5-3. ベス、野盗相手に奮闘す

「山賊か、脱走兵です。囲まれている」テオが簡潔に言った。

「合図をしますから、俺が指した方向に全力で逃げてください」


 冷静な男の声に、ベスはいくらか落ち着きを取り戻した。「わかったわ」

 聞きたいことは山ほどあったが、それよりも、敵が姿を現すほうがずっと早かった。剣や鎧が触れ合うがちゃがちゃした音を立てながら、小走りでこちらに向かってくる。松明の数は二、三だが、男たちの数はもっと多いだろう。半円を描くように前から近づいてくる。だが、背後には明かりは見えない。こちらから逃げるのがいいのだろうか?


 テオはぐずぐず待ってはいなかった。相手が近づききるより前に動き、闇にとけるように位置を変えていたのだ。「ぎゃあっ」という悲鳴がして、仲間の一人が慌てて松明を振りまわすと、そこにいるはずの男は地面に倒れ伏していた。べっとりと粘度のある液体は、血に間違いない。


「近くにいるぞ!」別の男が、反対側から叫ぶ。「明かりを――」が、今度はそちらから悲鳴があがった。松明が落ち、わずかな時間、テオの姿がぼうっと浮かび上がる。腰を低くして、なかば闇にまぎれている。


「この野郎っ」剣を打ち合う激しい金属音が響いた。「こっちだ、照らせ!」松明と、仲間に助太刀しようとする男が二人見えた。


 恐怖で立ちすくんだようになりながらも、ベスは必死でテオの合図を待った。必死に目を凝らすと、明かりに照らされた瞬間、腕を大きく前方の森へ振った。「前へ!」と鋭く言う。


 ベスは意を決して前方へと走ろうとしたが、そこでいきなり、なにかが肩に巻きついて動きを止めた。誰かの腕だ、と思ったときには、熱く粘っこい息が首筋に広がり、耳のすぐ下の皮膚を小刀の先でちくりと刺された。

「短剣は捨てたほうがいいぜ、ねえちゃん」


 ――ああ、竜祖よ。

 ベスは悲鳴をあげることもできずに、手から力が抜けて短剣が落ちるにまかせようとした。こんなところで、大切な任務を果たす前に死んでしまうかもしれないなんて。


 だが、前方ではテオが必死の攻防を繰り広げており、おそらくはすぐ近くで、ファニーも自分のように捕まりかかっているはずだ。ファニーは、自分よりもさらに若く小柄で、身を守るすべも知らないに違いない。そう思いなおして、なんとか、短剣を落とさないように手の力をこめた。


(でも、わたくしには無理。温室育ちの本の虫なのに)

 そう考えると同時に、別の声が聞こえてきた。


 ――体格は体力の一部ですよ、閣下。

(なんでもやってみるのよ、ベス!)


 ベスは思いきってかかとを持ち上げて、男の足の甲に叩きつけた。彼女自身は理解していなかったが、竜族の平均的男性と同じだけあるベスの体重が、さらに旅装用の金属の靴底という威力をくわえて襲いかかったのだ。骨の砕ける音と悲鳴が響いて、ベスを押さえている腕がゆるんだ。とっさに身体の向きを変え、あてずっぽうに短剣を振りまわした。運よくどこかをかすったらしく、その痛みに相手が腰を二つ折りにしたので、ベスからは男の後頭部と首が見えた。彼女は首の真ん中めがけて、体重を乗せて短剣を突き刺した。鶏肉に刃を入れるのと同じくらいの力で、それはやすやすと突き刺さった。


「きゃああ」

 ベスが悲鳴をあげながら短剣を引き抜くと、吹きだした血に視界がくもる。「いやあああ」

「なにしやがる! このアマ――」


 仲間を殺されて激昂した別の男の声と、どさりとなにかが倒れる音がした。もしかして、ファニーの死体かもしれない、と戦慄したが、それはベスが刺した男が地面にくずおれた音だった。


 別の男が、短剣を掲げて飛びかかってくる。月光を反射してギラリと光る刃で、相手の位置はわかったが、身体がすくんで避けられない。

 矢が当たったような重く鋭い音がして、ついに自分が刺されたのかと覚悟した。しかしいつまで経っても衝撃はやってこなかった。ぎゅっと閉じた目をおそるおそる開けると、刀が地面に落ちているのが見え、その隣に男が倒れていた。片足が不自然な角度で曲がっていて、背中に短剣が刺さっている。


 どうやら、それですべてが終わったらしい。


 テオは地面に倒れた男から松明を奪い、地面に落ちて消えた松明に火を移して、ベスに手渡した。

「すぐに助けられなくてすみません」

 ベスが松明を受け取ると、テオがにいっと口端をあげるのが見えた。「でも、見事な戦いぶりでしたよ、お嬢。羽交い絞めにされたら足を踏むなんて、どこで覚えたんです?」

 男性に褒められ慣れていないベスは、自分の耳が赤くなったのを感じた。冷静に考えれば、淑女が褒められて喜ぶような内容ではないのだが。

「通俗小説のなかで、読んだことがあったのです」

「そりゃ、なかなか役に立つもんだ」

 言いながら、テオはファニーに近づき、傷をあらためた。座り込んで顔をしかめており、眉のあたりから血が出ているが、どうやら無事だ。

「顔を切られてますね。でも、大した傷じゃない」


「『大した傷じゃない』!?」金切り声がした。「こんなに血が出てるし、死ぬほど痛いよ!」

「顔っつうのは血が出やすいんですよ。えーっと、消毒に使えそうなのはっと……」

「わたくしが探しましょう」


 ベスは一行の寝袋と荷物をあらためた。土と血でどろどろになっているものもあったし、ベスの荷袋は中身がこぼれていたが、それでも奪われなくて幸運というものだろう。手元が暗いので苦労しながら傷薬を探した。テオが治療をしているあいだ、ベスは彼の指示で周囲を片づけた。


「一人は生かしておいて、情報を吐かせたかったんだけどな」

 テオがため息をついた。「多勢に無勢だったんで、手加減できなかった。お嬢……や、閣下」

「名前で呼んでくださったほうがいいですわ。今後誰かに聞かれたときに、『閣下』では貴族とわかってしまいます」ベスは強いてにっこりした。恐怖に震えているばかりでは、これから先の任務を果たせない。自分なりにできることをしようと思っての提案だった。

「そりゃ助かります。なんとお呼びすれば?」

「ベスと呼んでいただけますか?」

「じゃ、ベス。この状況から、なにかわかることはありますか?」

 ベスは男たちの衣服や持ち物を確認し、あれこれと考えあわせてみた。指さしながら口に出す。「全部で八名、すべて人間。目的は追いはぎでしょうけれど、あまりそれに慣れていない?」

「なぜそう思いました?」

「もしわたくしがプロの追いはぎなら、戦力を分散させず、まずはあなたを殺すことに集中して、わたくしとファニーは放っておく。女と体格の小さな少年、どうせ逃げても大した距離は稼げないから。……いいえ、それよりも、あなたの剣で一人が殺された時点でおそらく撤収の命令を出す。訓練された傭兵は暗闇の中で戦うことに慣れているから」

「上出来ですよ。もし彼らが手慣れた山賊や脱走兵なら、俺はさっきのような余裕のある戦い方はできなかった。見込み違いで助かりました」

「と、すると、彼らは……?」

「農民くずれのゴロツキども、まあそんなところでしょう。この茂みを野営地として使う旅行者を、最初から狙っていたんでしょうね」


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