第17話 電鋼鉄火作戦(4)

 Ashley 1994年8月1日 8時30分48秒 キングスポート宇宙港


 宇宙船に乗るのはその時が初めてだった。船酔いというやつも、スッカラカンな記憶を辿った限りでは初めてだった。宇宙船内は人工重力で地上と同じように動けるから大丈夫などとギルテロが得意げに話していたが、一体何が地上と同じだったというのか。成層圏を抜け出すあたりからぷかぷかと体が浮き始め、何度も何度も狭い部屋の壁や天井に叩きつけられたではないか。私は怒りと痛みに身を震わせながら、従者クラウザーのゴツゴツした背中におんぶされて忌々しい空飛ぶ鉄のエチケット袋を抜け出した。


「うう……何がオートメーション航海や。『嘔吐メーション後悔』に改名せい。朝飯のサンドウィッチとこんなにも早く再会するとは思いもせんかったわ……」

「ベッドの縁で頭ぶつけたのが三半規管に効いたのかもな。あの時のお嬢の叫びったらとんだお笑い草だったぜ」


 ギルテロが含み笑いする前に火の粉を飛ばしてやりたいところだったが、指先に魔力を送る気力さえ沸かなかった。私は大げさに歯ぎしりして、せめてこの男に嫌味な顔を見せつけてやろうと考えたが、ふと鼻孔をくすぐった潮風の臭いに気を取られ、下らないやりとりは始まることさえなかった。


「孤星天におった時は海なんかちーっとも見れんかったからなぁ」

「俺らが行動したのは内陸のほんの一部さ。よかったじゃねぇか、魔天は海しかないぞ」


 ガキんちょ一人と、古風な騎士と、元傭兵。奇妙な三人組で、しかも犯罪者集団。誰一人私たちの正体に気づかないのは、クラウザーの光の魔法で周りからは全く別人に見えているからだ。


 私はふと気になって、宇宙港の中心部の建物の窓から外の様子を覗いた。私やクラウザーはともかく、エスコートを気取っていたギルテロでさえも、魔天の風景に衝撃を受けざるを得なかった。紫色の空に巨大な都市。海から延びる真っ白で巨大な支柱が、円盤状の人工大陸と、その上の街を支えているのだ。


「ぎょーさん街が重なって、“サルノコシカケ”みたいやな」

「……さ、猿の……? なんだって?」


 ギルテロと、窓に写ったクラウザーの顔が同時に疑問符を浮かべた。


「……何やろな、サルノコシカケって」


 私はまた、ぐったりと騎士の背中にもたれ掛かった。なんだか船酔いとは別の要因で胃のあたりがモヤモヤグワングワンとしたのだ。


「……折角ここまで来たのです。長旅の疲れを癒す、という言い訳のもとで、どこか観光地にでも行きませんか?」

「お、おう!そりゃいいアイデアだ。遙々孤星天からやって来たんだ。ここは首都だし……そうだな、魔天らしく海に関係するところとかどうだ?水族館とか」

「水族館……お魚とか観るとこやな」


 ギルテロが「食えないぞ」と釘を差してから、側にあったスタンドからチラシを一枚取った。如何せん私は『第二ベーシック』という文字が読めないから、書いてある言葉は蠅の死骸が並べられているようにしか見えない。『第一ベーシック』は不思議と読み書きできたし、ギルテロに言わせればかなり高度な検定にさえも合格できそうなほど達者とまで言われたが、別にそんな気がしないのは何故だろうか――――。


「ギルテロ殿、とりあえず宿を手配しよう。我々には拠点が必要だ」

「そうだったな。そう言えば俺、昨日まで野宿ばっかりだったから、ベッドが恋しいぜ」


 固い地面とはこれでオサラバだと思えば、何となく気が楽になって、酔いも醒めたような気がしなくもなかった。思えば、少なくとも記憶をなくして以来のまともな都会だ。記憶をなくす前の私が都会っこだったか田舎娘だったかは定かでないが、あの胸躍る感覚は中々味わえないだろう。水族館は勿論、ホテルのふかふかのベッドも楽しみだった。


