第十章・独白

 達也発見から一か月後の今日、達也は山仲医師に栗拾いの時の仲間たちと家族を呼んでほしいと頼んだ。達也自身は和也も来てほしかったのだが、実際に来たのは、両親と和義、広田と十数人の仲間たちだけだった。


 狭い病室ではあったが、何とか全員入れた。山仲医師が和也のことを両親に聞くと、今日も部屋に閉じこもったままだという。どうやら和也はずっと部屋に閉じこもったままのようで、両親とはあまりうまくいっていないように思われた。達也は、和也が来ていないことで心を痛めていた。


――和也は、俺のことを嫌っているのだろうか。


 達也はそう思って少し落ちこみながらも、全員に向かって謝った。


「みんな、本当にごめん」


「まったくだぜ、お前がいなくなってすぐにおばさんが自殺未遂するし、和也は和也でひきこもるし、大変だったんだぞ」


 広田はそう言って達也をにらみながら腕を組んだ。母が広田に自殺のことは言わないでほしかったと言って咎めた。


「ごめん、母さん」


 達也はそうつぶやいて頭を下げた。


「達也、私の事はいいの、それよりも和義やお友達のみんなに言葉をかけてあげて。あなたのこと心配していたのよ」


 達也はふとベットの脇を見た。そこには心配そうに見つめる和義の顔があった。いつもは悪ガキらしく不敵な笑みをうかべてくる和義が、今はおとなしかった。それがなんだか不思議でなんだか変で、達也は思わず和義の頭をなでた。和也によくしていた行為だった。頭をなでてから和義に話しかけた。


「いやなとこ見せちまってごめんな」


「達也兄貴、おかえりなさい」


 達也が一瞬ドキッとしたように硬直した。その隙に母と父も同じように


「おかえりなさい、達也」


 と言ったので、達也は

「ただいま」

 と返した。達也の顔は晴れやかで、いつもの顔だった。一か月前に両親たちに見せた異形の姿ではない。本当の、みんなが知っている達也の顔だった。


「それで、話というのは、和也のことなんだけど」


 唐突に達也が両親に向き直って語り出した。


「その前に、和義にも聞いていてもらいたい。いいだろ?母さん、父さん」


 すると、両親二人とも達也のしようとしていることを了承した。和義も聞きたいと言ってきた。達也がいない間何があったのかわからないが、和義が少し成長したように感じられた。だからちゃんと話すことにした。自分が和也にしたことを。


「俺は、和也を殺そうとした」


 両親と広田以外全員が、息をのんだ。達也はうつむいてから語り出した。


「俺と和也は小さい頃からずっと一緒で、何もかも同じだと思ってた。それが当たり前だった。けどいつしか俺は、両親が和也ばかりに優しくしてるように思えた。子供心にすごく寂しかった、とても寂しかったんだ」


 達也は、両親の様子を見ないようにして話を続けた。


「それでも小さい頃は普通に楽しくやってたさ。けど五歳になった後、幼稚園の年長組に入った頃から、俺の心の中に和也がいなくなればいいって気持ちが芽生えてきていた。そして、あの日、六歳の誕生日を迎えてすぐ、残暑厳しいときに……」


 そこまで言ってから、達也は顔をしかめて黙り込んだ。目をつぶり、無言でうつむいた。その姿を誰もが見つめるしかできなかった。


 少しして、深呼吸を二回してから、再び話を続けた。


「当時、いや小さい頃からずっとだが、和也はいつでも俺の後をついて来ていた。いつでもどこでも。木登りできないのに一生懸命俺のまねして木登りしようとしたり、俺の後をチョコチョコとついて回っていた。それこそ金魚のフンのように。俺はそんな和也が、疎ましかった」


 そこまで話して達也はまた一呼吸おいた。両親と広田以外全員気が動転していたことだろう。いつもどんなときでも和也を優先に見る達也。時には広田とともにやんちゃすることもあったが、和也が関わったり何かあると、どんな状況でも和也のことを最優先で気にしていた。


