灯の舞台
俺とクルスクは集合場所、ユマシュワ通りに戻る。すると、そこには1時間前とは違った光景が目に映った。
往来の中央にロウソクで円が作られている。何十本ものロウソクには、火が灯されていた。
ロウソクの光に包まれた円舞台が出来上がっていたのだ。
「優しい光が辺りを照らして……すごく幻想的だ」
俺はほぅ……と胸を撫で下ろす。1時間以上前は殺伐とした場所だった。それが、こんなにも優しく、温かく変わるものかと。
「ああ。街灯が壊れていたのが逆に良かったな。子どもたちのアイデアが功を奏したのだ」
クルスクも今の往来の光景に目を奪われている。
足を停めていた俺たちの元へ、二つの小さな人影が走って来た。
「マルス兄ちゃん、お帰り!」
「クルスクおにいちゃんも!」
ニカと、ソーニャだった。
二人は一仕事を終えたような誇らしげな表情をしている。
「ただいま。二人とも、ロウソク集めと設置、ごくろうさま。こんな素晴らしい舞台になるなんて、君たちのおかげだよ」
「君たちだけでこれを?」
「ううん、ソーニャたちだけじゃないの。お母さんに理由を説明したら、手伝ってくれたよ」
「うん。それで、ソーニャのかーちゃんが近所のオバさんたちにも協力を頼んだんだ。大人たちだけじゃない、みんなも」
ニカは周囲に首を振る。
俺も周りに視線を移せば、一人の女性と目が合った。彼女は頭を下げる。あの人はソーニャのお母さんだ。俺も頭を下げた。
彼女以外にも、10人ほどの大人たちがいた。それに、子どもたちも。子どもたちは、教会で授業を受けていた生徒だ。
彼女たちは今でも道にロウソクを置き、火を灯している。
「みんな……」
あの人たちの善意で、この舞台は整えられているのだ。
住人と警察官が衝突した場所に赴くのは勇気が必要だったと思う。それでも、協力してくれる彼女たちに、俺は感謝しかなかった。
「みなさん素晴らしい方ばかりですね。あのような方たちと同じ場所に住めることを僕は嬉しく思います」
感激している俺に先生が話しかける。
「あの子たちが変わったのも、先生のおかげですよ」
「僕の教えなど、微々たるものです。子どもたちの保護者の方の理解がなければ、教会で授業など不可能でしたから」
彼はあくまで顕著だった。
「マルスさん、楽器で、バイオリンは見つけることが出来ました。……ですが、弾ける方がいないのです。元の持ち主は亡くなっており、遺族の方からお借りしたものなので……」
持っていたバイオリンケースを開け、中を見せてくれた。
中のバイオリンは、手入れがよく施されている。ボディは光沢を失わず、弦もぴんと張られていた。遺族が大切に扱っている証拠だ。
「そうですか……仕方がないですね」
このバイオリンはきっと良い音を奏でたと思う。残念ではあるが、音楽は無しだ。
舞台は整い、人は集まりつつある。あとは、踊り手、エレーナさんだ。
俺は彼女がどこにいるのか見回した。
ちょうどその時、往来の向こうからエレーナさんとマイラが歩いて来る。
「クルスク、二人が来たよ。行こう」
「ああ」
俺たちは二人の元へ駆けた。
「エレーナさ……あっ」
彼女の元に近づいた時、俺は息を呑む。
体から湯気が昇っていたのだ。したたり流れる汗が蒸気となって。
「……まるす、えれーな凄いの。
側にいたマイラが俺に説明する。
それは充分に伝わった。
今、エレーナさんは鬼気迫る顔をしている。1年間のブランクを埋めるために、必死だったのだろう。
そのせいか、俺は彼女に安易に声をかけることが出来なかった。
「エレーナ」
クルスクが彼女の名を呼ぶ。
「……あ、クルスク様?」
すると、エレーナさんの表情はやわらいで、クルスクの顔を見る。
「体を冷やすよ」
クルスクは自分の着ていたコートを脱ぎ、エレーナさんに着せた。
「ありがとうございます」
「気が入るのは分かるが、自分の体は大切にしたほうが良い」
「……ええ。ですが、みなさまに最高の演技を見せたいのです」
俺はマイラの側に寄り、質問する。
「マイラ、エレーナさんの脚は踊っても大丈夫なのかい?」
「うん。大丈夫だと思う。それよりもね、えれーな、昔の自分と……」
「エレーナおねえちゃん、マイラちゃん、おかえりなさい!」
「ねーちゃん、しろわんこ、お帰り!」
マイラが何かを言いかけた時、ソーニャ、ニカが割り込む。
「二人とも、ただいま。こんな素敵な舞台を用意してくれて、とてもうれしいわ」
ソーニャさんは二人の頭をなでた。
「うんっ。こっちに来て、あのちっちゃなロウソクはソーニャが火をつけたの」
「俺は10本も集めて火をつけたんだ。しろわんこも見てみなよ」
ソーニャ、ニカはエレーナさんの手を引っ張り、連れて行ってしまう。
「……」
マイラは俺を見る。先程の続きをしゃべりたさそうにしていた。
「マイラ、行ってきなよ。ここまで来たら、後はエレーナさんを信じるだけさ」
「うん、そうだね」
返事をして、マイラはエレーナの後を着いていく。
さきほどのマイラの言葉の続き。たぶん、俺も同じことを感じた。
けれども、ここまで来たら、あとはエレーナさんを信じるしかない。
彼女は、歴史に名を遺した踊り手に並ぶ人だ。俺の直感がそう言っている。
灯の舞台が、エレーナ・ブレジネワの再起の場になると信じて……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます