看守と死刑囚

時雨ハル

死刑囚の話

 いつものように靴音をさせながら廊下を歩き、真っ直ぐに持ち場へ向かう。牢獄が見えてくると、安堵の表情を浮かべるルーリエが目に入った。

「待ちかねましたよー、先輩」

「だから早く来てやっただろ。明日は時間通りだからな」

「はいはーい。じゃ、また昼に来ますね」

 呑気に挨拶してルーリエは去っていく。ちらりと担当の囚人を見るとちょうど眼があう。ルーリエとの会話を聞いていたらしいが、奴はすぐに俯いて視線を外した。手つかずの朝食が扉の前に置かれている。

奴が死刑囚になってから一週間、俺が奴の担当になってから三日経つが、水はいくらか飲むものの食事にはほとんど手をつけない。腕時計に目をやると、そろそろ昼食が運ばれるはずの時間だ。

「五四一号」

 声をかけてみるが、奴は顔を上げようとしない。

「五四一号」

 再び声をかけてもぴくりともしない。この三日間、こいつが番号で呼ばれて反応した試しがなかった。いい加減学習して欲しいものだ。

「五四一号。……フィア・リベット」

 仕方なしに名前を呼ぶと奴は弾かれたように顔を上げた。薄い空色の瞳がこちらをじっと見つめる。

「なん、ですか?」

 掠れた声が問う。男にしては高くか細い声だ。奴のことを知らなければ女と間違えるかもしれない。

「間もなく昼食の時間だ。少しは手を付けろ」

「……はい」

 意外にあっさりと奴は頷いた。今まで食事を取ろうとしなかった理由を問いただそうかと口を開いたとき。ちょうど昼食の時間を告げる鐘が鳴った。ルーリエが食事をのせたカートを運んでくる。

「ガルドリア先輩、お疲れ様です。何か異常はありましたか?」

「特にない」

「はいはい、五四一号異常なし、と」

 ルーリエはいつものように不真面目な返答をして手元の書類に書き込む。それから手付かずの朝食を見てわずかに眉をしかめたが、黙ってそれを回収した。

「五四一号、昼食だ」

 いくらか厳しい声で告げ、受け口に昼食の乗ったトレーを置く。

「では、お疲れ様です」

「ご苦労」

 決まり切った挨拶と敬礼を交わして、ルーリエは次の牢へ向かう。次の牢まで妙に長い距離があるのは、このフィア・リベットは国家をも揺るがす大罪を犯したとして特に他の囚人から離れた牢に入れられているからだ。

 奴の犯した罪は秘術の持ち出しとその行使。その術で自分の暮らしていた街の一角を消滅させ、母親すらもその犠牲にしたという。その上兄が先の国境侵略で活躍した英雄として知られるエフリウス・リベットとくれば、新聞が書き立てない訳がない。面会の申し込みは後を絶たないが、奴は裁判が終わってからはその全てを断り、未だに誰とも面会は行っていない。

「あの、ガルドリアさん?」

 不意に背後から声がかかる。振り向くと昼食のトレーを持つフィア・リベットがこちらを見ていた。

「ガルドリアさん、でいいんですか、名前」

「シント・ガルドリアだ」

「ええっと……シントさん?」

「好きに呼べ」

「じゃあシントさん、えと、お昼ご飯は食べ終わったら、またここに戻しておけばいいんですか?」

 そう言って視線で受け口を示す。

「ああ」

 奴がここに入ったときに説明されていたはずだが、一応頷いてやる。

「ありがとうございます」

 か細い声で礼を告げ、微かに笑う。奴が食事を始めるのを確認してから正面に向き直る。

 しばらくは食器の音だけが響いていたが、数分の内に止んでしまう。振り返るとちょうどトレーが受け口に置かれるところだった。どう見ても半分以上が残っている。

「……全部食べないといけませんか?」

 困ったような顔で奴は俺の顔を覗き込もうとする。

「腹は空いてないのか?」

「いえ、そういうわけではなくて……ただ少し、食欲が無いというか」

「体調が悪いなら医者に、」

「あ、いえ、違うんです」

 俺の言葉を慌てて否定する。俺が黙っていると奴は俯き、ぼそぼそと呟いた。

「あの時のこと思い出すと、とてもじゃないけど食欲なんて出なくて」

 あの時、とは奴が秘術を持ち出したときのことだろうか。自分でやっておいてよく言うものだ。

「どうしたって、思い出しちゃって……」

 俯いているせいで表情は伺い知れないが、その身体は微かに震えている。

「すみません、こんな話……されたって困りますよね」

 奴は顔を上げ、泣きそうな表情で笑う。慰めるべきか無視をするべきか迷っていると作業開始のベルが鳴る。囚人達の移動が始まったようだ。この牢の前を通る者はいないが、一応正面に向き直っておく。フィア・リベットの言葉に返事をせず済んだことに安堵し、奴には分からないように溜め息をついた。

 十分ほどで囚人達の移動は終わり、辺りが静まり返る。

「シントさん」

「何だ」

 また背後からかかったフィア・リベットの声は弱々しく、わずかに震えている。その表情を確かめるために振り向く気は起こらなかった。

「話を、その……してもいいですか?」

 嫌だ、とは言えなかったが良いと言うのもためらわれた。俺が黙っていても、奴は急かそうとはしなかい。

 やけに長い数秒が経ち、仕方なしに口を開く。

「好きにしろ」

 俺の後ろ、檻の向こうで微かな吐息が聞こえた。

「ありがとうございます」

 表情が見えなくても、笑っているだろうことは予想できる。

「ただ、聞いてくれるだけでいいんです」

 そう前置きして、奴は掠れた声で話し始めた。

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