第25話 魔王(アルカナロード)2

 

 

『待っていたよ』

 

 聞こえた。確かに間違いなく聞こえました。

 でも耳にではありません、私の意識の中に直接聞こえてきました。

 子猫の様に甘える幼い少女の様な、それでいて私よりも年上に感じる声。

 これが魔王アルカナロードの声でしょうか?

 彼女が私の呼び掛けに答えてくれた魔王アルカナロードなのでしょうか?

 

 怖い気もするけれど、尋ねてみるしかないよね?

 セレーネお姉さまが言っていました『魔王アルカナロードは良き隣人であり私達の『最強の味方』と。

 大丈夫、私としての自我と意識ははっきりとしています。

 

 不思議な事だけど、身体の感覚は曖昧でふわふわとしているのに、意識だけは鮮明に感じるのです。

 むしろ普段よりも自分の存在を意識し、ここに自分があると感じます。

 だから言葉を考え相手に尋ねるには十分な状態。

 

 よし、シルファ行きます!

 

「あ、あ、あの、貴女が魔王アルカナロードなんですか…?」

 気合い入れるも出たのはこんな言葉、震えさえ混じってしまってもうぐだぐだです。

 もっと威風堂々としつつ、相手への敬意を込めるべきなのに。

 私ったらもう……

 魔王アルカナロード機嫌を損ねて怒らせてしまったらどうしよう。

 悪い悪い方へと考えてしまった私だけど、返って来たのは予想外の言葉でした。

 

  

『そうだよ!でも、もう少し待ってね?もうすぐだから……』

 

 

 え?

 あまりにも気さくな返答、この方が本当に魔王アルカナロードなのでしょうか?

 なんだか親しみさえ覚えてしまいます。お姉さまの言った事は確かだったみたいです、よかった。

 でも、もうすぐって何がもうすぐなのでしょうか?私としては出来る限り早く契約を結びたいのだけど。

 それでお姉さまに成功の報告をしたい、きっと喜んでくれるはずです!

 

『うん、思った通りの子だね!貴女と彼女の持つえにしは私達が───』

 

 えにし?『貴女と彼女』って、『私とお姉さま』の事でしょうか気になります。

 それに、魔王アルカナロードが私とお姉さまの事を知っていたのも気になります。

 私が儀式を始める前から知っていたってどう言う事なのでしょう。

 気になる事ばかり、でも疑問を感じるのは私に余裕があると言う意味。

 このまま魔王アルカナロードと会話を進めれば儀式は無事に終わるはず。

 

 でも、そうは簡単に行かない様でした。

 

「…あ?」

 重い。急に意識が重くなりました。

 眠る直前のまどろみにも似た、身体から力が抜け行く時の瞼の重さ。

 張り詰めた感覚が、一瞬の後に抜け行く様な感覚。

 気を抜けば本当に意識がどこかへと行ってしまいそうになる。

 

 消えそうになる意識を保ちながら、感覚を研ぎ澄ます。

 ここからだ。ここからが儀式の本番なんだ。

 それを私に教えたのは、新たな気配。

 何かが近付いて来る。それも大きな気配が近づいて来ます。

 

『───…この子、なのね…?』

 

 最初に聞こえた声とは別の声が聞こえました。感じた重さはこの声の主が齎した物で間違い様です。

 僅かな言葉を聞いただけなのに、私の身体の奥深くへと入り込み陶酔さえ覚えてしまう。力ある言葉は人を縛ると言うけれど、正にそれです。

 それにこの声、なんとなくだけどセレーネお姉さまと雰囲気が似ている気がします。

 

 でも、声の一部が聞き取れなかった。

 多分だけど、聞こえなかったのは特別な意味を持つ言葉なのでしょう。

 名前とか?

 魔王アルカナロードの名に関しては、セルティス先生の講義にあったはず。

 

『───様!はい!』

 

 最初の声がまた聞こえました。声の調子から会話を邪魔しては行けない空気が。

 暫く私は静かにしていた方が良いかもしれません。 

 

『そう、いい子ね』

 

『私もこの子がいいなぁ』

 

『駄目!───様が』

 

『もう…じゃあ…わたくしは……』

 

『ならば僕は…あの子かな?……』

 

『今回は面白い子達が揃ったわね』

 

 私の意識にどんどん声が聞こえてくる。一人だけでは無い、二人?三人?もっと居るのかもしれないけれど、姿を知覚する事が出来ない。

 

 知覚とは言ってもこの場合、意識の中だから目や耳で視たり聞いたりするのではありませんよ?魔力的な感覚で捉えた物を映像や音に変換して感じます。

 例えば高く聳える山の全体を知りたいなら遠く離れなくてはいけないでしょう?

 山が高ければ高いほど遠くへ離れなくてはいけないから、体力が必要になるし時間もかかる。

 それと同じ。

 彼女達を魔力的な感覚で視るにはあまりに大きすぎて、私の力で到達出来る限界を越えてしまっている。

 なんとか見ようと魔力を集中してみるけれど、極彩色の煌めきが見えるばかりで頭が痛くなってきました。

 だから、この声の主である彼女達の姿は、私の感覚では捉える事が出来ない。

 

 でもでも気になります!どんな人達が話をしているのか!

 だって、私置いてけぼりで話が進んでいませんか?いえいえ、私が話の中心である事は間違いないと思うのだけど。

 これが契約の儀式で合っていますよね?

 

『合っているわ……』

 

 わ?返事が返ってきましたよ?もしかして怒らせてしまったのでしょうか?

 なんだか声が重いです。私がそう感じているだけかもしれないけれど。

 

『よろしくね、信頼すべき新たなる友よ』

 

 大丈夫みたいです。好意的な反応に先程の重さも無く、むしろ温かく心地良さすら感じます。お姉さまに似ているからかな?

 あ、あれ?よろしくねって、つまりそう言う事ですよね?

 

「…は、は、はい?よろひくおねがいします!」

 噛みました。意識の中でも噛んでしまう物なのだと初めて知りましたよ。

 ともあれ、私と魔王アルカナロードとの契約が成立した様です。

 これで私も魔法使いとして新たな段階に進む事が出来ます。

 それにお姉さまに良い報告をする事も。

 

『ふふっ、可愛い…でも、これからよ……』

 

「?」

 声を上げて驚く余裕も無く、それは始まりました。

 …と言うより無くなった?床が消えた。私の立っていた床が突然無くなった。

 床が消えたらどうなるでしょう?下に落ちます。

「なんでー…!?」

 そもそも、意識の世界に床があったのかどうか怪しいのだけど。

 先程まで立っていたのだし。床と思っていた何かがあったのでしょう。

 

 とにかく私は落ちてます。一直線に落ちて行きます。

 明るくて暗い世界を私は落ちて行きます。

 朝と夜の混じり合った不思議な色の世界を落ちて行きます

 上げた悲鳴は跳ね返る事も無く虚空に消えて。

 伸ばす手はどこをも掴む事も出来ず。

 私は落ちて行きます。一直線に落ちて行きます。

 

 私はどうなってしまうのでしょう?落ちた先にあるかもしれない地面に?

 意識の世界での死は現実での死と聞きました。心が死ねば身体も死ぬ。

 困ります!それは困ります。

 私はお姉さまに儀式成功の報告をしたいし、コロネ達ともっと話をしたい。

 それにライラともまだ……

 

 悲嘆にくれる私の背を何かが激しく叩いた。

 直後、液体が跳ね上がり私を取り囲む巨人の王冠が現れた。

 赤い赤い果実酒色の王冠。

 

 これはきっと血だ、こう見ると私の血って綺麗かもしれない。

 痛みを感じないのは意識の世界だから?それとも痛みを感じる前に私が。

 どちらにしても痛いのは嫌だしありがたいな。

 けれど、何かおかしい様な?

 

「…あ?これ…血じゃな…もがっ!溺れる!?」」

 落ち続けた果てに、私は液体の中へと落とされてしまった様です。

 血と思ったのは液体の色。血の色に似た果実酒色の液体。

 落されて放り込まれて。もしかしてだけど、魔王アルカナロードさん私で遊んでますか?

 

 ぼやきながらも見上げれば、果実酒色の光が揺れながら降り注いでいる。

 幻想的な光景。でも、見惚れている余裕はありません。

 私の身体は深く深くへと沈み行き、光はどんどん遠く暗くなっています。

 足掻きたくとも、四肢に液体が絡み付いている様で動きません。

 でも、何かおかしい。かなりの危機的状況なはずなのに。

 

 もうかなり深くへ沈んでいるはずなのに、苦しくありません。

 口の中も鼻の中も液体で満ちている。

 こんな状態になれば息が出来ずに苦しいか、咽てしまうものだけど。

 私は普通に息が出来ています。

 

 試しにと、普段息を吸うのと同じに液体を吸ってみた。

 やはり苦しさはありません。

 意識の世界、常識通りに考えてはいけないのかも?

 口の中が絶えず甘いのが気になるけれど、溺れないだけ良しとしましょう。

 とにかく、死ぬとか痛いとか、そう言った危機は今の所無さそうです。

 余裕は出来たけれど、さてこれからどうしましょう?

 これが『契約の儀式』ではあるとは思うのだけど。

 

「ふぁぁ……」

 欠伸が出てしまいました。安心したからでしょうか?

 ここにセルティス先生が居たら怒られてしまいます、だけど今の私に出来るのは沈む事だけだし。

 そもそも、液体の中で欠伸や声が出るのが不思議です。

 疑問はあるけれど、ここはそう言う場所なのだと納得する事にしましょう。

 ともあれ、今はのんびりと構えるしか無さそうです。

 あ、気が抜けたらまた……

 

「あぁぁ……」

 あ?これは欠伸ではありません。甘さの混じる蕩けた声。

 自分でも信じられないほどの甘い声に、かぁっと顔が熱くなります。

 いえ、顔だけではありません、なんだか身体までが徐々に熱く。

 身体の奥からジワジワと熱が全身へと広がって行く。止める事の出来ない熱。

 特に胸や腰の辺りに言葉に出来ない何か、もどかしさにも似た感覚。

「こ、これが、そう…なの…?」

 

 私はやっと知る事になりました。

 メリッサが口にした『すごかった』の意味を。

 魔王アルカナロードの告げた『ここから』の意味を。

 

 多分だけどこの液体の正体は『魔力』だ、魔王アルカナロードの魔力その物。

 どうやら私は彼女が持つ、途方も無い量の魔力の海へと落されてしまった様です。

 つまり私は彼女の内に囚われた様な状態。

 私がこの後どうなってしまうのかは魔王アルカナロード次第。

 一言だけ言えるのは、この魔王アルカナロードさん、かなり……

 

「あ!?」

 余計な事を想ってしまったからなのでしょうか?液体がぬるぬると私の身体を撫で回し始めました。

 ううん、撫でると言うより這い回る?私の肌を何か透明な蛇の様な物が這い回っています。

 やはりこの魔王アルカナロードさん、こう言う事をするのが趣味な気がしてきましたよ?

 あ?もしかして、私また余計な事を言ってしまったかもしれません。

 だから、これ以上妙な事が起こらない様、慌てて謝ってみるのだけど。

 

「…あの…ごめんなさい余計な事思いました…!…ん…!」

 時、既に遅しだった様です。絡みつかれた部位がじわじわと熱くなってきました。

 熱はやがて疼きとなり、私の内と外から意識を蝕んで行く様で。

 でも抗いたくとも、手足は動かせず身動きも出来ません。

 もういっその事、このままこの感覚に身を任せてしまっても……

 

「だめだめ!儀式が終わるまでは……」

 弱い心に流れそうになったけれど、まだ儀式は終わっていません。

 今の私に出来る事は意識を保つ事だけ、それを手放したら終わりです。

 それに段々と解って来ました、『契約の儀式』とはなんなのかを。

 

 この液体が魔王アルカナロードの魔力だとするなら。

 彼女と契約するには、彼女達の魔力を受け入れ身体の内に宿す必要がある。

 そうする事で魔王アルカナロードと繋がり、その力を借り受け行使できる様になる……

 

 …と、一応は頭では理解したのだけど。

 這い回る感覚は変わらずに私を攻め続けていて、疼きはさらに強くなっていて。

 荒い呼吸に混じり出てしまう甘い声は、自分でも止める事が出来なくて。

 

 これに耐え続けるのは、やはり無理かもしれません……

 

『貴女…名前は…?』

 

 薄れ行く意識の中で声が聞こえました。

 ここに来て再び魔王アルカナロードの声が聞こえてきました。

 最初の甘える少女の声では無く、お姉さまと似た雰囲気の魔王アルカナロードの声です。

 もう少し早く話しかけて欲しかった気もするけれど、今は意識が頑張れるうちに話を進める事にします。

 

「し、しるふぁ…です」

 なんとか声は出ました。

 でも、若干ろれつが回っていないのは、私がへろへろになる寸前だから。

 この話をしている間にも、液体は私の身体を這い回り意識を蝕み続けているから。

 

『シルファね…良い名前だわ。貴女との契約を…結びましょう……』

 

「!?」

 間違いなく聞きました!『契約を結びましょう』と。

 お姉さま!シルファはついにやりました!

 魔王アルカナロードと契約を結ぶ事に成功しました。

 

 

『私は貴女の味方、私達は貴女達の味方』

 

 

 あ?まだ話は続いていますね?最後までしっかり聞かないと!

 魔王アルカナロードと契約した後の、これから先の重要な事柄があるかもしれませんし。

 それにこの声。お姉さまの声と似ているからなのか、聞いていると段々と気持ち良くなってきました、

 

 

『これは魔王アルカナロードの名において、嘘偽りなく…だから……』

 

 

「あ…?」

 顎を撫でられた様な感覚。声だけでなく、撫で方までお姉さまに似てるから。

 私の意識は一瞬飛びそうになってしまいました。

 ここまで私を翻弄する様な激しさだったのに、いきなり優しくするから。

 でも私耐えました!

 けど、やっぱりこの人(魔王)少し意地悪かも?

 

 

『誓いましょう…貴女と永遠とわに共にあらん事を……』

 

 

 その言葉を聞き終え、頷いたのを最後に私の意識は薄れ始めました。

 

 色々とされてしまったけれど、振り返れば怖いと言う感覚は無かったし。

 彼女なりのやり方で、私に優しく接してくれたのでしょう。

 こう思えてしまうのも、彼女の存在を先程よりも強く感じるから。

 

 彼女と契約を交わした事で、私の中に確実な何かが生まれました。

 それがなんなのか、今は確認しようがありません。

 なぜかと言うと、私の意識は予告も無く堕ちてしまったからなのです。

 それはもう綺麗にストンっと堕ちました。

 

 この後ちゃんと目覚めるといいな……

 

 

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