ステッラ

 教授が俺に託した書類の中には、マイラのことを宇宙の心だと説明する言葉があった。

 始め、俺はその意味が良く分からなかった。あの子が、宇宙の心? いや、彼女の姿、声は俺たちコスモナウトにしか認識出来ない。それはつまり、あの時聴いた声と……。

 教授の書類の続きを読めば、マイラ=ステッラとの接触は、三年前一九五七年、一一月。宇宙船Ренатаレナータを射出し、それが帰還、回収した直後であった。

『一一月―日。帰還は不可能かと思われたРенатаレナータを回収。更に、その中にいたライカ犬、ステッラは驚くべき存在に変化していた。私の目には、彼女が一〇代前半の少女に見えたのだ。しかも、彼女は私の言葉に反応、理解する。そして、はじめはたどたどしいおうむ返しのような言葉を発していたが、僅か一日足らずで言語を習得してしまった』

 その時の様子はテープレコーダーに収録されていた。俺は封筒に同封されていたリール式テープを取り出し、再生機に装着し、スイッチを押す。


『君は、一体何者なのだ?』と、質問するのは教授。

『私は、貴方たちの言葉で表現するならば、宇宙に生じた心と呼ぶものでしょう』

 答えるのは、マイラと同じ声をした女性だった。女性だと思ったのは、普段の彼女より言葉つかいが大人びていて、精神年齢が高いと感じたからだ。

 その声を聴いて、今日、マイラが見せた別側面の正体を理解する。

 マイラには、宇宙の心と呼ぶものが内在しているのだと。

『宇宙の心……では、あなたが私に声を?』

『それも私たちの一つの側面であります。私たちは貴方たちをずっと見ていました。この宇宙に存在する無数の星の中で、生命が誕生し、ここまで進化した例は稀。今では、自分たちの産まれた星から飛び立とうとするほどの』

『それは先人の積み重ねの結果です。この星に人類……いえ、生命が発生し四〇億年。ようやく、ここまで来たのですから』

『私たちは、迷っています。貴方たちを宇宙に迎え入れてよいのか』

『それは何故ですか?』

『貴方たちは高度な知能、精神性を持ちながら、一方では同族同士で争う。それが私たちには理解出来ぬものだった。恐怖と言っていいでしょう。現に、私の身体の依り代となっている生命も、目的のため、犠牲にした』

『……確かに。私の開発するロケットも、大量破壊兵器の側面を持っています。ですが、人は愚かではありません。悪魔の兵器も、やがて平和の使いとなる。と、私は信じております』

『……ええ。なので、私はこの体で貴方たちを知りたい。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる。初めて得た五感で、この世界を経験したいのです。いずれ、私を見つけてくれる者がいるでしょう。その者と過ごし、宇宙に帰還した時、答えを――』

 そこで、テープは終わった。


 宇宙の心は、俺たちを試している。以前教授が告げた鍵という言葉の意味が分かった。つまり、彼女に認められなければ、俺たちは真の意味で宇宙に行くことは出来ない。

 教授の報告書の続きには、それからのマイラのことが記されてある。

 後、教授がステッラと会話すると、始めに見せた精神年齢の高い女性でなく、純粋無垢、年相応の少女の性格、言葉遣いになっていた。この現象について、教授もステッラが複数の人格を持つと判断している。

 ステッラはこの第一設計局に個室が与えられ、首都大学医学部タチアナ教授の診察、検査を受けながら過ごす。彼女は最重要国家機密扱いとなり、接触出来る人物も限られ、施設外に出れることも滅多になかった。

 俺はその間のマイラの心境をおもんばかる。俺と出会うまで二年以上もの間、彼女はここで独り。会話可能なのは教授のみ。気持ちの良いものではない検査を受けていたのだ。

 ……あの、暗くて狭い場所。と、寂しく言ったマイラの心境を理解し、俺は胸が締め付けられた。

『一九六〇年五月―日。観劇後、外泊していたステッラが戻る。彼女はとても嬉しそうに、やっと会えた。と告げた。私は察する。遂に私たちの求めていた者と出会えたのだ』

 コスモナウトと予測される俺を発見し、教授は飛宙士候補生に推薦した。しかし、彼の対抗者、フルシェコは反対する。どこの馬の骨とも分からぬ男を計画には参加させないと。それに、元々、フルシェコはステッラという存在に疑念を感じていた。実験動物は実験動物。そんなものに頼らなくとも、宇宙へは人の力のみで行くという信念だったのだ。

 このままではフルシェコの協力を得られないと判断した教授は妥協案を提示する。

『一つ、ベロウソフを特別視しないこと。彼の役割は、正候補生への当て馬とする。もう一つは、ステッラの調教師。彼女は彼に特別な感情を抱いている。彼と過ごし、我々を理解してもらうのだ。その二つが上手く機能すれば、計画はより良い結果をもたらすであろう』

 当て馬、調教師――二つの単語の意味を俺は理解した。計画遂行への捨て石のような自分の扱いを知っても、不思議と怒りは湧かなかった。これは、教授のしたたかさなのだ。何が何でも自分の夢を果たすという執念ゆえの。それは、次に書かれた言葉で余計に分かる。

『……マルス、私を非道と罵るならそれでも構わない。だが、残された命、躊躇ちゅうちょする余裕は無かった。君も選択する時が来るだろう。その時は――』

 罵るわけがない。俺は逆に感謝しなければならないのだ。裏に何があるにせよ、貴方のおかげでマイラと共に過ごし、あの仲間たちと出会えたのだから。

 教授からの報告書は全て読み終わった。しかし、最後の、選択の時……とはどんな意味なのだろうか。

 部屋のドアがノックされ、職員が俺を呼んだ。

「マルス・ベロウソフ、出なさい」

 マイラに会わせてくれるのだと思い、俺は部屋を出る。

 たった数時間離れただけで、もう何十日も会っていないような飢えた心を抱えて。

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