音がいざなう
サイネリアの目的を理解したグラジオラスは、ひとまず、一つ頷いた。
状況を見るに……サイネリアはただ遊んでもらいに来た訳では無く、オーキッドやビオラに頼み事があって訪ねてきたのだ。
そこで真っ先にオーキッドの所へ行く所が、また若干グラジオラスの嫉妬を刺激するのだが、流石に大人気ないので置いておく。
要は、妹を元気づけたい。
詳しい事は何も分からないが、そういう事だろう。
保護者が子供の要望を何でも叶えてしまうと、教育に良くない気もする。だがサイネリアは、既に一人でこんなに悩んだのだから、多少の手助けは許容範囲のはずだ。
それも妹を気遣うという、健気この上ない理由なのだ。そうだそうだ、と自分を納得させ、グラジオラスは自ら気持ちの枷を外した。
今日はとことん、孫を甘やかしても良い日だと。
「サイネは優しいな」
顔を寄せるようにして、サイネリアの髪を撫でる。
「良いお兄ちゃんだな」
腕の中に収まった柔らかな体が、ぴくりと揺れた。
そろそろと顔をあげる孫に、グラジオラスは出来るだけ穏やかに、優しく、励ますように微笑んだ。
「一緒にカトレアを探しに行こうか」
グラジオラスの提案に、サイネは少しぼんやりとしたあと、こくりと頷いて、追従を示した。
※
「カトレアお嬢様~、どこですか~」
「お部屋にもいらっしゃらない……どこへ行ったのかしら……」
「あんまり目を離して、何かあったら大変だわ」
部屋の扉が閉まる音と共に、レユシット家の使用人達の声が通り過ぎていく。
カトレアは、ベッド下の床に、うつ伏せでぺたりと張り付いて隠れていた。どうにか追手をやり過ごした事を知り、詰めていた息を深く吐く。
狭いベッド下から、じりじりと這い出て立ち上がる。普段から清掃が行き届いているので、服はさほど汚れなかった。ぱたぱたと軽く叩いて、服装を整え、そして、部屋をぐるりと見渡した。
カトレアの部屋は、日当たりが良い。カーテンで遮っても、部屋の中は暖かい光で柔らかく満たされている。
だが陰鬱な今の心境では、明るい部屋は、何となく落ち着かない。それに、早くから自分の部屋として与えられた個室は、まだ小さいカトレアには広すぎる。泳げるくらい大きなベッドも、一人で寝ると、寂しくなってしまう。
――『レユシット家のご息女は、どこかから貰われてきた子供なのではないか』
何度も同じ言葉が頭の中を巡る。
今だけは、狭くて暗い場所で、誰にも見付からないように閉じこもって、目を閉じていたい。だけど、そのまま忘れ去られてしまうのは、怖い。
付きっきりで構われたい訳では無いけれど、ずっと放っておかれると悲しい。誰かに心配をかけたい訳でも無いけれど、自分は孤独だと、まざまざと感じたくはない。
そんな面倒でわがままな思考に支配されている。
だからこんな風に、わざと姿を消して誰かが探しに来てくれるように仕向けては、自分を安心させているのだ。そのくせ、皆の手を煩わせておきながら、隠れたまま出て行かない。矛盾している。
カトレアは自分がどうしたいのか、人にどうして欲しいのか、己の気持ちが分からなかった。
この広い家の中で、カトレアだけが一人ぼっちだ。
レユシット邸には沢山の人がいて、勿論使用人達にも、それぞれに家族がいるのに、カトレアだけは、誰とも家族では無い。母親とも父親とも、兄とも、本当は家族では無い。
沈む気持ちの中へ、コンコン、と小石を転がしたような音が、一つ、二つと落ちてくる。
それは、心の奥から響いてくる、幻聴の類などでは無かった。
普段なら聞き流したか、もしくは使用人達から逃げ隠れている今は、聞こえない振りをしたかもしれない。そのくらい、気のせいと思える程度の、微かな音だった。
コンコン、コンコン。
確かに現実に、カトレアの耳へと届いてくる。
(まただわ)
今度は、耳をすませてみた。
コンコン、コンコン。
不思議と、無視したり耳を塞いだり、煩わしく思う不快なものでは無く、妙に引付けられて、興味を誘う音だった。
(誰かが、ドアを叩いているのかしら)
ノックの音だとあたりをつけたカトレアは、足を忍ばせて扉へ近づいた。そうっと両手を壁に付けて、体を支える。ベッド下に張り付いた時みたいに、ぴったりと、片耳を扉に密着させた。
(……ここじゃないみたい)
部屋の外の廊下からは、音がしなかった。
コンコン!
少し大きく響いたノックは、カトレアの背後からだった。そこには、分厚いカーテンで遮られた窓がある。
(一体なんなの?)
まるで急かしているみたいな音の変化に、カトレアは忍び足をやめて、窓へと駆け寄った。
重たい見た目の割には随分と軽い、カトレアがその価値を知らない高級なカーテンを、思い切り横に引く。
眩しい日差しに目を細めたのも一瞬、慣れた目には、窓に面した草木の庭だけがあった。
何も無い事に拍子抜けするも、音の正体が知りたくて、きょろきょろと庭を眺める。
(やっぱり何もないじゃない)
少しがっかりした時、聞き覚えのある歌詞が耳に流れこんできた。
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