那瑠の休日

「お前達の耳はお飾りか?」

「ごめん」

「ごめんなさい」

 高校二年の五月金曜日、私は学校の自習スペースで逹と葵のテスト用紙を見た。どれも赤点で、来週の追試で良い点を取らないと部活禁止を言い渡されている。

「授業中何してたんだ?」

「寝てた……」

「部誌の原稿を……」

「まず授業を受けてくれ、頼む」

 私は溜息を吐いて当たり前の事を言った。

「今回のテストはほとんど授業でやった問題から出題されてたんだぞ。先生もそう言ってただろう?」

「うん……」

「はい……」

 二人ともしゅんとして頭を下げている。しゅんとしたいのは此方の方だ。

「今度の土日は私の家で勉強会だ、分かったな」

「はーい」

「いいの?」

「いいも何も、お前達が嫌ならやらなくていいんだぞ?」

「やる」

「やらせてください」

 蓮は欠伸をしながら隣で私たちの会話に耳を傾けている。

「それって俺も強制参加?」

「もちろんだ、私一人で二人の面倒は見切れない」

「了解」

 蓮はあーあ、と言って言葉を続けた。

「部活禁止になったら俺が困るからなあ。葵はともかく逹には部活に来てもらわないと」

「じゃあ今日は解散。私と蓮は部活に行くから、逹と葵はテスト直ししなよ」

「はーい」

「分かった」

 私と蓮は連れ立って自習スペースを後にする。蓮がまた欠伸をした。

「眠い?」

「部活行きゃ眠気なんて飛ぶ」

「そうか」

 私達は部室でそれぞれ着替えてからコートに向かう。そこではもうほとんどの部員が準備運動を済ませ、コート内で打ち合いをしていた。私達も準備運動を済ませてコートに入る。

「那瑠ちゃん遅かったねー、何かあった?」

「弟が赤点取ったんでちょっと叱って来ました」

「ありゃまあ逹くんが」

 先輩の結城真純が私の相手になってくれた。結城先輩は学校内でも人気のある人で、綺麗と言うよりかは可愛らしい容姿である。

「じゃあ、行くよー」

「はい!」


 部活後、私と蓮は特に何も話す事も無く手を繋いで帰路に就いた。付き合っている訳でもなかったが何となくそうしている。帰ったら逹は勉強しているだろうか。それだけが気がかりであった。

「逹は勉強してると思う?」

「してるんじゃない?知らないけど」

「してると良いなあ」

 ぶらぶらと繋いだ手を振りながら溜息を吐く。

「大丈夫だって、逹も葵もやれば出来るんだから」

「そうだと良いんだけどなあ」

 蓮はクスクス笑った。蓮が笑うと何だか安心する。心地好い時間はあっと言う間に過ぎる物で、私達は家の前に着いた。

「じゃあ、また明日」

「おう、じゃあな」

 私達の家は隣だったので、玄関先で別れそれぞれ家に入る。

「ただいま」

 家に入ると母がもう帰って来ていて、夕飯を作っている最中であった。

「おかえり那瑠」

「うん、今日は仕事早かったんだね」

「そうなの、今日は那瑠の好きなオムライスだよ」

「やった」

「手洗いしたら、逹の事呼びに行ってくれる?もうご飯出来上がるから」

「分かった」

 私は母の言いつけ通り手を洗ってうがいをし、逹を呼びに二階に上がる。

「逹、ご飯だって」

「那瑠!おかえり、テスト直し終わんないよお」

「ご飯が終わったら見てやるから頑張れ」

「ありがとう!」

 私達は揃ってキッチンに行き、母が作ってくれたオムライスの前に座った。

「いただきます」

「いただきまーす!」

「はいどうぞ」

 手を合わせてスプーンを取る。私達は暫く無言で食事をとった。特に話す事があったわけではないが皆無言である。ふと母が口を開いた。

「逹、今回のテストどうだったの?那瑠は心配無いでしょうけど」

「……」

 逹が無言だったので代わりに私が口を開く。

「全部赤点だったよ」

「あらら、追試は?単位は大丈夫でしょうね?」

「追試で合格すれば単位は大丈夫」

「それなら良いんだけど。那瑠、勉強見てやってね」

「うん、明日と明後日勉強会するつもり」

「よろしくね」

「うん」

 逹は黙々とオムライスを口にしながら私たちの話を聞いていた。私は何とか言ったらいいのになと思いながらスプーンを動かす。

 皆の皿が空になって、私達は自室に籠ることにした。逹に勉強を教えてやらなければならない。私はテスト直しをさせて、分からない所があったら質問してもらう様に逹に言った。逹は分からない所を何度か私に質問した。私は逹が分かる様に説明してやる。逹は呑み込みは早いので、直ぐに問題を解いた。

