第31話 あたたかい場所2

 

 

 私ことシルファは、うかつにも特訓の最中に意識を失ってしまいました。

 コロネ達を帰した後の私一人と言う最悪の状況。

 しかし

 次に目覚めた時そこにあったのは、寒い夜空でも冥府の門でも無く。

 セレーネお姉さまの声とお顔でした。

 

 でも、なぜお姉さまが?

 一体何がどうしてどうなって、この状況へと至ったのでしょう?

 ここまでの記憶が全くありません。

 意識を失っていたから当たり前と言えば当たり前なのだけど。

 やはりここはお姉さまにお伺いするしかありません。

 

 しかし、なぜ?と口を開くよりも先に、私の視界はぐらりと揺れました。

 頭もクラクラとするし身体も重い、これは魔力疲労の症状です。

 でも、普段なら倒れる前にこの症状が出るはず……

 だめです。頭が上手く回らない。

 

「もう、シルファったら…まだ起きてはダメよ…?」

 

 そんな私の様子に気付くと

 お姉さまは手を伸ばし、私の頭を支える様にしながら自分の太腿へと導きました。

 これは所謂、膝枕の体勢です。お姉さまのお顔と白い胸元が見える素敵体勢。

 私の背を支えるのは寝慣れた寮のベッド。見える空も見慣れた天井。

 ここは私とお姉さまのお部屋。つまり、そう言う事です。

 

「お姉さまありがとうございます…でも着替えないと……」

「着替え?それなら……」

 お姉さまの好意は嬉しいけれど

 制服を着たままで、お姉さまの太腿をお借りするのは少々憚られてしまいます。

 だって私の制服はかなり汚れてしまっているはずだから。

 

 水に濡れ雪を浴び風に吹かれ、制服は嵐の中を抜けた様な散々な状態だったはず。

 そんな状態でお姉さまの太腿のお世話になるなんて、ありえません。

 だからタイを解こうと胸元に指を伸ばすのだけど。

 

「…あ、あれ…?」

 ありません。もしかして私、制服を着ていない?

 よくよく見ればお姉さまも着ていません。

 下着は身につけているけど、部屋で過ごすには少々不自然な姿。

 これは一体?私とお姉さまの制服はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 困惑する私に、お姉さまは苦笑混じりの笑みを浮かべ言います。

 

「制服ならばアインとバウが剥いで持って行ってしまったわ……」

 はい、納得しました。

 アインとバウはこの寮を管理する家事妖精の姉妹。

 あの二人に任せれば、制服は朝には完璧な状態で戻って来る事でしょう。

 でも剥いでって……

 しかも、私のだけでは無くお姉さまのまで。

 言いたい事は色々あるけれど、今回は仕方無いと思う事にします。

 状況が状況ですし、むしろ感謝しないといけません。

 

 ともあれ、着替えなくて良いとわかったので

 もう暫くの間、お姉さまの膝枕にお世話になる事にします。

 それに。

 部屋は温かいし、こんな姿で過ごすのも悪く無い気がしてきました。

 それから、お姉さまは私の状態が落ち着くの待って

 私が実習場から部屋へと戻るまでの事を教えてくれました。

 

 

 まず、私が倒れているのを見つけてくれたのは、キユウ先生である事を。

 キユウ先生は保健室を担当する治療術師ヒーラー

 どうやら、セルティス先生が私の事を伝えておいてくれたみたいです。

 

 キユウ先生が言われるに

 私達の様な魔王アルカナロードと契約直後の新米魔法使いは

 魔力限界を把握せずに魔法を続けた結果、倒れてしまう事があるそうです。

 だから私は魔力疲労を自覚する前に倒れてしまったのですね。

 

 セルティス先生は私が無茶をしないかと、心配してくれていたのですね。

 この件が解決したら、先生には改めてお礼を言わないと。

 まずはお姉さまにですね。この後の流れは容易に想像出来ますから。

 私、お姉さまに迷惑をかけてしまいました。

 

