44 過去・バントアンバー
レユシット家が有数の貴族で、王の覚えも目出度い名門ならば、バントアンバー家は、暮らしぶりを見れば、平民と変わらないほどの、貴族の末席であった。
それもそのはず、バントアンバー家は元々家名を持たない平民だったのだ。
何代か前、バントアンバーの娘がその代の王に見初められ、体裁のために与えられた家名に過ぎない。
拒否権はなく、娘は王に無理やり嫁がされた。ただの平民が貴族に名を連ねる。娘本人も、家族も望んだ地位ではなかったが、風当たりは強かった。悲劇は家族にしか理解されず、他の貴族からは当然、良い顔をされない。
それでも、王が家名を取り上げない限り、血が途絶えない限り、バントアンバー家はあり続ける。
娘が亡くなった後、バントアンバー家は栄えることなく、衰退の一途を辿った。
そして、バントアンバーの血筋は、とうとう父親と娘一人の、たった二人にまでに減ってしまう。
家名を与えられた当時、王に嫁いだ娘には兄弟がいた。その子供の直系であった。
王家に優遇されることはなく、貴族社会に馴染めるはずもなく、ひっそりと生きてきた。
そのまま遠くない未来、消えてなくなる家名だ。
その事実は変わらないし、バントアンバーの父と娘も受け入れていたが、そうなる前に、面倒ごとが舞い込んだ。
中堅貴族が催す夜会で、何故か貴族というのも疑わしいバントアンバー家が、招待リストに載ったのである。
その貴族は変わり者であり、気になった相手を手当たり次第招待しているようだった。
何故そこに選ばれたかといえばーーバントアンバーの家名を見て、その成り立ちを調べた時に、「王に見初められた家系の娘」は、大層美人なのではないか……と興味を引かれたからである。
こうして、期待はずれもいいところの容姿をした父と娘が、おそらく最後になるであろう夜会に出向くことになったのだ。
弟のオーキッドが養子として迎え入れられる前、妹のビオラがまだ生まれても居ない頃。
グラジオラス・レユシットは、父親に連れられて、ある夜会に来ていた。
父は周りに見せびらかすように、グラジオラスを夜会に連れまわす。
グラジオラスは口には出さないが、本当は人前に出るのが嫌いだ。
彼はとても綺麗な子供だった。そして、自分の容姿が非常に整っている事を、至極冷静に自覚している。
自分に向けられる視線に、不躾な、決して好ましく無い感情が含まれていることにも気付いていた。
溺愛してくる父には言えなかったが、褒められることを気持ち悪く感じた。
愛想を振りまくことが恐ろしかった。
そのままどこかへ連れ去られてしまいそうな恐怖が、常にあるのだ。
レユシットの家名がなければ、実際暴挙に出るものも居ただろう。
グラジオラスは幼い頃から魔性の美しさを持ち、それゆえに、常に気味の悪い思いをしていた。
グラジオラスが人の目を盗んで行動するのは難しい。
どうしても人の視線に耐え切れなくなって、彼は正直に、気分が悪いからと言って、会場を出た。
案内された部屋で大人しく休む事にする。
誰もがグラジオラスの容姿を褒め、父親に取り入ろうとした。
グラジオラスがどれだけ努力した所で、誉められるのはいつも容姿だ。内面や能力を見てもらえないことは、まだ子供であるグラジオラスを段々と捻くれ者にさせた。
自分を可愛がってくれる父親でさえ、グラジオラスが何かを成し遂げても、「グラジオラスは可愛いなあ」と、見当違いなことを言う。
見た目しか評価されない。
恵まれた環境に、恵まれた容姿。内面も見て欲しいなど、人から見れば贅沢な悩みだ。
グラジオラスはそのことをよく理解していた。だから口には出さなかった。
しかし、名門レユシット家と、整い過ぎた容姿は、多くを望まないグラジオラスにとっては、大きすぎたのだ。
彼は人並みが良かった。
だが人並みとは言いがたい家柄だ。