「やれば出来るじゃん」

「先生の授業がつまらないのがいけない。那瑠が先生だったら真面目に聞くのに」

「そうか?私は面白いと思うけど」

「俺、やっぱり聖南高校にした方が良かったのかなあ」

「そんな事ないって。さ、続きやろう」

「うん」

 そうして時間は過ぎていき、気が付けば時計の針は十二時を指していた。逹が欠伸をしたのにつられて私も欠伸をする。

「そろそろ寝る?」

 私が逹にそう訊くと、逹は首を横に振った。

「今の問題だけやっちゃいたい」

「オッケー」

 私は逹が言う問題の解き方を教えてやり、スマホのアラームを掛けた。明日は九時に葵が家に来る予定なので、その為である。

「解けた!」

「おー、やったね。よく出来たじゃん」

「教え方が良いせいだよ」

「そんな事ないって、逹が頑張ったからだよ」

「へへ、ありがとう」

 逹はそう言って二段ベッドの下に潜り込んだ。

「那瑠、ありがとう、明日もよろしくね」

「ああ、ゆっくり休めよ。おやすみ逹」

「おやすみ那瑠」

 電気を消して私も二段ベッドの上に登る。明日部活が無くて良かったと思いながら、私も目を閉じた。


「おはよう那瑠!」

 アラームが鳴る前だった。逹が梯子に登り、私の顔を覗き見ている。

「おはよう……何時?」

「八時半」

「もうすぐ葵来るね、ご飯食べた?」

「俺も今起きたところ」

「そっかそっか」

 私達は揃ってキッチンに向かった。母は仕事に出てしまっていたが、朝ご飯が用意されていた。

「早く食べちゃおっか」

「うん」

 私達は並んでキッチンの椅子に座ってサンドウィッチを頬張る。スープを急いで飲んで、私達は揃って手を合わせた。

「ごちそうさまでした!」

 私は食器を流しに持っていき袖を捲る。

「私皿洗いしちゃうから、勉強始めときな」

「はーい」

 私はリビングに勉強道具を広げた逹を確認して皿洗いを始めた。逹は唸りながら問題を解いているので、私は急いで皿洗いを済ませてリビングに向かう。

「どこが分からない?」

「ここの計算が合わない」

「ここ、違う公式使ってる」

「ホントだ」

 逹がありがとう!と言ってまた問題を解き始めたので、私はそれを見守った。するとそこで呼び鈴が鳴った。

「今開けます!」

 私はそう言って玄関に向かう。玄関のドアを開けると、蓮と葵が揃ってそこに居た。

「おはよう那瑠」

「おはようさん」

「二人ともおはよう。さ、上がって」

「お邪魔しまーす」

「お邪魔する」

 二人が家に入り、皆で逹が勉強している横に座る。

「那瑠、これ私のお母さんから」

「え、何?」

「プリン作ったから持っていきなさいって」

「そんな気を使わなくていいのに」

「まあまあ、おやつに食べようよ」

「そうだな、ありがたく食べさせてもらおう」

 私は手渡されたプリンの袋を冷蔵庫にしまい、逹の横に座った。

「よし、やるぞ」


 勉強は順調に進んだ。私と蓮は予習をしながら葵と逹が分からない所を教えていく。

 昼の分も母が作り置きしてくれていたので、皆でそれを食べた。

 時間はゆっくりと流れていく。

「那瑠、ここの公式ってこれだっけ?」

 葵のノートを見て私は頷いた。

「そうそう、よく覚えてんじゃん」

「まあね」

「その調子で頑張れ」

「ありがとう」

「お腹空いたあ」

 隣で逹がお腹を鳴らしたのに皆で笑う。葵が笑いながらプリン食べようか、と言ったのに、逹は満面の笑みで頷いた。

「食べる!」

「今持ってくるからその問題だけ解いちゃいな」

「分かった!」

 逹が猛烈な勢いで問題を解くので、私達はまた笑う。私がプリンと人数分のスプーンを持ってリビングに向かうと、机の上は綺麗になっていた。

「お待たせ」

「わーい」

 葵が、美味しいと良いんだけど、と言ったのを私は聞き逃さなかった。母親に持たされたと言っていたが、きっと葵が作ったのだろう。

「食べようか」

「いただきます!」

 逹がスプーンを動かすのを葵が心配そうに見ていた。

「うわ、美味い」

「ホント?良かったあ」

 安堵の表情を浮かべる葵に、私は一人笑みを零しながら一口食べる。

「葵、美味しいよ」

「ありがとう」

「え?お母さんが作ったんじゃないの?」

「そうだよ!」

 逹の言葉に葵が少し大きな声でそう言ったので、私はまた笑った。

 プリンを食べ終わったので私達はまた勉強を始める。相変わらず逹は頭を悩ませ、蓮を質問攻めにしていた。蓮は苦笑しながら丁寧に解説をしてくれる。私も葵に解説をしながらのんびりと予習を済ませた。


