ!」
およそ数十分後。
最終的に魔物に距離を引き離され追いつけなくなり、ティオは息も絶え絶えに諦めて草原に倒れ込んだ。
二人の居る場所から獲物の黄色い姿はすでに見えなくなっている。
魔物の勝利の雄叫びだろうか。遠くから耳を裂くような甲高い声が聞こえてくると、それを耳にしたティオは悔しそうに身悶えした。
「お疲れ」
涼し気な表情で後からゆっくりと歩いて追いついたレーメは倒れているティオを見下ろした。
そんな彼女にティオは苦しそうな表情で右手を伸ばす。
「はっ……。もっ……もう……ノドがっ……からっ……からっ……!」
レーメは少し呆れてみせながらも水袋を渡した。
「はい」
「たっ、助かるーッ!!!」
彼は手短に礼を言うと、すぐに喉を潤した。計画性のない少年の様子をレーメはじっと見つめて観察する。
レーメにとってティオは何かと世話が焼ける存在だ。
例えば、早食いして食べ物を喉に詰まらせたり、如何にも不味そうな物を食べたり、標識の字を読み違えて全く関係のない方向に進もうとしたり。
ともかく目を離した隙にとんでもない自体になっていないとも限らない。
もし彼が一人で旅をしていたとしたら、今頃どうなっていたのだろう。レーメはその状況を想像しようとしたが、彼女の脳裏にはティオの干からびた姿しか浮かばず、慌てて頭を振った。
レーメがこの数週間、ティオと共に旅をして分かったことは『ティオが馬鹿だ』と言う事だった。
決して頭が悪い訳ではないのだが、『馬鹿』には様々な意味が含まれている。そそっかしく、単純で一直線。ティオは自分自身が困る状況を生み出していき、今回も例に洩れずやってくれた。
ティオが旅立つ前に彼の祖父であるゴルダが口にしていた『バカで単純で負けず嫌いのアホだが』と言う説明は言いえて妙だ。
しかし、そんなティオの目が離せない様子は、レーメを安心させる要素でもあった。彼女は人付き合いが苦手だが、良くも悪くも一直線なティオに引きずられるように自然と素直に接する事が出来ようになっていた。
「レーメ、どうしたんだ?オレの顔に何か付いてる?」
水を飲み終わり息を整えて落ち着いたティオは、自分の顔を真剣に見つめているレーメの顔を覗き込んだ。
「なんでもない」
見つめ返されたレーメは視線を逸らす。干からびたティオが頭に浮かんだ、とは言わずに首を振った。
「あーあ。また捕まえられなかった」
「弓矢を使えば?」
「弓は……なあ……」
歯切れの悪いティオをよそに、レーメは受け取った水袋の重さを確認してそれを仕舞う。
彼はゴルダの指折りの腕前らしいが何故か弓を使いたがらない。そのため彼女はまだ一度も、旅の同行者が弓を射った場面を目にしたことがない。
「魔法ってどうやって使うんだ?」
話を切り替えたティオが疑問を口にした。旅立つ直前まで魔法がどのような原理で使われるものなのかを知らなかった彼は、こうして時折レーメに魔法について問いかけている。
レーメは首を傾げて答えた。
「魔法の使い方?ティオも使いたいの?」
「ち、ちげーよ!!ただどんな風なものなのか知りたいだけだってば」
何故かうろたえて答えるティオの態度に、レーメは更に首を捻った。
「魔法は世界に散らばる要素を集めて使うもの」
「要素?なんだそりゃ?」
「火、水、風、……そう言った自然のもの。それが要素。でも要素を自由に動かすのは精霊にしか出来ないこと。精霊は要素を動かす役割を担っているから」
レーメはティオの隣に腰かけ、説明を始める。
「んっ?精霊だけが要素を動かせるのか?じゃあレーメはどうやって魔法を使っているんだよ?」
「魔法使いは精霊に語りかけて、要素を動かしてもらってる」
「語りかける……?もしかして、レーメが魔法を使うときに歌を歌っているあれか?」
「そう。でも、歌じゃなくてもいいの。踊りでも、話すだけでも、伝わりさえすれば」
ティオは左の掌を皿のようにして右手の拳で打ち付け、納得の態度を示した。
「じゃあオレにも使えるってことか!」
「ティオには精霊が見える?」
「精霊?どんなの?」
「……。じゃあ、無理」
どんなものかを説明される前にレーメに断言されたティオは頭をガクリと項垂れた。
「なんでだよ?!」
