ハッケヨイ!〜虹色の乙女力士〜+外伝「初顔合わせ」

あいざわゆう

初日

 ハッケヨイ! ~虹色の乙女力士~



「ハッケヨイ! のこった! のこった!」


 高い天井を持った館内に、大きな掛け声が元気よく響き渡る。

 ここは秋津洲アキツシマ皇国、帝都新京シンキョウにあるマルヤマ国技館。

 正方形の角の隅を切った八角形状の建物の内部、アリーナの中央に、一つの土俵があった。

 土俵──一辺が二十二尺(六.七メートル)の土で盛られた正方形の中央に直径十五尺(四.五五メートル)の俵で作られた円がある土台だ──相撲を行うリングのすぐそばには、審判の親方や控えの力士が控え、その直ぐ側には座布団だけの砂かぶり席が土俵の四方を取り囲む形で並ぶ。

 砂かぶり席の奥には、枡で囲まれ座布団が敷かれた枡席が砂かぶり席を取り囲んでいた。

 その枡席を取り囲む形で、椅子席が二階にも三階以上にもあった。

 それらの席を、大勢の人々が埋め尽くしていた。

 着物姿、それぞれの民族や種族、職能などの装束など、思い思いの装束を着た男女が、土俵上で繰り広げられる熱戦を見守り歓声を上げている。

 土俵の上空には木製の屋根が浮かんでおり、辺には幕が、四方の隅にはそれぞれ違う色の房がぶら下がっていた。

 さらに幕の中央には揚巻という小さな房が、幕を絞り上げている。

 そして土俵上には、行司装束姿の相撲の進行役──行司が厳かに立っていた。

 これから、次の一番が始まるのだ。

 その行司からみて左右に、勝負に挑む二人の力士が座っていた。

 行司の前に、着流し姿の呼出が上った。

 呼出は声も高らかに、二人の名を呼び上げる。

「ひーぁーがーしー、あまのみやーぁー」

「にいーしーぃー、のすのひぃめー」

 その朗々とした声に応え、まず左側──東方の力士が立ち上がり、それにやや遅れるように右側──西方の力士も立ち上がった。

 それに反応するかのように、今までは沈黙していた観客から歓声が挙がる。

 ここまでは、私たちのよく知るあの「相撲」と何ら、変わりはない。

 ただ違うのは──。


 二人の力士が「女性」と言う事だ。

 更に言うと、行司も、土俵下の審判(親方)も、呼出も、皆全て女性だった。

 この世界には、様々なものが流れ着いていた。

 異世界のヒト、異世界のモノ、異世界の動物、異世界の概念、異世界の科学、魔法などなど……。

 それらは神々が興味を持って持ち込んできたり、不慮や非業の死をとげた者などを転生させたりしてもたらし、そして世界の発展に役立てたのだ。

 その中には相撲もあった。

 男が相撲を取るのは当然とも言っていいが、なぜ女子が相撲を取ることになったかといえば、神々が、

「自分たちの巫女に、相撲を取らせるのは面白そうだから」

 という理由。その一言に過ぎなかった。そうであるらしいのだ。

 たった一言の理由。

 しかし、神々がそうお言葉を賜ったのだから、そうしない理由はなかった。

 神の家畜であるニンゲンには、神々の言葉について問うことなど許されなかったのだ。

 更に言うなら、相撲などの競技などをやらせることにより、転生者など力を持ったものを管理し制御する、という意味などもあった。

 そうして始まった女子相撲はいつの間にか、すっかりこの秋津洲皇国に定着したのだった。

 今では女相撲も神々の神事として、神々の巫女が神前で相撲を取り、その延長線上として、女力士が女子相撲を取るのであった。

 貴族などは自らを鍛えるための趣味として、資産家などは金を投資する先として、下級市民などは金のためや成り上がるために、相撲へと身を投じ、また宣伝道具などとして使うのであった。