 二人のノートが解いた問題でいっぱいになった頃、夕方五時になっていた。

「結構やったな」

「俺疲れたあ」

「お疲れさん」

 逹がどっと溜息を吐いて机に突っ伏す。私と蓮は苦笑しながら逹の背中をポンポンと叩いた。

「私、明日は一人ででもやれそう」

 葵がそう言うので、逹は少し寂しそうな顔をする。

「えーマジ?」

「マジ」

 葵は机の上を片付け始めて帰り支度を整えた。私達は葵を見送るために玄関へと向かう。

「それじゃあ、また月曜日」

「ああ、気を付けて帰れよ」

「うん、またね」

「バイバーイ」

 逹は手を振って葵を見送った。私達はリビングに戻り、これからどうするか話し合う。

「私は明日部活に行くけど、逹はどうする?」

「俺は勉強しないとやばそうだから明日は休むよ」

「分かった、顧問に言っておく」

「明日は九時から十二時か」

「そうだね」

 蓮がぼんやりと電球を見ながら呟いた。逹もつられて電球に目をやる。

「逹が居ないと部活にならねえんだよな」

「そうだよね、ペアだもん」

「ごめんって」

 逹は心底すまなそうな顔をして手を合わせた。

「その代わり追試終わったら自主練付き合うから」

「存分に付き合ってもらおう」

「程々にお願いします」

「手抜きはしない」

「ひー」

 私は二人の会話に耳を傾けながら苦笑する。蓮は練習の鬼だから、逹はへとへとになるまで付き合わされるだろう。目に見えた。

 私達はそれから逹の勉強を少し見てやって、蓮が帰るのを見送った。

「どう?明日一人でもやれそう?」

「多分」

「直ぐ帰って来るから」

「分かったあ」

「じゃあ私はご飯作ろうかな」

 私はそう言って夕飯を作るためにキッチンへ向かう。何か作れる物は無いかと冷蔵庫を覗き込んだ。

「俺ハヤシライスが食べたい」

 リビングからのんびりとした声で逹がそう言う。

「ハヤシライス?作れるかなあ」

「材料無い?」

「いや、ある」

「やった」

「じゃあハヤシライス作るよ、逹はテスト勉強してな」

「はーい」

 逹が勉強をし始めたのを確認して、私は早速夕飯を作り始めた。ぐつぐつと玉ねぎを煮込んで、牛肉を入れ、ルゥを溶かす。簡単な工程で直ぐにハヤシライスは出来上がった。

「めっちゃ良い匂い」

「お母さん帰ってきたら食べような」

「うん!」

 そうしてまた逹の勉強を見てやる。本当に授業さえきちんと受けていれば赤点なんて取らないだろうという位、逹の呑み込みは早かった。

「なんで授業中寝ちゃうんだ?」

 私はふと疑問に思って逹にそう訊いてみる。

「だって、話がつまらないんだもん」

「つまらないかなあ?」

「つまんないよ」

「そっかあ」

 私は腑に落ちない感じではあったが、無理矢理そういう事にして話を進めた。

「じゃあどういう授業なら面白いんだ?」

「そりゃ……」

 逹はうーんと唸って、頭を抱える。

「分かんない」

「分かんないかあ」

「あ、那瑠、予習写させて」

「いいよ」

 私は苦笑しながら先程書き終えた予習のノートを逹に貸してやった。逹がノートを写している途中で、母が帰ってきた音がしたので、私はハヤシライスを温め始める。

「ただいま」

「おかえりなさい」

「おかえりなさーい!」

 私達の声が揃って、私はクスリと笑った。

「あら、いい香り」

「ハヤシライス作ってって、俺が頼んだ」

「もう温まるから直ぐに食べられるよ」

「そっかそっか、ありがとう」

 母は鞄を定位置に置き、手を洗って食卓に着く。私はハヤシライスを皿に盛り付けて、二人の前に置いた。

「じゃあ、いただきます」

「いただきまーす!」

「どうぞ~」

 私達は手を合わせてスプーンを取る。二人とも美味しいと言って食べてくれたので嬉しかった。

