4 嫉妬
十二歳のリナリアは、どうしようもなくカーネリアンのことが好きだった。
カーネリアンは、他の子には優しいのに、リナリアに対しては少し素っ気ない。
自分にも微笑んで欲しいと思いながら、他の子と同じ扱いでは嫌だと思った。
彼の特別になりたかった。
カーネリアンが、一家で王都旅行をすると言って、数日間街から居なくなることがあった。
彼はこの街に引っ越して来る前は、王都に住んでいたらしい。
王都と言っても隣街なので、そんなに遠くはない。
それでも、リナリアは病弱な母と暮らしているので、隣街でさえ行ったことがなかった。
彼が楽しんでいるといい。そう思いながら、見たこともない王都を想像した。
薄々、カーネリアンに好かれていないのではないかと思い始めていた。
そのことが、リナリアを不安にさせた。彼らが旅行にいっている間も不安だった。
甘やかされ、人を気遣わないリナリアは、相手の感情の機微に疎かったが、カーネリアンにどう思われているかは、よく考えていた。
王都にいるとき、カーネリアンは清々するだろうか。
それとも、リナリアのことなんて頭の隅に追いやって、旅行を満喫しているだろうか。
少しでもリナリアのことを考えていてほしかった。
我が儘は鳴りを潜めて、生来の臆病な性格が顔をだす。
帰ってきた時、出迎えたリナリアを見て、嫌そうな顔をされたらどうしようと、後ろ向きなことを考えては落ち込んだ。
リナリアは四六時中ずっと、カーネリアンのことを考えていた。
「カーネリアンが帰ってきたって!」
嬉しい知らせはすぐにリナリアに届けられた。
友人の一人が教えに来てくれたとき、リナリアはまだ家にいた。
普段は、カーネリアンとなるべく一緒に居たいため、朝早くから教会へ向かうのだが、この日は母の体調が悪かったのだ。
すぐに教会へ行きたかったが、母の側を離れるのは躊躇われた。
リナリアはカーネリアンに恋をしているが、母のことも大切だ。
数年前から一向に回復しない母の体が心配だった。
すぐに行くと言わないリナリアをみかねて、横たわる母はそっと娘の背を撫でた。
「リナリアは優しいわね」
母はいつものように、穏やかな笑みを見せた。
まだ心根が幼いリナリアは気づかない。
母はいつも、遠くを見るような、ここではない何かを思っているような目をしていた。
我が儘なリナリア。
母に対しては、心優しいリナリア。
「行ってらっしゃい」
リナリアは思った。
母の感情がありありと分かる。
今日は教会に行かずに、母の側に居よう。そう決めたことに気づいたのだろう。
母は、心配されたことを嬉しく思ったようだった。
その上で、リナリアのしたいことを我慢しなくてもいいと、気遣ってくれたのだ。
リナリアは自分に都合がいいように解釈した。
「……うん。行ってきます、おかあさん」
結局、やっぱり、早くカーネリアンに会いたかった。
教会へ行くと、珍しくカーネリアンからリナリアに話しかけてきた。
それだけでも嬉しいのだが、もっと嬉しいことがあった。
「リナリアの分。別に君だけじゃないから」
手を出せ、という動きをされたので、リナリアは素直に手を出す。すると、手の平からはみ出さないくらいの、小さな紙袋を渡された。
「……?」
それを不思議そうに見ていたリナリアは、周りの友人達も多少の違いはあれど、紙袋を手にしていることに気がついた。
「これ、なに?」
「王都で買った。旅行土産」
「え!」
カーネリアンから何か貰えるとは期待していなかったので、意外に思う。
「どうせ君だけ渡さなかったら、あとからうるさいだろう」
今まさに、「どうして私に一番に渡さないの! 常識でしょ!」と言いかけていた。
リナリアは、本心ではそんなことを思っていなかった。
嬉しくて、つい、照れ隠しで、いつものよう口が出そうになる。
無性に恥ずかしくて、ありがとう、と言えなかった。
あまり黙っていると、また「礼儀としてお礼ぐらい言えたほうがいいんじゃないの?」なんて言われそうだと思い、言葉を探す。
何か言わないと。
そう言えば挨拶をしていない。
(カーネリアン、)口を開く。
「リアン!! 早く戻ってきてよー!」
リナリアが、お帰りなさい、と言うのを、少女の高い声が遮った。
あまり馴染みの無い声である。
一瞬で、リナリアの気分が黒く染まる。
“リアン” ……?
“戻ってきて!”……?
カーネリアンを愛称で呼ぶ少女の声は、リナリアに知らない感情を呼び起こさせた。
「戻ってきて」と言ったのは、さっきまで彼女と一緒だったからか。
(……この私を差し置いて!)
高慢なリナリアが顔を出す。
カーネリアンの一番は自分でなくてはならない。
リナリアは、ゆっくりと声のしたほうへ向き直る。
数人の子供がいたが、リナリアはカーネリアン以外眼中に無かったので、誰だかよく分からなかった。
答えはカーネリアンが口にした。
「フリージアにも渡すよ。今そっちに行く」
彼が少女の名前を呼ぶ声が、リナリアの心の奥底に沈んでいく。
このことが、リナリアに初めて嫉妬の感情を自覚させた。
たかが名前をよんだだけ。
この時のリナリアにとってはその程度のことでも、自分の支配下に置きたかったのだ。
それからは毎日、最悪の気分だった。
顔も知らなかった少女は、フリージアという。
リナリアが意識していなかっただけで、フリージアは昔から教会に通っていた。
実をいうと、フリージアも、例に漏れず純粋にリナリアを慕っている信者の一人だった。
その気持ちをリナリアが汲み取ることはなかったが。
一度目につくと、兎に角目障りだった。
カーネリアンと二人で話がしたいのに、フリージアは邪気の無い顔で割り込んでくる。
カーネリアンはリナリアに向ける仏頂面ではなく、親しげな笑顔をフリージアに向ける。あまつさえ、声をあげて楽しそうに笑うのだ。あの、カーネリアンが。
リナリアとカーネリアンと、他多数、といった普段の集団が、いつの間にか変わっていた。
リナリアとカーネリアン、そしてフリージアの三人に。
フリージアは不器量でもないが、華やかさもない少女だ。
下がっている太めの眉毛は、毒気を抜かれる愛嬌がある。
櫛が引っ掛かりそうなうねる髪は、肩を少し超すくらいで、彼女の和やかな雰囲気によく合っていた。
性格も曲がってはいないが、空気の読めないところがあり、リナリアの悪感情には微塵も気付いていなかった。
フリージアは、周りに受け入れられていた。
リナリアは、自分がカーネリアンにとって主役ではないことが許せなかった。
三人でいるのに、リナリア一人が取り残されている気分が続く。
堪らなかった。
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