 呼び出しに誘われるように、二人の女力士は土俵に上り徳俵の前でいったん立ち止まり、対峙した。

 踏みしめる土の感触はいつもの冷たさと荒さを持っていたが、それとは別の感触を二人の女子力士は感じていた。

 呼び出しは二人と入れ替わるように土俵の下へと退場していった。

 そして女子二人と行司は一礼をする。

 その礼はこの競技の真髄が何であるのか、思わされる光景だった。

 土俵上の二人の女力士は、黒っぽい灰色のレオタードに似た装束に、黒色の廻し姿だ。

 廻しには何本もの紐──さがりがぶら下がっていた。

 両方の女性とも、長い髪を後頭部でまとめて垂らしていた。

 東側の美少女は白くきれいな布をリボン結びにして髪をまとめ、西側の女性は白く細長い紙で自らの髪をまとめていた。

 これはこの世界の女力士は神々の巫女であり、巫女はそのように髪をまとめると決まっているからだった。

 ただしそれは幕下までで、十両に上がれば長髪であれば髪型は自由となっている。

 そうして土俵に上がった二人の女子。

 特に東側の「あまのみや」と呼ばれた少女の美しさは、際立っていた。

 彼女は銀髪、金色の目の少女だ。

 白い肌に、目は目尻の切れた細いアーモンド型、鼻はスッキリ高く、口元が引き締まった口、それらが顔の最適な部分に収まっている。

 まさに美少女としか言いようがない顔立ちだった。おとなになる前の少女として最も美しい年頃の顔であった。

 その美しさは、どこか聖なるもの、高貴なるものを感じさせるようなものであった。

 相撲を取るよりかは、歌姫アイドルや女優、あるいは皇族や貴族が出る舞踏会の方がふさわしいとも思える風貌であった。

 体つきは見た目は痩身で筋肉質な体格だが、胸についた二つの双丘は果実のように大きかった。

 身長は女性としてはかなり高め、百七十センチ以上はあるように見えた。

 その体つきはまさに美姫と言うにふさわしかった。

 腕や足は美しい曲線で構成されているが、筋肉が見た目よりかなりついていた。

 かなり鍛えられているようだ。

 さすがに相撲を取るだけのことはある、というだけの体つきだった。

 しかし廻しの大きさにどことなく体は似合わず、滑稽な姿にも思えた。

 一方、西方の「のすのひめ」と呼ばれた彼女も、力強さと美しさを兼ね備えた少女だった。

 彼女の髪は金髪で、碧眼の少女だった。

 目は切れ長で大きく、鼻はきれいなラインだが、硬そうにも見えた。

 口元は東側の少女よりも引き締まっていて、力強く思える。

 総じて、彼女の顔は美少女と言うよりは美人、という顔だった。

 背の高さは東側の女力士よりも少し高いぐらいで、胸は少し小さいぐらいだった。

 というのも彼女の体は東側の力士よりもかなり筋肉質で、筋肉が二つの丘を小さく見せているためであった。

 腕や足の太さは、東側の力士以上だった。

 かなり鍛えてある様子を隠そうともせず、その力強さは、男のそれに負けないほどだ。

 とは言えその腕や足の太さは美女のものに収まる範囲であり、男力士の、腕一本が女子の胴と同じくらい、という太さには遠く及びもしないが。

 しかし全体的に、体の線の太さは東側の力士より太く見える。

 廻しも、東方の女力士と比べると、様になっているようにも思えた。

 ただそれが、必ずしも東方の女力士が不利というわけではない。

 立ち合ったあと、相手の足の裏以外の体を土俵につけるか、相手を円状の土俵の外へ出せば勝ちとなる。

 それが相撲という格技のルールだからだ。

 さて。東側の美少女力士にとって、この一番はとても大事な一番だった。

 サツキ(五月)本場所、十三日目。

 この取組は月詠部屋所属の、幕下筆頭に所属する美少女力士、天ノ宮──齢は十七歳──が三勝三敗で迎えた、十両昇進への大事な一戦だからだ。

 相手は元十両力士の野須ノ姫。こちらは年上の二十三歳だ。

 彼女は現在の番付では天ノ宮よりも下だ。しかし強さから言えば彼女のほうが上であった。何しろ、関取経験者なのだ。