「…お姉さま…私……」

「ううん、貴女が無事ならそれでいいの……」

 お姉さまのお優しい言葉が今は心に痛い。

 いつもの私なら、お姉さまの優しさに素直に喜ぶ事が出来るのに。

 今は出来ない。それに私は……

 

 そうです!お姉さまに言わないといけない事があります。

 黙っている事は出来ません。だってお姉さまには隠し事はしたくないから。

 それがお姉さまと私の関係を変えてしまうとしても、です。

 

「…私、お姉さまに言わないといけない事があります……」

「シルファ…?」

 私は身を起こすと、お姉さまと瞳と瞳を合わせました。

 まだ少し頭がくらくらとするけれど、今は話を終えるまで持てば十分です。

 

 お姉さまは私がまだ十分で無いと見て、寝かせようとしたけれど

 私の瞳に気付くとその手を止め、静かに頷きました。

 お互いの体勢は整いました、後は私の覚悟だけ。

 

 言葉を待ち私を見詰める瞳。紅玉の瞳が私を見詰めている。

 幼き日からずっと、私を見詰め続けていた瞳。

 私の全てを知っている瞳。だから明かさないと。

 

「わ…私、魔法が……」

 

「うん……」

 

 

「ダメみたいです、その……」

 

「うん……」

 

 

「…あの……」

 

「うん……」

 

 

 出て来ない。

 お姉さまの顔を見ていると言葉が上手く出て来ない。

 

 息が苦しい。

 お姉さまとの会話がこんなにも苦しい日が来るなんて。

 

 もういっそ泣いて、大泣きして。

 お姉さまに抱き付いて、全てをうやむやにしてしまいたい。

 でもそれはダメ、やってはダメな事。

 

 お姉さまはそんな私でも受け入れてくれると思う。

 だけど、それをしたら私は先に進めなくなってしまう。

 お姉さまと一緒に先に進めなくなってしまう。

 だから、言葉を続けないと。

 もう一気に言ってしまおう。息を吸う、目一杯息を吸って。

 

「お姉さま私新しい魔法を使う事が出来ませんでした!」

 息と共に言葉を吐き出す。

 叫びにも似た声、こんな声お姉さまに聞かせたくは無かった

 でも、仕方が無い。今の私には感情を選ぶ余裕は無いのだから。

 なのに。言い終えると同時に零れた涙が手の甲へと落ち。

 弾けました。

 

 この涙は何の涙?

 お姉さまの期待を裏切ってしまった自分への情けなさ?

 新しい魔法を使う事が出来なかった自分への悔しさ?

 

 涙を止める事が出来ない、泣かないつもりだったのに。

 後から後から涙が溢れて出てしまう。涙が止められない。

 こんな顔、お姉さまには見せたくない。

 顔を伏せようとする私から、白い指が涙を拭いました。

 

「…シルファ…我慢しなくてもいいの……」

 お姉さまは囁く様に言うと、柔らかく私を抱きしめました。

 あたたかい。お姉さまはいつだってあたたかい。

 このあたたかさに身を任せてしまいたい。

 でも、今の私はお姉さまに甘える訳にはいきません。

 抱擁から逃れようとする私に、お姉さまはさらに言葉を続けます。

 

「知っているわ…貴女が困難を抱えてしまった事は……」

「…え、なんで?」

 その言葉に私は茫然とするしかありません。

 だってここまで覚悟を決めたのに、お姉さまは既に知っていたのですから。

 もしかして私の空回りですか?でも、なぜ?

