65 【最終話】恋は隠さない

 


 一年後、地元の街でも式を挙げ、リナリアは十九歳、カーネリアンが二十歳の時、二人は結婚した。

 リナリアは、初めてとも言える程、街の人々に祝福され、温かい言葉をたくさんかけられた。

 この時までは、街の殆どの人に嫌われていると思っていた。

 だが、泣きながら、花嫁衣裳のリナリアを誉めそやすフリージアを見ていると、案外、自分は受け入れてもらえていたのではないかと、心に落ちるものがあった。


 フリージアのこともそうだ。

 リナリアは、先入観や偏見を持たずに、これまでのことを思い返した。彼女の行動は、実に分かりやすかったはずだ。

 リナリアが嫌い抜いていた時も、一方的に絶交した時も、カーネリアンと結婚することになった今でも、フリージアは、リナリアに好意を示してきた。

 しかしリナリアは、同じだけの気持ちを、一度も返したことは無い。

 涙まみれのフリージアが、リナリアに祝いの言葉を告げる。

 急にリナリアは、涙がこみ上げてきた。

 こんなに好きでいてくれる子を、どうして嫌っていたのだろう。

 リナリアは、フリージアに感謝していた。今まで見捨てずに、友人であろうとしてくれたことが、有り難かった。

 彼女は一生の友人だと、今なら心から思える。


「リナリア……リナリア……綺麗だよ、うう……すごく可愛い……」


 いつまでも泣いているフリージアに、カーネリアンが呆れた声をかけた。


「あのさ、いつまで泣いているの。もう式終わったんだけど」


「うう……リアン、性格変わった……? 何か冷たい……」


「これが素なんだよ。フリージアには取り繕う必要もないだろ。リナリアの親友なんだから」


 カーネリアンが溜息を溢す。リナリアは何となく、フリージアの言葉を拾った。


「そういえば、“リアン”って、誰が呼び始めたの?」


 リナリアがフリージアを敵視し始めたきっかけは、カーネリアンを愛称で呼んでいた事だ。

 そのことをふと思い出した。


「ランスも呼んでいるけど……多分親とかじゃないか」


 答えるカーネリアンも明確な答えは持たないようだ。

 おそらく家族が呼んだのが最初だろう、と結論づけたカーネリアンの言葉を、フリージアがあっけらかんと「あ、それ私」と否定した。


「だって、“カーネリアン”って長いんだもの。呼びづらいから。……あの、リナリア、誤解しないでね? 深い意味は無かったの、ただそれだけの理由で、決してカーネリアンが特別だったわけじゃないのよ? もしランスが、ランスロットって名前だったら、ロットって呼ぶと思うし、ミモザが、み、み……なんだろ、ミモリアザ? とかいう名前でも。リザって呼んだと思うの!」