 まるで大学入学試験を迎えたような緊張感の中、天ノ宮は背筋を伸ばして立っていた。

 どんなに緊張していても、背筋はピンと伸ばす。天ノ宮はそういう少女だった。

 礼をした後、天ノ宮は赤房下、野須ノ姫は白房下へと歩き、そこで手を一度打ち鳴らし、それから大きく広げたあと、足を大きく広げ腰を沈めた。

 その場で片足を大きく上に上げ、いったん静止し、そのまま強く土俵に叩きつける。

 土俵上に、快音が一つ打ち鳴らされた。

 それを反対側の足でも繰り返す。四股シコを踏んだのだ。

 土俵を、大地を踏み固める、神聖なる相撲の儀式作法の一つだ。

 足の開き方は大きく、股は大きく開いていた。

 その開き方は誘っているかのようだ。

 四股とともに、さがりも大きく左右に、振り子のように揺れる。

 その四股を左右の足で行うと、二人はそれぞれの徳俵前へと戻った。

 女性二人は徳俵前で足を曲げて腰を下ろし、背筋を伸ばした。

 蹲踞の姿勢をもう一度行う。

 彼女らの股間は大きく開き、美しく魅惑的だ。

 腰を深く落としたまま、拍手かしわでを打ち、両手を大きく開いて見せる、塵浄水の動作を行なった。

 これは武器を持たない、素手の状態であることを示す作法だ。

 二人とも、動作は流れるように行なった。

 毛の全くない、白い肌の脇の下が腕と体の間から覗く。

 とても、とても綺麗だった。

 その動作を彼女らが終えるのと同時に、行司が土俵中央へと移動する。

 それに合わせ二人も土俵の上、幅六センチ、長さ九十センチの七十センチ間隔で二本、エナメルで描かれた白線──仕切り線─の前まで歩を進め、お互い相手を見た。

 野須ノ姫は相手をまっすぐ見る。

 が、天ノ宮は一瞬目を合わせただけで、すぐそらした。

 それから仕切り線前でもう一度四股を踏む。

 今度はやや小さく踏むが、快音は先程と負けず劣らずの大きさだった。

 その四股における背筋の伸び方と、股の開きはまさに魅惑的だ。

 しかし一方の少女の内心は、その落ち着きぶりとはおおきく異なっていた。

 ──どうしようか。

 一連の所作を行いながらも、天ノ宮は立ち会いを前に、心のなかで首をひねっていた。

 ──突っ込むか、はたくか……。それとも引き落とすか……。

 そもそも、彼女は突っ張りの型だからそれにも注意しないと……。

 でも低く行き過ぎて、逆に叩かれるのも嫌だし……。

 どうしようか……。

 そこまで迷った天ノ宮だったが、

 ──うん、やるしかない。やるしか。

 そう心を奮い立たせると、廻しを手でぽんぽん、と二回叩いた。

 東西の女力士は呼吸を整える。そして廻しにぶら下げた下がりを左右に分け、腰を下ろす。

 ややしばらくあってから、行司が、二人を合わせる仕草を見せる。

 二人はその仕草に従い、土俵に手を下ろす。

 そして、お互い相手の顔をもう一度見合う。

 天ノ宮は、今度は目をそらさなかった。

 ──今日は勝つ。勝って十両に上がるんだ。

 十両に上がれば、力士として一人前と認められる。

 今着ている組衣も、色とりどりのものが着られる。

 髪型も長髪であれば自由になる。

 廻しも絹製の繻子廻しが締められる。派手な色もつけられる。

 稽古廻しも使えるようになる。化粧廻しを締めて土俵入りできたりする。

 そして、給料もおおきく上がる。付き人もつくようになる。

 個室も与えられる。土俵下で座布団も用意されるようにもなる。

 周りからは「天ノ宮関」なんて呼ばれたりする。なんて優越感だろう。

 この一番、勝とう。絶対に。

 天ノ宮はそう思いながら、相手の野須ノ姫を睨みつけていた。

 しかし彼女は何度かこの野須ノ姫と対戦しているが、一度も勝ったことはない。

 相手の突っ張りに突き出されたり、低く行ったらはたきこまれたり、四ツ相撲に行ったら怪力で吊り出されたり。

 そうこうしているうちに、彼女が苦手になっていったのだ。

 苦手意識を作ると、どんどんドツボにハマっていくので、早いうちに払拭したかった天ノ宮だったが。

 この大事な一番で、また対戦してしまうことになってしまったのだ。