 それほどまでに和也のことを気にかけていた達也の本心を、過去の想いを聞いて驚かない者はいないだろう。


 達也は、そんな仲間たちや和義から視線をそらしながら続けた。


「あの日もそんな感じで俺の後についてきていた。当時すでに友達だった広田と、一部の当時の友人たちとジャングルジムで遊んでいたとき、俺と広田がジムの一番上に立って、ポーズをとっていたとき、和也が足もと近くまで登って来ていた。俺はそのことに気づいていたが、完全に無視して、えーっとなんだったっけか――」


 一瞬なにごとかを思い出そうとして間が開いたが、すぐに話を続けた。


「当時、はやってたヒーローのまねごとをしていたんだ。そのとき汗ばんでたんだろうな、その日は特に暑かったから、汗で手が滑って和也が落ちそうになったんだ。足も滑らせ片手だけで体を支えてる状態だった。そのことにすぐに気づいたのは、その瞬間では俺だけだったと思う。一瞬助けを求める和也の目と目があった瞬間、俺の脳裏に悪魔の囁きが聞こえた。ここで和也が落ちて、いつかニュースで見た転落事故や自殺みたいに和也が死ねば、両親は自分だけを見てくれるんじゃないかと」


 そこでまた再び沈黙が流れた。話を続けなくても何となく展開はわかっていたのかもしれない。が、誰も何も言わなかった。ただじっと達也を見つめるしかできなかった。


 達也はうつむいたまま、今一度深呼吸をしてから続けた。


「無意識だったというのはただの言い訳でしかないだろうな。ただそのときの俺は、何とか足をジムの棒に乗せて、片手を俺の方に向けて助けを求めていた和也の手を、思いっきり蹴り飛ばしたんだ」


 広田と両親以外の全員が息をのんだ。


「達也君を疑うつもりはないけれど、子供にそんな感情が出たり、蹴り飛ばしたりなんて、本当にあり得るの?」


 仲間の一人が疑問を口に出した。すると、部屋の外で何となく聞いていた山仲医師がすぐに答えた。ゆっくりと、自分でも確かめるように、全員に伝えるように。


「かつて分裂症と呼ばれていた、統合失調症という精神病の一種、なのかもしれませんね。今は詳しい説明は省きますが、和也君を蹴り飛ばした達也君の心に、もう一人の達也君、つまり別人格がいたんじゃないかと思います。それも、恐ろしいほど殺意を抱いた」


「そんなのって本当にあり得るの?」


 別の仲間が、山仲医師の顔を見ながら聞き返した。他の仲間や達也も何となく山仲医師を見た。さらに全員に伝わるように、周りを見ながら山仲医師は語った。


「症例として実際に見たことはないですが、世界レベルで見るとそういう事例は実は結構あるんですよ。特にそういう精神病というのは、小さい子によく見られる症状で、分裂した人格の中には、とても子供とは思えない知識や力や、考え方をしてるときがあるらしいです。ちなみにその症状の原因はあえて言わないでおきます。私自身、とても信じられないですし」


 全員が不思議そうにしていたが、あえて聞かずに再び達也の独白に耳を傾けた。達也がふと両親を見ると、うつむいた母が泣いているように見えた。すぐに視線をそらして話を続けることにした。


「一瞬の出来事で何が起こったのかすぐには理解できなかった。俺も周りにいた友人たちも。俺の足の下、ジャングルジムの立ってる地面の上で和也のうめき声が聞こえて、我に返った。地面にくの字にうずくまった和也の体から、血が流れ出てきていた。後で知ったことだけど、頭と右腕からの出血がひどかったらしい。和也はずっと泣きながら呻いていた。『痛いよぉ、苦しいよぉ、兄ちゃん助けてぇ』と繰り返し繰り返し。しかし、その声は次第に弱々しくなってきて、しわがれたお爺さんのような声になっていって……」


 そこで息苦しそうに話を止めた。


 山仲医師が、「状況説明は良いですから、簡単に話をして下さい」と言うと、達也は安心したように頭の中で話すことを整理しながら話を続けた。


「それから俺はその場から逃げ出した。行くあてもなくひたすら走ってたけど、いつの間にか自宅にたどり着いていた」


 公園から自宅まで、子供の足で十五分ほどかかった。その自宅についたとき、その頃はまだ生きていた祖母に、達也が嫌がるのを無視して、無理矢理和也の収容された病院へと連れて行かれたという。この当時には山仲医師はまだこの街にいなかったため、自宅から数キロ離れた病院へとタクシーで向かった。