 

「ん、キユウ先生が……」

「あ……」

 

 キユウ先生と言われ理解しました。考えてみれば単純で当然の事です。

 セルティス先生からキユウ先生へと伝わっているのならキユウ先生から私と同じ部屋であるお姉さまへと伝わるのは当然の流れ。

 

 そうでなくても、お姉さまの気質ならば。私の状況を見て何があったかを先生達に問い質すでしょう。

 もう、私ばかりが先走ってしまって、ますます情けなくなってきました。

 なのにお姉さまは非難も咎める事もせず言うのです。

 

「貴女が話してくれるのなら、それを聞いてから一緒に考えようと思っていた……

 でも…それがかえって、貴女を苦しめてしまったのね……」

 こんな事を言うのですから、お姉さまずるいです。

 

「シルファがお友達と一緒に頑張ったのは知っている……

 だから、今度は私が貴女と一緒に…ね?」

 お姉さまは私の腕の傷跡を指で撫でると、ふわりと微笑みました。

 

 大切な人にこんな顔を見せられたら、もう頼るしかないじゃないですか!

 むしろ、頼らない方がお姉さまの気持ちを蔑にする事に。

 溜息。意地を張っていた私が馬鹿みたいです。いえ、その物なのでしょう。

「ん、やっと…いつものシルファが戻って来た……」

「はい、お姉さま」

 今度は私の方からお姉さまに抱き付くと頬と頬を擦り合わせました。

 止まらないと思っていた涙も止まっています。

 もう隠す必要なんてない。だから今は甘えてしまいます。

 

「でもね…私、貴女が愛されていると知って、少し嫉妬したの…ふふっ」

 どう言う意味?と視線で問えば、お姉さまは視線で答えます。

 

 視線の先にあったのは、私の机に山積みになった揚げパンや菓子の山。

 山の頂上でひと際目立っているのはのはメッセージカード。

 でも描かれているのメッセージでは無くラクガキ。これはもしかしてコロネの顔?

 応援と同時に怒っているのがわかる。

 そうか、これはコロネ達からの御見舞いの品々です。

 明日、皆に謝らないと。一人で大丈夫と言ってこれだもんね。

 

「もうシルファが私だけの物ではないのは悔しいけれど……

 貴女は大勢の友人に支えられている……」

 ここまで静かな笑みを湛えていたお姉さまの空気が変わった。

 

「だから…諦めの言葉を口にする事は、私が絶対に許さない……」

 紅玉の瞳の奥に黒い炎が灯った。

 お姉さまが感情を剥き出しにした時に見せる瞳。

 心の奥底を見せる瞳。だからこそ、私はこの瞳を綺麗だと思ってしまう。

 今この瞳には私が映っている。剥き出しの感情が私へと向いている。

 お姉さまは私の事を心の奥底から想ってくれている。

 そして私も……

 

「はい、シルファはもう諦めたりしません…この先に何があったとしても」

「うん…それでいい……」

 言ってお姉さまは瞳を静寂へ戻すと、指で梳く様に私の髪を撫でました。

 髪を通る指が心地良い。

 心が穏やかになって落ちて行く様で、これは眠気?

 

「シルファ…このまま寝てしまってもいいのよ…?」

「はい、でも寝る前に……」

 言うと、上目遣いでお姉さまを見詰めてみたり。

 

「ふふっ、シルファったら……」

「はぅ?だって……」

 お姉さまは指で私の額を軽く突くと、呆れの混じる笑みを浮かべました。

 自分でも少し調子過ぎるのはわかっている。

 でも、今はお姉さまを強く感じたいのだから仕方ない。

 私は目を閉じるとお姉さまを待ちました。

 

 だけど、ここで目を閉じてしまったのがいけなかった。

 いえ、目を閉じるのはいつも通りだし、開けたままも恥ずかしいけれど

 でも今日に限って言うのなら、いけなかった。

 

 なぜなら……

 唇と唇が触れるよりも先に、私の意識は眠りの底へと落ちてしまったから。

 もし眠りの妖精がいるのなら、きっと悪戯っ子なのでしょう。

 せめてお姉さまの夢が見れたら…そんな事を思う間も無く

 私の意識は完全に落ちてしまいました。

 

 それでも……

 落ち切る直前、額に唇を感じたのは夢ではないはず。

 だって、今の私はこんなにも

 あたたかさに包まれているのだから

 

 

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