 ──今度こそ、勝てるのでしょうか。

 また不安が天ノ宮の頭をよぎるが、それを強引に打ち消すと彼女は立ち上がった。

 次に腰を下ろすときが、いよいよ立ち会いの時。

 一度見合ってから、二人の女力士は再び立ち上がると、自分の廻しを手で軽く叩いた。

 乾いた音が二つ、土俵の周りへと、響き渡る。

 行司は時間が来たことを知ると、二人に、

「構えて」

 と声を発した。ついに、時は来たのだ。

 それに合わせ、彼女らは再び下がりを左右に分けると腰を下ろし、身体を前に沈める。

 すると。

 手足の筋肉が盛り上がり、体から霧のようなものが吹き出した。

 これは、人間が生み出す魔力。

 そう、この世界には魔法があり、相撲も魔法を使っても良いことになっているのだ。

 この世界には様々な魔法があり、その中には治癒魔法や蘇生魔法もあるので、時には観客も含め、死者が出ることも当たり前。そのさまをゲラゲラ笑いながら楽しむ。

 これがこの世界の、相撲なのだ。

 普段、この世界では魔法、特に攻撃的な魔法は危険なので多くの地域では禁止されていたり封印されているが、神々の鶴の一声で女が相撲をするようになったのと同様に、相撲に限っては派手で縁起がいいからと魔法が使えることになっており、神様に取組をお納めする都合上使う方が望ましいのだ。

 土俵には魔法陣が刻印されており、魔法を増幅したり制御したりする役割を持つ。

 そしてその魔法陣が、二人の女力士の魔力の放出を感知し、淡く赤と白の二色に輝き出した。

「手をついてまったなし!」

 続けて、仕切り線の前に両腕を下ろす二人の女力士。

 しかし、その様子は二人で異なっていた。

 西側の野須ノ姫は、迷うことなく両手を地面につけた。

 それに対し、東側の天ノ宮は、右側の手を土俵につけたものの、左手を中々地面につけようとしない。やや神経質になっているようだ。

 まだ、迷っている様子だ。

 ややしばらくあって。

 迷いは消えたのか、天ノ宮は意を決したかのように、静かに、力強く左手を土俵につける。

 刹那。

「はっけよい!」

 行司の声で、引き締まる二人の女の身体。

 それからその掛け声に合わせ、二人は勢いをつけて立ち上がり──そして激突した。

「ノコッタ!」

 次の瞬間。

 バチンッ!

 国技館中に、肉同士がぶつかって鳴る破裂音が響き渡った。

 いったん静まり返っていた観客も、それと同時に再び喚声を上げた。

 相撲における、勝負の七割以上は立ち会いで決まる、という有名な言葉がある。

 その言葉を体現するかのように、野須ノ姫は真っ先に立ち上がると、その太い右腕を、手のひらを相手に向けて突き出す。

 元の世界での「女子相撲」では、顔面や局部への突っ張りは禁じ手の一つなのだが、治療魔法や防御魔法などが豊富なこの世界では、女相撲での張り手は、ごく当たり前に行われているのだ。

 ──え!?

 立ち会いで迷っていた天ノ宮は、目を見開いた。

 野須ノ姫の槍による突きのような、魔力の乗った激しい突っ張りが襲いかかってきた。

 手のひらから魔法の炎と、それによる摩擦熱と煙が吹き出る。

 バンッ!

「ノコッタ! ノコッタ!」

 その炎の突っ張りが、天ノ宮の胸に突き刺さり押すと、その炎とかいなの力に、天ノ宮の体がのけぞる。

 しかしその魔力の炎に、肌はやけどせず、着ている組衣も焦げたり燃えたりすることはなかった。これは、組衣に対魔法用の防護魔法や加護魔法などが何重にもかけられているため、組衣や身体が焦げたりやけどしたりすることは最小限に留められるのだ。

 但し、限度を超えるとこの限りではない。

 さて。二人のぶつかり具合は、とても女性のものとは人間のものとは思えないほどであった。

 すごい、の一言では言い尽せない様だ。

「くぅ……っ!」

 天ノ宮は腰と体幹の強さ、それにそれらを強化する魔法の支えなどで、なんとか姿勢を保とうとした。

 それから体勢を戻しつつ、彼女も負けずに突っ張りを繰り出す。

 バシィッ!