 顔色を窺いながら必死に説明してくるフリージアを見て、リナリアは思った。


「“フリージア”だって、大して変わらないじゃない!」


 そう言うと、ころころと笑い出す。真剣に言っているが、自分の名前は棚上げしている事が、可笑しかった。

 声を上げて笑うリナリアに、フリージアは一瞬見蕩れて、ほっと息を吐き出す。


「リナリア、本当に、結婚おめでとう」


 フリージアは、また目を潤ませて、心からの祝福を贈る。

 一度乾いた涙が、またじわりと滲むのを感じながら、リナリアは微笑んだ。


「フリージア、貴女とは一生、親友でいたいわ」













 式も終わり閑散としている教会に、足を踏み入れる音が響いた。

 扉の内側に立った彼を除いて、中には誰も見当たらない。

 彼は教会の中央まで足を進め、並んだ椅子の真ん中に腰掛けた。

 目を閉じた彼の目蓋の裏に、今日の花嫁の姿が浮かんでくる。

 式の最中、リナリアは歌った。

 自分の声で話して、自分の声で歌った。

 彼女の呪いは解けたのだ。

 フリージアと親しげに話す姿も見えて、街の人々は安堵している様子だった。


 夫となったカーネリアンと寄り添い、街の人々に祝福されたリナリアは、この上なく幸せそうな笑みを浮かべていた。

 彼女のあんな笑顔を、ずっと見たかったのだ。

 リナリアが幸せなら、彼も幸せだった。

 全ての幸福を集めたような花嫁を前に、感慨無量でいた彼の側で、神仕えがそっと囁いていた。

 "リナリアの加護がますます強まっている"。

 それはきっと、リナリアが幸せだからだ。



 しっかり閉じたはずの教会の扉が開き、風が舞い込んだ。

 人が入ってくる気配がする。

 扉が再び閉まると同時に、足音が近付く。彼が座る中央の椅子まで迫ってきて、音は止んだ。


「何をしているの、ランス」


 自分に掛けられた声に、ランスは顔を上げた。

 両手を後ろで組んだミモザが、屈むように髪を垂らしてランスを見下ろしている。

 見返したまま口を開かないランスに、ミモザは問いかけた。


「落ち込んでいるの?」


 ミモザから逸らした視線を、足元に向ける。

 ランスは答えなかった。


「リナリアが結婚して、悲しい?」


 それにはくぐもった声で、ランスは正直に答える。


「嬉しいよ。やっと幸せになれたんだから」


 嘘ではなかった。

 だが、それが全てでもない。

 手を組んで、その上に額を乗せる。

 顔を伏せ、消せない想いを抱えたまま、懺悔をした。


「でも、どうしようもないんだ……」


 それきり、ランスは黙り込む。

 かつてはランスも、リナリアに恋をした。

 彼女の隣を夢見た。

 今そこには、彼の親友が、カーネリアンが立っている。

 彼らを見て思うのは、決して、喜びだけでは無い。

 心のそこに、真っ直ぐ見詰められない感情が残っていた。


 教会に沈黙が落ちる。

 ミモザは回りこんで、ランスの隣に座った。顔を上げないランスを、横からじっと見つめて、ぽつりと呟く。


「それでもいいの」


 ランスの髪にそっと手を差し入れたミモザは、そのまま少し待った。ランスは払いのけようとしない。ゆっくりと労るように、愛しさをこめて、彼の髪を撫でた。


「私も、ランスと同じだもの」


「……ミモザ」


「何?」


 ランスは、何か言おうと顔を上げたが、口を開いたまま、言葉にはならなかった。

 ずっと自分を見詰めていたらしい彼女と目が合う。

 ミモザは透き通るような瞳で、ランスを見つめ返していた。


 ミモザは綺麗だ。


 ミモザの気持ちを知りながら、距離を詰めようとも、離れようともしてこなかった。

 今まで、リナリアばかり見ていて、ミモザの事を、ちゃんと見てこなかったのかも知れない。

 ランスが他の誰かに心奪われていても、彼女は自分を好いてくれていた。

 ひたむきにランスを想うミモザは、恋する顔をしている。

 今までずっと、こんな顔で見詰められていたのに、彼女の美しさに気付かなかった事が不思議だ。

 目を見開いて、口をあけたまま固まるランスの顔が、徐々に赤みを帯びていく。

 何も言えずに、再び顔を隠してしまったランスに、ミモザは声を弾ませ、追い討ちをかけた。


「ランスが振り向いてくれるのは、そう遠くなさそうね」


 隠したランスの顔は、熱かった。

 とうとう、気付いてしまったから。

 失恋の痛みは、おそらく、長引かないだろう。











 王都では、教会に月に一度だけ現れる、美しい歌姫が話題を呼んだ。

 日の光を映す亜麻色の髪。雨上がりの空のように澄んだ青い瞳。

 透き通る白い肌に、整った顔立ち。

 美しい歌姫は、歌い終わると、いつも深紅の騎士に連れられて帰って行く。

 最近は、亜麻色の髪に、赤い瞳をした小さな男の子も一緒にいる事が多いらしい。




「ビオラさん、僕の目はそんなに珍しいですか」


 赤い瞳の男の子が、不思議そうに尋ねてくる。

 その目をまじまじと見ていたビオラは、姪の子供の頬を片手で撫でて答えた。


「珍しくないわね。貴方のお父様と同じ瞳よ」


「じゃあ、なんでそんなにじっと見ているんですか」


 されるがままに、頬に温もりを感じながら、子供はビオラの瞳を覗き込んでいる。


「先こされたなあ、と思ったのよ」


 そう言うと、ビオラは空いている手で、自分の腹を撫でた。そこは、大きく膨らんでいる。


「キッド兄様を口説き落とすの、大変だったんだから。本当は、貴方と同じくらいには産んであげたかったわ。そうしたら、歳が近くて良かったでしょう?」


「歳が離れていたら、駄目なんですか」


「そんなことないわよ! 私の子供とも、仲良くしてあげてね」


「はい」


 素直に頷く子供の頬から、頭へと手を移動して、軽く撫でる。


「でも、お母様とお父様は、まだ喧嘩しています」


 子供は眉を寄せ、難しい顔を作った。


「そうねえ、本当に珍しいわよね。何が原因でリナリアは怒っているの? 謎だわ」


「手帳を返すとか、返さないとか、言っていました」


「手帳? 何かしらね。ジオ兄様なら知っているかしら?」


 ビオラの上の兄は今、娘の機嫌を取るのに必死だ。

 最近、隠し事が見つかったらしい。


「私も大分遅く結婚したから、ね。貴方は、恋を秘めているばかりでは駄目よ。好きなら、好きって言いなさい」


 両親が喧嘩中で、行き場のない子供は、ビオラの話に耳を傾けてくる。

 興味深そうに、ビオラの言葉の続きを待っていた。


「貴方の両親、私よりも若いけれど、かなり遠回りしていたのよ。私も人の事言えないけれど。お母様の機嫌が直るまで、聞かせてあげましょうか?」


「オーキッドさんと、ビオラさんの話が聞きたいです」


「そう? そうねえ、どこから話そうかしら……」









 話の途中で、子供の父親が部屋に入って来た。

 父親は赤色の瞳を巡らせて、子供が居る場所で視線をとめる。

 彼は子供の側まで寄ってきて、屈むと、両腕を広げた。

 子供を軽々と持ち上げて、妻と同じ色をした子供の髪に、優しく触れる。父親の目は、愛おしげに細められていた。


「リナリアの機嫌を取るのを手伝ってくれ」


 抱き上げられた子供は、父親の腕に顔を埋めて、表情を隠した。隠す直前、ビオラには子供の顔が緩んだのが見える。


「しかたないなあ」


 子供は、口元を綻ばせて、おどけた声で返した。









<終わり>

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