「那瑠、逹の勉強はどう?」

 母が水を飲んでグラスを置き、そう訊いてくる。

「赤点取ったのが不思議な位順調だよ」

「あら、そうなのね、良かったわ」

「那瑠が先生なら俺頑張れるよ」

「ふふ、那瑠は将来教師になるかしら?」

「分かんないなあ、まだやりたい事も決まってないし、視野には入れとくよ」

 私は正直にそう言ってグラスを取った。水を飲んでグラスを置き、残っていたハヤシライスをかきこむ。

「逹、残りの勉強済ませちゃおう」

「うん!」

 逹も乗り気になってくれたので、私と逹はスプーンを置いた。

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

「皿洗いはお母さんやるから、勉強頑張ってね」

「ありがとう」

「よーし、やるぞ~」

 皿洗いを母に任せて、自室に引きこもる。逹は分からないと言っていた化学の教科書と問題集を出して、ノートを広げた。

「どこが分からないんだ?」

「全部!」

 私はお手上げをして溜め息を吐いた。


 翌日、朝八時。まだ眠い目を擦って二段ベッドから降りた。逹がお腹を出して寝ていたのでそっと布団を掛けてやる。部活に行く準備を整え下階に向かい、軽い朝食をとった。皿を洗ってしまい、手を拭いてテニスラケットのバッグを背負う。外は快晴。絶好のテニス日和だ。

 外に出ると蓮がそこで待っていてくれた。

「おはよう蓮」

「那瑠、おはようさん」

「行こう」

「おう」

 私達は聖南中学校前からバスに揺られ、聖北高校前で降りる。バスから見えたテニスコートでは、もう先輩や同級生の姿があって、私達は少し急ぎ気味にコートへと足を運んだ。

「おはようございます」

「那瑠ちゃんおはよう、あれ、逹君は?」

 結城先輩がかわいらしく首を傾げて訊いて来たので、苦笑しながら答える。

「追試あるんで、テスト勉強させてます」

「あー、なるほどね、一昨日言ってたもんね」

「はい、そういう事なんで今日は逹、休みです」

「了解!」

 私と蓮は準備運動を済ませ、別々のコートへ入った。男子の先輩が蓮の相手を始めて、私も結城先輩と練習を始める。

「それにしても、那瑠ちゃん、中体連では全国行ったって聞いたけど!」

「はい、シングルで行きましたよ!」

 シングルで打ち合いをしながら結城先輩は大きな声で話を始めた。

「羨ましいな!那瑠ちゃん位上手かったらなあ!」

「先輩お強いじゃないですか!」

「那瑠ちゃんに比べたらまだまだだよ!」

 私達は打ち合いにのめり込んで行く。休憩時間になるまでそうしていたが、顧問の先生が止めに入ったので、打ち合いは一旦やめになった。汗を拭って、結城先輩からスポドリを受け取る。

「はい、那瑠ちゃんの分」

「ありがとうございます」

「那瑠ちゃんってさ」

「はい」

 結城先輩が改まって私に向き合った。私も神妙な顔になって結城先輩の顔を見る。

「何考えながらボール返してる?」

「正直に言っていいですか?」

「いいよ」

「相手が打たれて嫌そうな所に返してます」

「昔から?」

「はい」

「やっぱりかあ。道理で去年一年の時からレギュラー入りする訳だ」

「ちっちゃい頃からそう言われてテニスしてたんで、なかなか直らないですよ」

「直さなくても良くない?」

「そうですかね」

「そうよ」

 私はスポドリを籠に戻してラケットを手に取った。次は点取るぞーと結城先輩が言ったので、私は笑みを零す。こうして打ち合いをしてくれる先輩は少なかったのでありがたい。

「よろしくお願いします!」

「こちらこそ!」

 私達は時間一杯使って打ち合いをして、心地好い汗を流したのだった。

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