第26話 小玉幸彦6

 「お、おいっ!お宅の従業員にレンとかいう野郎がいるだろう!俺の女をストーカーしやがって警察にはもう通報したからな!お前らの会社の住所を警察にすでに伝えたんだからな!練馬区豊玉北の四丁目のビルだろ!お前ら、う、訴えてやるならな、このやろう!」


 お客様センターにかけた小玉は相手が女性である事をいいことに開口一番に怒鳴りつけた、窓口の女は慣れたように大変申し訳ございませんと社内調査を進めて参りますを繰り返していた。


電話内容は従業員である「レンの名前」と「会社の住所」、そして「警察へ通報した事実」を含めて話すこと。小玉は一方的に電話を切り、無事にミッションを終えた。


次の行動を確認するためノートを開くと最後に追加した「運営会社の現地視察」となっている。小玉は携帯を閉じると乱れた息を整えようと唾を飲み込んだ。そして深呼吸をして改めて向かいのビルの隙間から現場となるビルを見張った。


念の為、その運営会社の側で電話をかけていたのだ。

暴力団が絡んでいると聞いた小玉は先日まで続けていた探偵ごっことは比べられないほどさらに緊張していた。

自分は命を狙われているかもしれない。小玉の妄想はどんどん膨らみ、背後に人は居ないかと常に振り返っていた。


しばらくビルの入り口を見張っていると、ビルは商業施設となっているためスーツを着たサラリーマンやフォーマルな服装をした女性なども出入りしていた。興奮した小玉にはどいつも怪しく見えて、気が気ではなかった。本当に暴力団が関与しているのだろうか、自分のこの電話で警察がこのビルに突入するのだろうか。ドラマのような現場を想像し自分がその主人公であるかのように小玉は錯覚し、度々唾を飲み込んだ。

すると正面方向から見覚えのある若い男が出てきた。あれは……鬼束じゃないか。


「あ、あれ?なんで!?」


鬼束の後ろにレンが追いかけるようについてきていた。二人はだいぶ慌てた様子で急いでビルの裏側に向かって行った。十分な距離を保ちながら後を追うと路駐していた車に乗り込み猛スピードで走って行った。


ビルの裏側にポツンと残されたように小玉が立ちすくした。


何故あの二人が一緒に出て行くんだ?ストーカーと電話を入れて会社にいるのが気まずくなったのか?しかしどうして鬼束と?それにあの慌てっぷりは何だ?


ヤクザに脅されたのか?そもそも本当にヤクザの事務所なのか?まさかあの鬼束の奴に遊び半分騙されたとか?いやしかし何のために。


フィクションで育った自分の想像力を膨らませるがさっぱり分からない。手にしていたコウモリ傘を持ち直し振り返るとビルの正面からまた人が出てくる。とっさに傘で顔を隠す。スーツのまま出てきて正解だった。平日の帰宅ラッシュの時間帯、商業ビルに囲まれたこの辺りではどこにいても目立つ事はない。


正面から出てきた男性も黒のスーツ姿だった。ジャケットを羽織り直す瞬間に白いワイシャツに真っ赤な血が付いていた。


ぎょっと目を丸くして顔を見るとそれは杉山の姿だった。右頬から額に掛けて腫れ上がり唇の端から血の塊が見えいた。 杉山がその端を舐め真っ赤な唾を吐き出すとポケットからマスクを取り出しそれを隠すようにつけた。

腹部をかばうように前屈みになり右手を当てていた。スマホを取り出すとこれまた急ぎ足でそのまま駅へと向かって行く。


あの会社で間違いなく何かが起きている。自分は大変な事に巻き込まれてしまったのではないだろうか。


『面と向かって警察に通報したなんて言ったら僕、殺されちゃうかもしれないんですよ』


先日、笑い飛ばしながら言っていた鬼束の言葉が頭に響いた。


危険だ、どうしよう。どこかふわふわした正義の探偵ごっこが杉山の流血をみて途端に恐怖に変わった。金を払い他人がした正義を高みの見物していた自分が気づいたら同じ土俵にいることを猛烈に感じ取り本来の小玉が舞い戻るように急激に怖気づいたのだ。


