33 レユシット邸①
道中、景色を眺める気分ではなかった。
馬車が動き出すとすぐに、リナリアは目を閉じた。
オーキッドは信じて疑っていないようだが、リナリアと似ているという、彼の兄と自分が親子だとは、未だに信じ難い。
(きっと、こんなの娘じゃない、って追い返されるわ)
それでもいいと思った。
母から語られることのなかった父に、大して興味もない。
ただ、カーネリアンへの恋心を隠すために、少し遠出したくなっただけだ。
今のうちに、心の整理をしておくのだ。
昔フリージアを責め立てたみたいに、誰かを傷付けてしまわないように。
街から遠のき、王都が近付くにつれ、日も高くなっていく。
瞼の上が明るい。窓から差し込む日射しに、結構な時間が過ぎたことを感じた。
目を閉じたままのリナリアを、オーキッドは不躾にならない程度に見つめていた。
揃えた足に、行儀よく手を重ねて置き、大人しく座る姿は、何処か気品がある。
その美しさは、ここに絵師がいれば、迷わず一枚の絵に収めたいと思うだろう。
二人の間に会話はない。
馬車の音はするのだが、揺れが少ないこともあって、世界から隔離されたような感覚に陥る。
ひどく凪いだ気持ちだ。
会う度軽快に、リナリアへ話しかけていたオーキッドは、今は、この美しい静謐を壊したくないと思った。
やがて馬車が止まる。
オーキッドは心苦しくも、優しく声をかけて、リナリアを起こした。
「リナリアさん、着いたよ」
ぼんやりとしたリナリアが、オーキッドを見返してくる。まだ意識がはっきりしないようだ。
その様子が何だか微笑ましく思えて、殊更優しく、甘やかすような声を出した。
「お寝坊さん」
その言葉を聞いて、リナリアは一気に覚醒した。
どれぐらい時間が過ぎたのか、うつらうつらと、リナリアは少し眠ってしまっていた。
目を覚まさせたのは、もう随分聞いていない言葉で、思いがけない台詞だった。
母がリナリアを起こす時に、たまに言っていた。
それをリナリアに言ってくれるのは、母だけだ。
二度と聞けない言葉のはずだった。だが不意に耳に入り、懐かしい記憶が過ぎていく。
それは寂しさを伴っていた。
目を見開いて固まるリナリアは、異様な驚きようだったのだろう。
また何か余計なことをいっただろうか、と思っているような顔で、オーキッドはそわそわとしていた。
「リナリアさん……?」
心配そうな声に、現在の状況を思い出したリナリアは、眠ってしまったことが恥ずかしく、頭を下げた。
謝罪の意味も込めているのだが、オーキッドには正しく伝わったようだ。
「疲れているところごめんね、俺の実家に到着したから、降りようか」
先に降りたオーキッドが、自然な動作で手を差し出してくる。
恐縮しながら手を重ねたリナリアは、はたと気付く。貴族の屋敷に入るのに、今の出で立ちは好ましくないのでは、と。
全く考えが及んでおらず、急に不安になる。
リナリアの服装は、街で一般的な、上下で分かれていない女性用の物だ。足首まであるスカート部分は、裾に細かい刺繍があしらっており、薄青色の布地に映える、濃紺の糸を使っている。
清潔感があり、決してみすぼらしくはない、とリナリアは思うのだが、上等な服とは言えない。
(何も考えないで、いつも通りの格好をしてきちゃった……)
後悔しても遅いので、覚悟を決めて馬車を降りた。
風が通りすぎ、リナリアの髪を靡かせる。
自分の髪で一瞬遮られた視界が開けた時、あまりの場違いさに、リナリアは卒倒しそうになった。
自分とは無関係であれば、素直に観光気分を味わえたのかもしれないが、本来は気が弱いリナリアには到底無理なことである。
(まるでお城だわ……)
実際に王宮を見たことがないので、ただの想像だったが、他に例えようがなかった。
愕然としているリナリアとは反対に、オーキッドは慣れ親しんだ実家を前にして、何の気負いもなく歓迎の言葉を口にする。
「レユシット家へようこそ、リナリアさん」
見たこともない豪邸に、早くも帰りたくなるリナリアだった。
「オーキッド様! おかえりなさいませ」
オーキッドの後ろに隠れるようにして、屋敷に入ると、大勢の使用人と、老執事が出迎えた。
「出迎えはいいって伝えたんだけど……大袈裟だなあ」
兄への手紙でそう書いておいたのだが、まるっきり無視である。
「しかも兄さんは来ないんだ?」
理由は分かっている、というようにオーキッドが尋ねると、老執事も同意するように、「グラジオラス様ですから……」と、何処か可笑しそうに言う。
「嬉しいのに、私どもの手前、素直になりきれないと言いますか……」
「いい大人が……」
オーキッドも慣れたもので、老執事と軽口を言い合う。
「それは先日私も申し上げました」
「相変わらずだなあ」
「して、後ろの女性を紹介していただけるのですか?」
リナリアは気配を消すように大人しくしていたが、いつまでもそうしてはいられない。
オーキッドがそっと体をずらす。
隠れられなくなったリナリアは、観念したように顔を上げた。
「…………」
老執事も、少し離れた使用人達も、言葉が出ないようだった。
リナリアは自己紹介出来ないので、オーキッドが代わりに説明する。
「彼女はリナリアさん。訳あって喋れないから、何かあったら俺に言うか、もしくは、彼女が筆談出来るようにして。ああ、こちらの声は聞こえるから、声をかけるくらいなら大丈夫だよ」
オーキッドが言葉を切ったところで、リナリアが深くお辞儀する。顔をあげても、不安からか彼女の表情は固い。
「じゃあ、早速兄さんに紹介してくるよ」
「……グラジオラス様はお部屋に」
「分かった。こちらへ、リナリアさん」
呆けたまま、主人の居場所を告げた老執事をおいて、二人はグラジオラスの自室に向かい、階段を上がっていった。
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