 天ノ宮の魔力を込めた突っ張りは、純粋な魔力そのものだった。

 ここでこの世界における、魔法というものについて説明しなければならない。

 この世界には、二種類の魔法がある。「共通魔法」と、「個有魔法」だ。

 このうち、共通魔法はよくイメージされる「魔法」とほぼ同じものだと考えればいい。

 呪文を詠唱し、発動する。そういう形の魔法だ(呪文については、圧縮詠唱など、省略する技術があるが)。

 さらに詳しく説明すると、魔法とは魔力によって呪文を起動させ、世界や人、物質などに干渉し、その呪文の内容どおりに世界や物体、物理法則などを改変させる、一種の「テクノロジー」である。

 一方個有魔法とは、これも魔法(呪文)ではあるがその個有魔法を有する個人個人が持つある種の「能力」、と言った方が正しいと言える。

 つまり、その個人でなければ使用できない魔法、能力と言うべきものなのだ。

 この世界の神々は、別の世界から一度死んだものなどを転生させて、この世界に連れてくる時、特殊な能力や魔法、武器などを与えることが多かった。

 そうしなければ、魔物や悪魔など魑魅魍魎が跋扈するこの世界で生きてゆくのは難しかったからだ。

 その神々が与えた転生者個人の能力が、研究や指導、開発などによって他の人に使えるようになった魔法、それが共通魔法であり、個有魔法は転生者が持っていた能力により近い魔法なのだ。

 個有魔法は、先天性のものもあれば、後天性のものもある。後天性は、修行や教育などによって発現することもあるが、大抵はその人の持つ性格や記憶、コンプレックスなどが形になったものが多いとされる。が、別の研究によれば、魔力を持った微小生物がその宿主に感染して個有魔法を発現させたという説もあり、その発現理由は、まだまだ謎が多いとされている。

 それはさておき、話をもとに戻すと。

 天ノ宮は、その個有魔法を持っていなかった。

 いや、持っていないと言うよりも、わからなかった。

 というのも──。

 彼女はお返しに反撃の突っ張りをぶち当てようとする。

 と同時に、その突っ張った手のひらに魔力が集まり、赤と青、二つの小さな光を形作った。

 なんらかの魔法が発動しかける。

 だが。

 バブン!

 間抜けな音がしたかと思うと、二つの光は破裂し、もうもうとした煙が手のひらから現れ、伸ばした腕とともに野須ノ姫の体にぶつかる。

 煙はまたたくまに消え、ただ腕の衝撃だけが相手に伝わる。

 ──まただ。

 天ノ宮は内心で歯噛みした。

 ──また、何かの魔法が発動しかけて、失敗した。

 そう思う暇もなく、

 バシィッ! バンッ!!  バシィッ! バンッ!!  バシィッ! バンッ!!

「ノコッタ! ノコッタ!」

 お互いの顔や胸に手のひらが打ち当たり、その顔を、肌を歪ませていく。

 そのさまは、踊り子の舞踊よりも艶やかなものだった。

 しばらく続いた突っ張り合いは、一見互角に見えた。

 しかし。

 野須ノ姫の方の両腕の回転のほうが早く、天ノ宮はそれを防ぐのに精一杯だった。

 バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!

 一歩、また一歩。その圧力に押されて、足が下がっていく。

 彼女は必死になって、相手の突っ張りを腕でいなそうとしながら、一生懸命突き返す。

 バンッ! バシィッ! バンッ! バシィッ! バンッ! バシィッ!

「ノコッタ! ノコッタ!」

 土俵際に持っていかれないように、横へ横へと土俵を沿い、円を描くように動きながら相手の横へと突き、隙あらば廻しを取って組もうという目論見だ。

 天ノ宮には、この幕下上位という番付でも、まだ得意な相撲の型というものはなかった。

 けれども、組んでからの四つ相撲は比較的得意にしていて、組んでからの長い相撲に耐えて寄って勝つのが、彼女の勝利の形の一つとは言えた。

 自分の比較的得意な型を狙おうと横へ横へ動きながら手を出し、空振ったと見せかけて廻しを取るかあるいは叩いて叩き込み、引き落としを狙おうとした天ノ宮だった……。

 が。

 その苦し紛れに突き出し、はたこうとした腕が野須ノ姫の体を捉え、まっすぐ伸びていこうとした時だった。

 野須ノ姫は、その突いた腕を外側から払い除け、手繰るように体を動かしたのだ。

 つまり、野須ノ姫は天ノ宮を逆にいなしたのだ。

 天ノ宮から見て、その野須ノ姫の姿が消えたように見えた時、彼女の背筋を冷たいものが走った。そして、こう悟った。

 ──しまった。

 次の瞬間。いなされた天ノ宮の後ろに、野須ノ姫が回り込み、天ノ宮の廻しを後ろから両腕で掴んだ。

 そして、その炎の力の助けを借りて、天ノ宮の体を持ち上げる。

 ──あああああああ!!