「精霊に語りかけられないと魔法は使えない。ティオが精霊がどんなのか分からないなら、語りかけられないのと同じ。だから無理」
「ちぇー」
ティオはたいして残念そうでもない様子で舌打ちをすると、レーメはふと思い出したことを呟いた。
「あとは、魔術というのもあるみたい」
「魔術?初めて聞いたな。魔法と違うのか?」
「わからない」
「へ?」
「本で読んで名前だけ知ってる。だからどんなものかわからない」
「へえ。じゃあ俺に使えるかもわからないか」
レーメは頷いてから、ティオの背負う弓を一瞥した。
「ティオには弓矢があるのに」
「だから弓矢は……なあ……」
結局のところレーメにとっての疑問はその一点だ。会話が一周したことにより、ティオは聞こえないとばかりにぼやくのだった。
≪成人手帳≫に一つ目のスタンプを押した二人は、次のスタンプを押すために≪成人の儀≫の受付役所のあるノストへ向かっている。ノストはティオの故郷でもある。
時折起こるトラブルにより予想外の寄り道をしているうちに、ウェリア出発から数えて数週間は経過していた。とはいえ、現在地からノストへは、もう間もなくで辿り着けるだろう。
緊張しているのだろうか。気づけば自らの故郷が近づくにつれてティオの口数は少なくなっていた。普段とは違う様子の彼の後を、レーメは戸惑いながら着いていく。ティオが落ち着いているのとは対照的に、レーメは落ち着かない気持ちでいる。
「ノストに入って大丈夫?」
ふと不安を覚えた彼女が、彼の背中に向かって言葉を投げかける。
「ん?あ……ああ……」
ティオは振り返り歯切れ悪く答えると、主張の激しい尖った髪を掻いた。普段は考えなしに行動しているように見えるティオだが、故郷に対して思うことがあるようだ。
「もしかすると入った途端に追い出されるかもな」
「追い出される?」
「オレが『暁が綺麗だ』って言ったって話は、ジジイに聞いただろう?それを知ってるのって親父とお袋だけじゃねーんだよ。あの街の奴らは大体知ってるはずだ」
「うまいことスタンプ押せるといいな」と呟くとティオは再び歩き始めた。悲しそうに俯く彼の後ろ姿を見て、レーメは心が締め付けられる感覚に陥った。
気づけば彼女は、まるで彼を励ますような言葉が口にしていた。
「……私の替えの服いる?」
「へっ?なんで??」
背を向けていたティオが振り返り、目を点にしてみせる。レーメは自らの背中にあるフードを指し示した。
「フード付いてるから顔隠せるの」
「だから見つかってもティオだとわからない」と言わんばかりのどこか得意げな表情を、レーメはティオに向けている。最初は彼女の言葉の意図がわからなかったティオだが、それがわかると彼は思わず吹き出した。
「ぶ……はははははっ!!!」
「な、何?」
今度はレーメがキョトンとしてしまった。ティオがどうして笑っているのか理解出来ない。ただ、その笑い声はサンドウィッチの時のような、不安を感じるものではなかった。
そんなレーメを余所に、ティオは腹を抱えて大笑いしている。
「なんだそれ、オレが女物の服着たらもっと怪しまれるだろっ!!」
ティオは自分が女装した姿を想像したのだった。それはそれは不気味な程に似合わない姿が完成してしまい、彼は自分の事ながらも吹き出してしまったのだ。
レーメはと言うと、ティオとは対照的に特に問題視しなかった。可愛らしい服を着て髪の毛を逆立てている彼の女装姿を想像してみたが、彼女には何がおかしいのかわからない。彼女は首を傾げて想像に更なる速度を加えた。
「そう?……フード被ると、髪の毛がフードに刺さるから?」
「ぶっ!!ちげーよ!!問題はそこじゃねーよ!」
「違う?でもティオの髪の毛は痛そう。フードに穴空くかな?」
「だから違うっつーのっ!!そう言う意味じゃないっ!!!」
そんな何気ない会話をしながら歩いているうちに、気づけばティオの口数も元通りになっていた。
ティオが多少元気を取り戻したことでレーメは嬉しくなり、彼女は自分でも気づかないうちに仄かな笑みを零す。その表情は、時折後ろを振り向きながらも前を進むティオに見られることはなかった。
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