2★.制裁と心の恵み

 聖黎女学園は始業式前の一週間に入寮期間の制度を設けており、その間、ルームメイトと共棲できそうにない場合、双方の合意のもとで寮部屋の変更が可能である。

 だが、沙織子も千佳も一度もその制度を利用したことがなかった。


 千佳もまた、沙織子と居続ける理由を明かしたことはなかったが、彼女の場合、反りの合わない寮生とルームメイトでいる動機はハッキリと存在していた。


 沙織子リコはストレスをぶつける相手として非常に都合がよいのである。


 喧嘩ではない。あれは無為に疲弊するだけで肩が凝るというデメリットしか存在しない。「まるで実の姉妹の喧嘩みたいね~」と言われたこともあるが、断じて違うぞ。


(やっぱり、ストレス発散って言えばやっぱこれよ、これ!)


 小悪魔の笑みを浮かべつつ、ルチカは大きめのタブレットを取り出し、細められた赤銅色の瞳をさらに赤々と光らせてその画面を起動させた。


(この天下のルチカ様をコケにした罪は重いわよ~。うちがリコのことを徹底的に辱めてあ・げ・る!)


 軽やかに指を躍らせ、保存した画像を表示させる。

 見栄えのあるイラストはすべて、この少女が手掛けたものだ。一六歳の少女とは思えない職人技である。


 都丸千佳はイラスト同好会に所属しており、クオリティーの高さから、あちこちに制作を依頼されることが多い。もちろん、趣味で絵を描くことだってある。


 千佳の今開いたフォルダには『制裁用』というかなり物騒な名前が付けられていた。もっとも、中身はただのイラスト収納所であり、やたらと同じ色が目を引く。紅茶色の長いポニーテールの少女の絵——どう見てもモデルはルームメイトの赤城沙織子である。


 イラストの沙織子は様々な衣装を着せられているが、ある程度の傾向はみられた。品行方正を重んじる沙織子自身が見たら鼻血を吹いて卒倒するようなレベルの卑猥なものばかりである。


 ある作品ではメイド服を模した極小の布地のビキニを着ており、別のイラストの格好は無難な白ワンピースではあるが、服全体がびしょ濡れの状態であり、下着が上下とも完全に透けてしまっている。


 もっと凄まじいものもあった。そのイラストの沙織子はもはや服も下着も一切身に着けておらず、局部に泡を付けているのみの状態である。さらに脚を大股に開いて浴室のタイルに座り込み、紅潮した顔に扇情的な恥じらいを浮かべて、画面の向こうの千佳を睨みつけていたのであった。


 千佳はネグリジェに包まれた背中がゾクゾクするのを感じた。口元が緩んだのはあくまで自分の実力に対する陶酔と、ルームメイトを辱めさせたことによる愉悦からくるものであったが、ポニーテールの寮生に惚れ込んでいると誤解されても仕方のない光景である。


(フン、このルチカ様に恥ずかしくも華麗に描かれることを光栄に思うがいいわッ)


 小鼻を鳴らすと、千佳は一旦タブレットの電源を切り、棚にしまったアルバムを手に取ってそれを広げた。表紙に『心の恵み』と書かれたそれは、これまた同じ被写体で統一されていたが、こちらは赤城沙織子ではなかった。

 白い髪と金の瞳の持ち主の正体は、憧れのお姉様、一条黎明のものだ。


 黎明は妹の和佐と違って白髪を腰まで波打たせており、かんばせは二〇歳の割に幼げであるが、同時に深い母性をうかがわせた。彼女はたいてい肌をほとんど露出させない白のロリータドレスを着込み、その格好でメイドの風月を従えて寮内を闊歩していたのだ。やや場違いな壮麗さがあるが、それが似合ってしまうのが聖花さまのすごいところである。


 もっとも、写真に飾られている黎明さまは白ドレスの格好ばかりではなかった。風月とお揃いのクラシカルなメイド服や、和佐の着るようなハイウエストのロングスカート姿など……沙織子のイラストと比較して圧倒的に清楚なものが多いが、胸が豊満すぎるためか、ただ着ているだけで見るものの心にさざ波を立ててくる。ちなみに聖花さまの『ブロマイド』を撮影したのは子夜風月であり、メイドだけでなくカメラマンとしても優れていることを示していた。


 一分ほどお姉様の麗しいお姿を眺めた千佳は、シナプスに閃光をほとばしらせて勢いよく手を叩いた。


「そうだわ、バニーよ‼ あの口うるさいリコを悶えさせるにはこれしかない! よしッ、そうと決まれば、もうルチカ様の右手は黙っちゃいないわッ‼」


 お姉様の清楚なお姿からなぜバニーガールという発想にいたったのか、もはやルチカ様当人に問い合わせるしか理解は不可能である。だが、すでに彼女の頭の中ではイラストの構図まで鮮明に浮かび上がっていたようであった。


 再度タブレットを取り出し、専用のペンを使って衝動にうずく右手を動かし続ける千佳。

 そして沙織子が朝食から帰還したときには、イラストのアタリまで済ませていたのであった。


 戻ってきた沙織子が見たのは、余裕に満ちた表情でネグリジェから私服に着替えているルームメイトだ。彼女の服装に対して、呆れた声を出す。


「都丸さん、相変わらず好きねえ。そういう格好」


 そう言わしめたルチカ様のファッションは、黎明さまに負けないくらいフリルとレースを使ったロリータドレスであった。だが、彼女はお姉様と違って黒や紫をメインにしたゴシックロリータを愛用していた。「お姉様が光ならうちは影よ!」というのが理由だとか。


 大人しく座っていれば彼女自身がイラストや写真のモデルになってもおかしくない可憐さはあるが、もともと千佳は大人しく座ってくれるような性分ではない。しかも今はいいアイデアが思い浮かんだことにより、居ても立っても居られないというべき有様だ。ルームメイトの毒を、勝ち誇るような笑顔を浮かべて受け流す。


「ふふん、所詮リコのような平凡な女には、この衣装の良さなんかわかんないのよ~」

「平凡でなくたってわかんないわよ。というか、さっきまであれだけ不機嫌だったのにもう回復したわけ?」

「ん? ああ、お姉様に手を出した不届き者ならいずれ決着をつけてやるわ。今は思いついたアイデアを形にするのが優先事項よッ」


 ゴスロリ衣装に着替え終えた千佳は、タブレットを抱えて部屋を出ようとした。まさか沙織子も千佳のひらめいたアイデアが自分のバニーガール姿であるとは思いも寄らなかったに違いない。千佳は自身のストレス解消法について誰にも打ち明けたことがないのである。

 片眉をひそめて沙織子はゴスロリの寮生に問いかける。


「いつもの場所に行くの?」

「そうよ。邪魔したらうちの右手が黙っちゃいないわ」


 沙織子の言う『いつもの場所』とは寮棟区の図書館のことだ。一部が個室になっており、鍵はないが『使用中』の札をかけることで他人の介在を防ぐことができる。それを破ればペナルティーが発生するわけだから、生徒たちは忠実にそれを守っている。黙々とイラストを描くのには最適な場所と言えよう。


 鼻唄でも奏でかねない調子で千佳が部屋を飛び出すと、沙織子は腰に当てた両手を解き、ルームメイトが立ち去った扉をしばらく眺めていた。

 呆れた顔はとうに消え失せ、代わりに浮かんだのは気さくなおねーさんに似合わない、恐ろしく真剣な表情だった。

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