腐ることはなかったが、彼は貴族社会に合わない自分の性根に、疲れきっていた。
夜会の終わりがけに、グラジオラスは休んでいた部屋を出た。
人もまばらになり、視線があまり気にならなくなる。
何の気なしに、パーティー会場ではなく、庭に出てみようと思った。
彼は無意識に、人が少なそうな所を探して行動していた。
屋敷の窓からもれる室内の明かりが、ぼんやりと、広い庭を照らしている。
思った通り、庭には人が見当たらなかった。
少し散歩してから戻ろう、そう思った時だ。
「余計な事ばっかしやがって!!」
物陰から聞こえた声に驚いて、グラジオラスは咄嗟に身を隠した。
掌で頬を叩く、高い音が響く。
やや抑えた声で、誰かに向かって男が叫んでいた。
「奴らはな、俺らを笑いものにしようと呼んだんだろうさ! 大人しくやり過ごせばいいものを、勝手にしゃしゃり出るんじゃない! お前のせいで余計な恥をかいた!」
ばしん、と再び叩く音。
グラジオラスは、どうしていいか分からず、隠れたまま音と怒声を聞いた。
「ごめんなさい、お父さん……」
少女のか細い謝罪が聞こえる。
父が娘を叱っているようだが、男の言動はあまりにも乱暴だ。
グラジオラスは、父にそんな扱いを受けたことが無いので、酷く衝撃を受けた。
ごほ、と男が咳き込む。
咳は一度では収まらず、苦しげに何度か続いた。
度々そんな様子だったので、男は体が強くないのかもしれない、とグラジオラスは思う。
「大丈夫、お父さん……」
「うるせえ!」
娘が声を掛け、父はそれを振り払ったようだ。
「……バントアンバーなんて家名、役にたちやしない」
男は自嘲して、少女に語って聞かせていた。
「……アザレア、お前の母親はな、俺が家名持ちだから俺に近づいたんだ。だがバントアンバーが貴族の末端で、平民より貧しいって分かった途端、生まれたばかりのお前を置いて逃げたんだ」
周りに誰も居ないと思っているのだろうが、グラジオラスが聞いている。
これは聞かないほうがいいのかと思いながら、今移動すれば見つかるかも知れないという思いと、見つかったらどうなるか分からないという思いで、グラジオラスは動けずにいた。
いかにレユシットの家名があっても、人気の無いところで男に見つかるのは良くない気がする。
仕方無く息を潜めて、引き続き会話に耳を傾けた。
「貴族なんか、大嫌いだ……」
男の声には、様々な感情が垣間見える。
先ほど叫んでいた時よりは、幾分落ち着いたようだった。
「アザレア、俺はこの後寄るところがある。お前、一人で帰れるな?」
「うん。大丈夫……歩けない距離じゃないから……」
「当たり前だ。俺たちみたいなのが、馬車なんて上等なもん、乗れるわけ無いだろう」
会話にまた驚く。歩いて帰ると言った、少女の言葉に。
二人の家がどこにあるかは知らないが、このあたりは中堅貴族の屋敷が集まっている。
さらに下級となると、もっと離れた所にあるので、少なくとも、少女はそこまで歩かなくてはならない。
確かに歩けなくはないだろうが、普通は馬車で移動する距離だ。一晩中歩き続けるつもりだろうかと思う。
まさか、来るときも歩いて来たのだろうか。
グラジオラスが一人考えている内に、言い終えた男が去っていく気配がする。
芝生を踏む音が止み、完全に静かになってから、ほっと息をついた。
「もう出てきても大丈夫ですよ」
明らかにグラジオラスに対して向けられた言葉に、心臓が跳ねる。
つたない喋り方だった。言いなれていないのだろうな、という思いが、頭の隅に浮かぶ。
少女はグラジオラスが隠れていた事に気付いていたのだ。
グラジオラスはやり過ごす事を諦めて、そっと顔を出す。
少女がじっと、グラジオラスを見ていた。
無感情の瞳で。
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