電話をした相手が俺だとバレたら俺は殺されるかもしれない。命の危機までも感じた小玉は濡れた路面に踵を返して真っ先に自宅へと帰った。恐怖と興奮のあまり、道中はほとんど記憶がなく、頭の中は恐怖でいっぱいだった。人生で幾度かぶつかる壁を出来るだけ避けて生きてきた小玉にとって、どんな些細な事がどんな大きなピンチになるのか測る術など持ち合わせていなかった。


雨足が強まるなか走り出しそうな恐怖を抑え早足で人の間を縫っていった。警察に通報したところで暴力団も組織なはず、手下や他の奴らが自分を殺しに来るかもしれない。弥生を連れて逃げるか、いや来週からの仕事はどうする?現実と妄想が目まぐるしく頭を回転させどうやって駅の改札を通り過ぎたかも分からず気づけば小玉は自宅に到着していた。


カチャ――。

ドアノブにあるカギを回す。

ガシャン――。

ドアの上にあるカギを回す。

ガチャン――。

小玉は腰を落とし、ドア下にあるカギを回した。興奮に震える手で三つの施錠を外すとようやく自宅の中へと入った。


「弥生、弥生っ」


真っ直ぐに自室のある二階へと走った、


「弥生っ」


 そこには、見慣れた独特な部屋の散らかりようと、弥生を縛っていた白いロープが散乱していた。


居ない。弥生が、居ない。痕跡を探す。ない。彼女が持っていた白いバックも、薄いピンク色のパンプスも履いていたヌーディ色のストッキングも、ない。


「弥生ぃぃぃぃ、どこだぁ!」


 小玉は叫びながら、自室のクローゼットや物入れを漁りながら癇癪を起こした。慌てて一階へ降りると、トイレ、風呂場、押入れ、リビングすべての部屋を探した。どの部屋もたいてい小玉の腰の高さ以上に物で溢れており、大人一人など平気で隠れてしまうため物をひっくり返しながら小玉は必死で弥生を探した。


「駄目だ!弥生っ!いけない!今一人になったら殺されてしまう。俺の弥生、俺の弥生だ。俺だけがあいつらから守ってやれるんだ、出てこい弥生ぃぃぃ」


 すると、台所から湿った風が小玉の頬を触った。違和感を感じた小玉は溢れたリビングから台所に向かうと山積みに溜まったゴミ袋をかき分けるように人一人が通ったであろう勝手口まで続く隙間が見えた。ここ数年勝手口の扉など使用しておらずその存在すら忘れていた。扉は山積みから倒れたゴミ袋が挟まり隙間が開いておりそこから雨が入り込んでいた。吸い込まれるように小玉がその扉を開ける。

外は更に雨が強くなり風も吹いていた。


「弥生、駄目だよ。外は危険だ、待ってろ今迎えに……」


 その時、ブヴヴヴヴンと内ポケットに入れていた携帯のバイブ音が鳴った。小玉は慌てて携帯の画面を見ると市内局番の固定電話からの着信だった。緊張しながらも小玉は息を整え電話に出た。


「……はい」


「小玉、幸彦さんの携帯電話で宜しいですか?わたくし、中央警察署の者です」


「えっ、け、警察ですか……」


 小玉の心臓が更に大きく脈を打ち、両脇からじっとり汗が吹き出てきた。波打つ脈に合わせて身体が震える。弥生が、警察に駆け込んだんだ!どうしてこうなった。俺は、弥生を守りたいだけだったのに、その俺がストーカーとして捕まってしまうのか、逃げたい。もう俺の人生終わりだ。何でこんなことになったんだ。どこから狂った。


 杉山、鬼束、弥生、レン、レンタルされる子供、その母親、暴力団の影。様々な最悪の妄想が頭を駆け巡る。日に日にでかくなっていたヒーローごっこの正義感も弥生に対する独占欲も、世間に対する社会的プライドも、警察から掛かってきたこの一本の電話で一気に打ち砕けてしまった。何もなかった、あの日常こそが俺の身の丈にはちょうど良かったんだ。捕まればもう、仕事も失う。弥生とは接触することすら出来ない。自分の年齢からすると再就職は難しい。罰金か、懲役か、世間からみると俺は犯罪者だ。


 終わりだ。俺の人生は、もう終わったんだ。


腐った食べ物とカビの匂いが充満した台所の勝手口を締めると、家は驚くほど静かになっていた。


 最後にもう一度、弥生に会えたら……。

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