 天ノ宮は無意識に足をばたつかせて抵抗するが、それでも野須ノ姫の体と腕は揺るがず。

 彼女を数秒間持ち上げた後。

 その体を、土俵に叩きつけた。

 ドゴォッ!!

「勝負あった!!」

 耳元でなり響き渡る敗北の知らせとともに、天ノ宮の目の前は真っ暗になった……。


 気がつくと、天ノ宮の顔や胸、足に、べっとりと何かがついているのと、口の中にざらついたものが入っていた。

 ──うーん。

 それはすぐさま土俵の土だと気が付き、さらに自分は土俵の中に埋もれているのだと理解した。

 足の裏だけでなく、全身についた土俵の土を、彼女はとても不愉快に感じた。

 ──わたしは。

 自分の腕と足を伸ばし、よろよろと体を起こす。

 土俵の中から起き上がると、投光機の眩しい光が目に入り、観客席の何事かを囁くような声が耳に届いた。

 ──負けたんだ。また。

 完全に土俵の中から起き上がると、回しの前たれが緩んで垂れ下がっていた。

 ──ああ、もとに戻さなきゃ。

 ぼんやり思いながら、自分の側。東の徳俵前へと戻っていく。

 少しだけ顔を上げると、土俵上に、穴が空いていた。

 人がすっぽり入るほどの穴だった。

 野須ノ姫に、完敗した証拠。

 それをありありと見せつけられ、その光景が天ノ宮に重くのしかかる。

 彼女は目をそらして、垂れ下がった前たれを折りたたもうとしたが、手が動かず、うまく折りたためなかった。

 天ノ宮は、手を動かしながらわずかに顔を上げ、野須ノ姫の方を見た。

 彼女は背筋を伸ばし、堂々としていた。

 ──これが勝者というもの。いつものことだけど。

 そして、彼女が前たれを折りたたむのを、どこか遊戯に飽きた子供のような顔で見ていた。

 天ノ宮がようやくのことで折りたたむと。

「礼」

 行司がそう告げたので、二人の女力士は頭を下げた。

 野須ノ姫は深々と、天ノ宮はあまり頭を下げずに。

 そして、天ノ宮は土俵をとぼとぼと降りた。

 彼女の後ろ姿に、取り組み前の力強さはなかった。

 そんな天ノ宮に追い打ちをかけるかのように、土俵上では蹲踞した野須ノ姫に、

「のすのひめぇー」

 と行司が勝ち名乗りを上げ、受けた相手は、堂々と手刀を右手で切っていた。

 ──また、勝てなかった。

 天ノ宮は振り返ると、唇を噛みながら勝者の姿を見ていた。

 気がつくと、そばにいた相撲で様々な仕事を行う呼出よびだしの女性が、自分の下がりを差し出していた。

 激戦、というにはおこがましい取り組みの途中で回しから抜け落ち、それを行司が投げたものだろう。

 それを受け取ると、彼女は一礼をし、花道を下がっていく。

 頭は上がりきっていなかった。

 ──突っ張りで突き出され、立ち会いで叩きこまれ、吊り出されと負け続け、今日は後ろから吊り落とされて土俵にめり込まされた。

 わたしと野須ノ姫との間には、かなりの実力差がある。

 どうして今自分は、この番付、幕下筆頭なんだろう。不思議なくらい。

 今場所の勝敗は、来場所、少し下がるくらいで済む成績。

 来場所も十両挑戦の資格はあるけれど……。

 でも、彼女に勝てないんじゃあ、十両なんてとうてい無理だわ。むり。

 それにわたし、全然悔しくないし……。

 そこまで思うと、天ノ宮は大きくかぶりを振った。

 いつの間にか、頬に一筋の流れが下へと伝わっていく。

 ──あれ、なんでわたくし《・・・・》泣いているんだろう。

 悔しくなんか、ございませんのに……。

 そう、心のなかにいる誰かに問いかけてみたけれども。

 誰も、答えてはくれなかった。


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