養父、ユーリ・ベロウソフ ―エヴァ семь―

 俺はエヴァに、自分と父さんとの出会いから説明する。

 戦中、保護者を亡くした俺は孤児となった。そんな子は町にいくらでもいたから、大人たちは誰も構わない。自分の生活で精一杯だったのだ。はじめは絶望で命を絶とうとしたが、あの声を聞いてから、俺は生きる意志を取り戻した。だから、俺は独りでも大丈夫。あの声の元に辿り着いてみせる。そう決心し、汚泥をすすり、残飯を漁り、何が何でも生き延びた。

 が、ある時、拾ったものに当たったのか、腹痛で生死の境をさまよった。三日三晩苦しんだ後、干からびた俺は空に手を伸ばし、祈った。

 ――俺は、こんなところで死ぬんですか? そこに辿り着く資格があるのなら……。

 神父に育てられた俺が初めて祈ったのだ。でも、そんな都合の良いことなんて簡単に起こりはしない。それから更に数日、限界を超え、頭も朦朧もうろうとした時、


 ――少年、良い目をしてるな。


 孤児になって初めて、声をかけてくれた人がいた。

 俺はその人の目を見て、すぐに自分と同じだと分かった。

 ここではない、遥か先を目指す者の目をしていたから。

 その時から、俺と父さんとの生活が始まった。

 彼、ユーリ・ベロウソフは元空軍の飛行士。あまり過去を語りたがらないが、断片的な言葉から、それが分かった。奥さんと子どもがいたことも。

 神父たちが俺に人の基礎を授けてくれたのなら、父さんは今の俺に成る全てを伝えてくれた。

 その一つが、飛行機。かつては恐怖の対象だった存在を憧れへと変えてくれた。彼は飛行機を、人がかのもとへ近づくために得た翼。先導者から未来への遺産と教えてくれたのだ。

 ――先導者? 未来への遺産? よく分からないけど、飛行士になって飛行機に乗れば、あそこへ近づけるんだね。

 ――ああ。自分の翼で空に飛んだ時、お前にも分かるよ。人の歩みは停まらない。もっと前へ、上へ行けるんだ。

 ――うんっ。……でも、どうして父さんは飛行機に乗らないの? こんな好きなのに……。

 ――……マルス。俺は飛行機で人を殺めた。だから、神様の罰が当たったんだ。そんな俺が、二度と乗る資格は無いんだよ。

 辛くて悲しそうに呟く父を見て、俺はそれ以上何も言えなかった。

 でも、心の内ではまた、彼に飛行機に乗ってもらいたかった。その想いを秘め、数年後、俺はある提案をする。

 ――僕、父さんの故郷に行ってみたいな。

 彼の故郷に行けば何か変わるんじゃないか。それに、父さんの産まれ育った地を見てみたい。

 その願いを父さんは了承してくれて、彼の故郷へ。

 父は始めこそ辛そうだったが、次第に何かを求めるように様々な箇所を訪ねる。町の図書館、集合住宅、最後に、墓所。花を買い、戦没者慰霊碑を前にすると手と膝を着き、涙にむせった。すまない、すまない……と何度も謝りながら。そんな彼を見ながら、俺も涙が止まらなかった。

 気づけば、俺も一緒に謝っていたのだ。

 しばらくそうしていると――

 曇っていた空が開け、俺たちに光が射した。

 次に二羽の小鳥が父の肩に停まり、ぴぃと美しい声で語りかける。

 ――そうか、お前たちは俺のことを……。……分かった、ありがとう。

 まるで、父はその小鳥と話をしているようだった。

 ――父さん、誰と話をしているの?

 ――お前の、母さん、兄さんだよ。マルス、ありがとう。ここに俺を連れて来てくれて。俺はまた、あそこを目指す。

 小鳥たちは羽ばたき、父はその方向、空の向こうを見つめていた。

 俺は確信する。この人は再び声を聞いたのだ。だから、俺は父と約束する。

 ――どっちが先に着くか、競争だよ!


 その後、父は昔のツテを頼り、国営の飛行機設計開発会社に勤め、テストパイロットになった。と、振り返ればとんとん拍子だったかもしれないが、数年間のブランクがあったのは事実。彼は必死の努力と夢のためなら脇目もふらぬ一途さで再び翼を得たのだ。

 俺は父に追いつくため、義務教育学校卒業後、飛行士養成校に。そこで多くの友人、尊敬すべき教官を得て、飛行技術の研鑽けんさんに励んだ。二学生に進級し、卒業後の進路を考えねばならぬ時、俺は迷う。父のように飛行会社に勤めるか、軍に進むのか。後者であれば、いつかは人を殺める場合もある。父は反対しないだろうか……。

 同じ頃、迷いを吹き飛ばすような出来事が起こる。一九五七年一〇月。人工衛星PSの打ち上げ成功。それを知り、俺は確信した。国は、次に人を飛ばすことを。それに選ばれるのは、飛行士。軍人で、エリートと呼ばれる存在。ならば、俺は軍に所属するべきだ。そう考え、父と何度か話し合い、空軍大学校を進路に決めた。

 そして、入学が認められ、養成校の卒業間際に――

 ――ベロウソフ、君のお父さんが……飛行機事故で亡くなった。


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