第五話 人気トラットリアの狂気

五品目『人気トラットリアの狂気』(1)

「最初の話ってなんでしたっけ?」

「ええ。食材が傷んでしまった話ですね」

「ああ、マジでガチなやつっすね」

「実は料理長と君にお願いしようかと思っておりまして」


 アイスコーヒーをストローで攪拌しながらギャルソンは笑顔でそう言った。

 新人の眉がピクリと動いた。


「それは…今夜っすか?今からっすか?」

「できれば夜にお願いしたいですね。昼間に何人も消えると、さすがに料理長の負担が増えてしまいますからね」

「俺の負担は考えてくれないんすかー。明日寝不足で遅刻しても知らねっすよ?」

「それは大丈夫です。『仕事』を終えたら我が家で夕食とベッドを用意しておきます」

「お泊りっすかー…了解っす」


 確かに、新人が『仕事』が終わった後にギャルソンの自宅である二階に泊まるのは珍しい事では無い。自宅にクーラーの無い新人には願ったり叶ったりだ。ちなみに新人の部屋にエアコンが無いのは、この店に勤める前の安月給チェーン店で働いていた時の名残である。家賃が安いからとそのまま住み続けている。

 余談が入ったが、新人はにんまりと笑った。台に両肘をついて、楽しみだと言わんばかりにその組んだ手の甲に乗せた顔、口角を歪めた。


「仕事なんて久しぶりっすね」

「なんて楽しそうな顔をしているんですか。ふふ、そんなところも頼りにしていますけれどね」

「ふひひ、楽しみっす。じゃあ…」

「仮眠ですね、了解です。料理長には一旦家に帰って、夜にまた来てもらいます。…あのままでは使い物になりませんから」

「了解っす。じゃあ、いつものベッド借りますね」


 そう言うと新人は目の前に置かれたアイスコーヒーのストローに吸い付いた。一気にそれを飲み干すと、コップを手に立ち上がる。そしてシンクに運ぶとことり、とまだ氷の残ったそれを置く。そのままギャルソンに手を振りながら裏手扉の脇にある階段をさっさと登って行ってしまった。勝手知ったる他人の家、である。ギャルソンはそれを見送ってから、ゆっくりとアイスコーヒーを飲み干した。


「さて、私は傷んでしまった『食材』の処理でもしますか」


 台に手を突いて、立ち上がるギャルソン。そしてシンクに置かれた新人のグラスと自分のグラスをスポンジで軽く洗う。それを綺麗に拭き取ると、元あった場所へと戻していく。


「ああ、料理長に帰っていただかねば」


 自分で言っておきながら、ようやく気付いた様にふと手術に使うような薄手の手袋を嵌めながらそう呟くギャルソン。両手にそれを嵌め終えると、裏手扉を開く。


「ちょっと忍さん!?」


 そこにはガレージのシャッター全開で触手を展開する料理長の背中が見えた。

 ギャルソンは思わず大声で叫んでしまった。ギャルソンが叫ぶなど滅多に無い事だ。それほどの事が目の前に広がっていたのだ。無論、誰が見ても悲鳴を上げる光景だ。幾ら人通りが少ないと言っても、なんてことをしてくれているのだこの男は。

 ガレージのシャッターボタンまで走るギャルソン、ボタンを叩いてから料理長の頭をはたく。


「シャッター全開はダメだと何回言わせるんですか!」

「……少しなら……いいかな、と……」

「何で少しならいいと思えたんですか、まったくもう…」

「きゃああああああ!」

「あ」

「……い……」

「いつぞやの私の真似はしなくて結構です。…ああ、ばっちり目撃された挙句、逃げられてしまいましたね」


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