「ばあちゃんに引っ張られて来た俺を見るなり、母さんは俺の頬をひっぱたいた。実は俺が蹴飛ばしたところを、俺の横にいた広田だけでなく、何人かの友人がジムの下からたまたま見ていたらしく、母さんにそのことを話してたようなんだ。母さんが怒るの当たり前だよな。そのとき母さんは泣いていた。けど俺は頬をたたかれたことで、やっぱり自分はいらない子なんだと思って、再び逃げ出した。今ならなんとバカな妄想だとわかるんだが、当時はそう感じてたんだ」


 そう言って当時を思い出したのか、一瞬話を止めた。しばらくして達也が再びゆっくりと話を続けた。


「病院の入り口で祖母に止められて諭された。和也も俺と同じだったと。和也もまた、両親が俺だけには優しいと思い違って寂しく感じてたんだと。でも和也は俺と違って、そんな両親のことも俺のことも好きだから、両親にとって自分が二番目でもいいって、言ってたそうなんだ」


 いったん目をつぶり一回深呼吸をしてから、うつむいて再び話を続けた。


「婆ちゃんはこうも言ってた。『パパもママも親としてはまだまだ子供だから、間違いもいっぱいするし、あなたたちを傷つけることもあるでしょう。でもね、二人ともあなたたち二人のこと、本当に一番に愛してるんだよ。ただ不器用なだけなの。許してあげてね』そう言ってから婆ちゃんは俺に聞いてきた。俺が和也のことをどう思ってるのかを。もちろん決まってる。好きだ。大好きだ。ただ、ただなんだか、悔しかっただけなんだ」


 そこで深呼吸を二回してから再び続けた。


「俺はそのときになって初めて、自分のしでかしたことの重大さに気づいた。しかしもっとも如実に感じたのは、その後のことだ。数日間眠り続けていた和也がある日目覚めたとき、和也の脳裏からそれまでの記憶と、言葉や常識が全て失われていた」


 全員が再び息をのんだ。一瞬この場が凍り付くのを全員感じていた。山仲医師が冷静にゆっくりとした口調で補足してきた。


「記憶障害、いわゆる記憶喪失には、症状の重いものになると、人間らしささえもなくしてしまい、早い話、赤ちゃんと変わらない状態になる、ということを聞いたことがあります」


 達也が再び続けた。


「そのときの光景は今でも覚えてるよ。必死で和也に『冗談だよな? 冗談だと言ってくれよっ!』と俺が言ってるそばで母さんが気を失い倒れ、父さんがそれを支えて、慌てて看護婦さんを呼んでいた。けど、本当の悲劇はそれだけではなかった。たぶん、ジムの鉄の棒に頭をぶつかったり、地面に頭から落ちたんだろうな、その影響で脳挫傷って言うのかな?脳に障害が残ってしまった。かなりひどい脳障害になってしまったんだ」


 両親と広田以外全員が、再び驚きで言葉を失った。時々和也がおかしな行動をすることはあった。それはあくまでも幼少期の事故の影響で、ってことにしていたため、誰一人ひどい脳障害だと思っていなかったのだから、当然の反応だった。ここ数年はおかしな行動も減っていたため、仲間の中には知らない人もいた。


「あの後に比べたらここ数年は、ずいぶんと落ち着いてたからな、幼少期を知らないみんなが驚くのは無理ないか」


「広田さんは知ってたの?」


 和義の質問に、広田は黙って首を縦に振ってうなずき答えた。それから達也がすぐに話を続けた。


「それからというもの、俺は幼いながらも罪の意識を感じるようになった。罪の意識という言葉もその意味も知ったのは、それからずいぶん後のことだけどな。そして、その罪の象徴のように、その日以来悪夢を見るようになった。真っ暗い闇の中で一人で歩いてると、突然和也の助けを求める声が聞こえてきて、それで逃げ出すんだけど、追いかけられて、すると唐突に落下して目が覚めるっていう悪夢。これは、両親と広田にしか話してない」