 しかし、唐突に脳裏に一抹の不安が過ぎった。私は迷うことなくそれを言葉にする。


「ギルっちさ、孤星天じゃ結構有名人やん? ウチやクラウザーも騎士に顔が知れてるん思うけど……こっちでは平気?」


 先導していたギルテロが素早く振り返り、首を横に振った。当然、ネガティブな意味だ。


「私たちは連合軍の兵士を殺している。人数の多い少ないの問題でなく、やったかやっていないかが重視されている。私とアシュレイ様は……あのときのアザトスという騎士にマークされているだろう」


 クラウザーの言葉は胸を刺すようだった。凶悪な力を振るった拳の熱さ、痛いほど高鳴った心臓の鼓動……そして文字通り消し炭になった兵士。私は恐怖と怒りを抑えきれず、一人の人間を葬っている。時間が経ったのにあの痛みが脳と右手に焼き付いて離れない。


「騎士様とお嬢はわからんが、俺は孤星天で指名手配されてた。国際的にって訳じゃないが、軍人にバレたらタダじゃ済まないだろうな。あ、俺喉乾いたわ。お前らもなんか飲まないか?」


 不安をぬぐい去ることはできなかったが、三人はせめて前向きに振る舞おうと思っていた。だから雰囲気が暗い方向に流れる度に、私は無理矢理でも話を逸らした。クラウザーがギルテロに硬貨を三枚渡すと、ギルテロは「行ってこいってか」と言いたげな顔をして自動販売機に向かった。そういえば、私は自動販売機を見るのは全く初めてではないのかもしれないと、ふと気が付いた。孤星天では露天で飲み食いしていたが、こっちに来て無意識に自販機を探していた。つまり、私は元々自販機が当たり前に設置してあるような場所に住んでいたかもしれないのだ。


「おらよ」


 ギルテロが放り投げた二本の缶ジュースをクラウザーが胸元でキャッチした。缶入りの飲み物が珍しいのか、色とりどりの果実が描かれた金属の筒をマジマジと舐めるように見回していた。その内の一本を私が受け取って、クラウザーの目の前でプルタブを開けて見せた。


「一回引っ張って、戻すんや」

「ほう、文明の進化は目を見張るものがありますな!」


 大げさに驚いてから、クラウザーはゴツゴツした太い指先で器用にプルタブを開けた。


「ところでこれ、何味?」

「果物の果汁を混ぜた飲み物だ。美味いぞ」


 缶にプリントされた果物の内、オレンジとリンゴは分かったが、見たこともない果物がいくつもあった。パイナップルによく似た形をしたトゲトゲの緑色のものや、半透明のゼリーの中に黒い球状の塊があるもの、短いキュウリのような緑色の皮の中から薄黄色の粒が沢山あるもの……ダメだ、形状や色からだと変な味しか想像できない。女だけど、男気でゴクっと行くしかない!私は目をつぶって思いっきり缶の中身を胃まで流し込んだ――――


「んっ……んおお!?」


 甘い! けど思ったより酸っぱい! 甘酸っぱい! これは良い、イケる! それなりに量のあるジュースを一気飲みしてしまった。


「おお、そんなに気に入ったか」

「うん! すっごい美味しい!」


 そんな私を見てか、クラウザーも恐る恐る缶を口に運んだ。後から聞いた話だが、記憶を覗ける光の魔法でも、味覚までは分からないらしい。


「これは恐れ入った。私の時代にも南国の果実の飲み物はあったが、この時代の飲み物と比べものにならんな」

「ははは、騎士様のお墨付きたぁ良い宣伝文句になるな」


 話を逸らす目論見は、見事的中したようだ。おかげで周りのものにも色々と目が向くようになった。大きい港だから騒がしいのは当たり前だろうが、どうも、人が多すぎる気がしたのだ。


「気になりますか?」

「……ううん」

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