特別編 シャクナゲのせい
~ 八月二日(木) ~
シャクナゲの花言葉 危険
駅前商店街の中心に作られた大きなショッピングセンター。
その中にあるライバル・バーガーの休憩室で。
ぼくの正面に座っているのは。
「あ、あの……、藍川さん?」
「なんなのナベっち?」
「ええと、その、帽子かぶらないと、また総支配人に怒られるよ?」
月曜日、総支配人が連れて来た新人さん。
頭にいつもお花を咲かせる新人さん。
彼女の名前は
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、いつも通りに可愛く結い上げて。
そこに花を挿して、ぼくの前で揺れているんだ。
でも、この髪形のせいで店内で義務付けられてる帽子をかぶってるとこ見たこと無いんだけどね。
「帽子なんか無くても平気なの。ナベっちはメガネの名に恥じず、石頭なの」
「メ、メガネと頭が硬いことは関係ないと思うけど……」
ひょうひょうとして。
ぼくの言うことをまるできいてくれなくて。
でも、困っている人に対しては女神のように親切で。
この時の藍川さんの笑顔は、それはもう眩しく輝いて。
……そんな笑顔が忘れられなくて。
初めて出会った時から何日も。
眠れぬ夜を過ごしているんだ。
「ナベっちは食べないの?」
その口にツナサンドを咥えながら、かわいいタレ目がぼくを見上げる。
でも、これに萌えている場合じゃないんだよね。
「だ、だめだよ、お店の商品を勝手に食べちゃ」
「けちけちしてるの。あたしのお店なら、青天井で好きなだけ食べれるの」
「あたしのって……、その制服の職場、だよね。藍川さん出向中なの?」
「よくわからないの。でも、ぴかぴかりんがケチなことだけは良く分かったの」
「えっと、だれ? ぴかぴかりんって」
「支配人」
……そう。
藍川さんは、終始おかしなことばかりするのに。
総支配人が直接連れてきた人なので。
誰も文句を言えずにいるんだ。
でも。
「こ、こんど総支配人を怒らせたら、クビになるって言われてたよね?」
「そんなことないの。あたしの商品開発能力が、身を助けるの」
「商品開発? …………ああ!」
なるほど、合点がいったよ。
「藍川さんは、開発部門の方なんだね」
「そうなの。主任さんなの」
どうりで。
総支配人自ら連れて来たのも。
制服がみんなと違うのも。
やっと納得だ。
……でも。
開発部門の主任さんだったとは。
きっと僕よりもずっと年上で。
きっと彼氏さんとかいるに違いない。
ああ、儚い恋だったな……。
「どうしたの? ため息なんて、ナベっちらしくないの」
「え、ええ。そうですよね。…………あの、主任? 一つ聞いていいですか?」
ぼくが上目遣いに尋ねると。
なにが気に入ったのやら、藍川さんはぱあっと笑顔を浮かべて。
「うむ! なんでも質問したまえナベっち君!」
ずいぶんご機嫌なようだけど。
どうせダメ元だ。
聞いてしまえ。
「え、ええと、主任は、その、かっ、彼氏とかいるのですか?」
「いないの」
「…………え?」
「そんなのいないの。……変?」
藍川さん、相変わらずの無表情で売り物のツナサンドをかじってるけど。
こ、これはチャンスなのかもしれないよね……。
にわかに鼓動が激しくなるのを自覚しながら。
ぼくは慎重に言葉を選びながら聞いたんだ。
「どど、どういった男性がタイプなんです?」
「うーん、そういうのはないの。ひとまず、新商品のアイデアを出してくれる人が良いの」
「……新商品?」
「新商品」
一見、自分の保身のためと思われるこの質問。
裏の意図を読めば、頭の回転がいい人が好みって言いたいんだよね?
い、いそげ。
頭をひねれ。
なにかヒントは無いか?
……藍川さん。
無表情ながらも、ツナサンドをおいしそうに食べてる。
うちではあまり売れないサンドイッチシリーズ。
その中でも一番売れないのがこのツナサンドなんだ。
ツナって、マグロだよね。
「…………マグロって、ハンバーガーになりませんか?」
開発部主任である藍川さん。
そのお眼鏡の具合を探り探りたずねると。
サンドイッチを指差したまま止まるんだ。
「そ、それじゃなくて。マグロのステーキとか、照り焼きとかをハンバーガーに出来ないかなと思いまして……」
「ピンと来ないの」
「で、ですよねー! 実は、ぼくもそう思っていたんです! ついこの間、マグロの解体ショーをやってるすし屋を見かけたんで、なんとなく口をついたと言うか……」
危ない危ない!
ご、誤魔化せたかな?
ちらりと様子を窺うと。
藍川さんは、サンドイッチをお皿に置いて。
ぼくをじっと見つめているんだ。
こ、これは不合格って意味だと思うんだ。
「……ナベっち」
「は、はいっ!」
「それなの!」
「すいません! ぼく、開発とかまったくの素人で新商品なん…………、え?」
「早速手配するの!」
藍川さん。
事務室の方へ走って行っちゃった。
…………え?
これって。
まさか。
ぼくのアイデア、合格って事?
「よ、よしっ……!」
確かな手ごたえを感じながらガッツポーズ。
こ、このまま、う、上手くいけば、ぼくは藍川さんを彼女に…………。
最高の達成感。
夢のような未来予想図。
ぼくはそんなことを感じながら背もたれに体を投げると。
今更、背中が汗でびっしょりだったことに気が付いたんだ。
いやあ、緊張したな………………。
大きくため息をついたあと、藍川さんの笑顔を思い出して再びガッツポーズ。
サンドイッチをお皿に置いた時には無表情だったのに。
一瞬で、輝く笑顔に変わったんだ。
そう、このサンドイッチを置くまでは。
………………サンドイッチを置くまでは。
…………サンドイッチ。
……えっと。
これ、藍川さんの。
食べかけ、だな。
ぼくは自分の中に。
初めて天使と悪魔が存在することを知ったんだ。
そして二匹の力が拮抗していたせいで。
いつまでたっても決着がつかなかったんだ。
だから。
いつまで休憩してる気だと怒鳴り込んできた店長が。
サンドイッチを捨ててしまうのを、見ていることしかできなかったんだ。
……こ、こんなことにならないように!
藍川さんに、早くアタックしなきゃ!
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