 達也が話すのをやめたのを見計らって、広田が口を開いた。


「悪夢のことと、和也のリハビリがうまくいかなかったことが元で、達也は自分自身を苦しめて、そもそもの原因は全て自分にあると、自分のせいだと思ったらしく、二回自殺未遂したんだ」


「そんなこといちいち言うなよ」


 達也がそう小さくつぶやくと、広田が叫んだ。


「いいや、言わせてもらう! あんなバカなまねしやがって。俺たちがどれだけ心配したと思ってるんだよ」


 狭い病室に広田の怒声が響いた。広田は今にも達也に詰め寄らんばかりの勢いで達也をにらみつけ、達也も広田を見つめて話し出した。


「以前の二回は、何年経ってもなかなかしゃべれない、人間らしい生活ができない和也の姿を見て、自分のしでかした罪の大きさに苦しくなって、逃げることで楽をしようとしてただけだった。けど今回は怖かったんだ、怖かったんだよ」


「怖い?」


 広田の疑問の声が聞こえた。それはおそらくほかの仲間たちや和義も同じように思っていたことだろう。うつむき加減に達也はその疑問に答えた。


「和也に『人殺し』とか言われて責められるのが怖かった。和也に嫌われるのが一番怖かった。それに、また和也のことを疎ましく思うんじゃないかと思うと、殺意を抱くんじゃないかと思うと、悲しくて辛くて。勝手な話だよな。疎ましく思って突き落としておいて。でも偽物の兄貴を演じてる間に、いつしか本当に和也が大事になったんだ。何よりも大切な存在になっていたんだ……」


 そこまで言ってから達也はまたも深呼吸をして、再び続けた。


「それで逃げた。あの場にいられないと、和也のそばにいられないと思った。気がついたらあの町にいて、人目を避けようと山林へと向かったら、あの廃ホテルをたまたま見つけて、夜間ときおり港町に出て水やゴミあさりで無駄に生きながらえてたとき、あのホテルでたまたま暴走族の連中が、どこで手に入れたのか、麻薬を注射してるところを見かけたんだ。それで、つい、余ってたやつをこっそり頂いて」


 そう言ってから一息ついた。


 そして何分経ったのだろう、誰も何も言えないまま時が過ぎていった。全員立ちつくしたまま達也を見つめていた。長い沈黙に耐え切れなくなったかのように、達也が再び語り出した。


「和也の脳障害は、正確な病名とかはよくわからない。言語障害みたいなもの、というぐらいの知識しかない。リハビリ次第できっと治ると当時の医者は言ってたけど、何年もかかってしまった。だからあいつ自身は、ずっと俺よりも何歳も年下という感覚しかなかったんだ。高校生なのに幼いところがあったのは、そのためなんだ。治りだしたのは、と言うか、普通に生活できるようになってきたのは、ある時期から急に和也がちゃんと喋れるようになってきたときからだった。あれは和義が大きくなり出してきてからだったから、和義のおかげなのかもな」


 和義が少し照れて頭をかいていた。達也は、そんな和義の頭をなでてやってから、また続けた。


「その頃からだよ、両親がなぜか俺についての嘘の情報を、和也に話し出したのは。和也が俺のことを尊敬するようにし向けてな。その頃の俺は、和也を守ろうと誓いつつも、何年経っても普通に生活することもできない状態の和也を見ていて、いっそ自分が死ねば戻るのかもしれないと思っていた。でも二度目の自殺未遂のときに、母さんと広田に説得され、死ぬことよりも、何があっても和也のことを守ることに決めたんだ。そう誓ったんだ」


 こうして、この双子は、達也は和也を命がけで守り、和也は達也を心から尊敬するという図式が成立した。それは全て作られたものだった。達也は罪の意識から。和也は両親の、あの悲劇を永遠に思い出さないようにするための、カモフラージュとしての嘘で。


「わらっちまうよな。何が仲の良い双子だよ。何がブラコンだよ。全部全部嘘だってのによ、バカみたいだろ……」


 そう言って自嘲気味にほほ笑んで見せながら、仲間たちを見た。その目には涙が溜まっていた。

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