第38話
「ああ、もう大丈夫だ。すまなかったな。」
フローリアンが泣き止んだのはそれから数十分後の事だった。
「本来ならあいつの新しい旅立ちを祝ってやらにゃならなかったんだろうが我慢できんかった。」
「そっか。」
「さ、兄貴がいつ帰ってくるかもわからねぇし俺も仕事するかな。」
立ち上がり空元気を見せるフローリアン。その姿は少し痛々しい。
「……じゃあ俺もいい加減元の宿に戻るかな。冒険者としての仕事を最近全然してないから。」
「寂しくなるなぁ。」
「また顔を出すよ。今後の展開も聞きたいしな。」
「ああ。いつでも来るといい。クロッカス本部で仕事してるか家でゴロゴロしてるはずだ。」
「それじゃ、また。」
「ああ。またな。」
そうしてフローリアンの家を後にしてヴィートは堅気の世界に帰還したのだった。
まずは宿へ戻り女将さんに挨拶をしなくてはと思い、“星光の導き亭”へと足を向ける。
「ただいまー。」
「!あんたヴィート!いったいどこに行ってたんだい。何にも言わずに!宿代はまとめてもらってたから部屋はそのままにしてるよ。」
「ははは……ありがとう。ちょっとごたごたに巻き込まれてね。」
「まったく心配させて。今度から部屋を長く開けるときは言っておくれ。いいね?まあヴィートにも色々事情があるんだろうけどさ。」
「了解です。(言えない……ただ単に宿への連絡を忘れてたなんて言えない……)」
「そうだ、ヴィート。お前さんに手紙を預かってるよ。」
「手紙?誰からだろ。」
手渡された手紙はしっかりと蝋封がしてあり、印は盾と剣に百合が絡みついた印……屋敷で見たクライグ伯爵家の印だ。部屋に戻り、手紙を開ける。
(なるほど。貴族らしい回りくどい文面だけど、要は吸魔の指輪の悪影響が無い事が分かったから治癒をお願いしたい……って事だな。しかし大体一週間くらいしか試着してないけどいいのか?ニコラスの体調が急変したとかならこんなにまだるっこしい言い回しじゃないだろうし……。)
手紙の内容にしばし考え込んだが、結局は屋敷に行けばわかる事だと気持ちを切り替えた。
ひとまずまだ昼になるまで時間があるので鍛練に費やす事とした。ヴィートが思い返しているのはチャリオットとの模擬戦。影に潜り、一瞬で移動する技に勝てなかった事だ。
宿の裏にある空き地でチャリオットを召喚する。退屈していたらしく、すぐに召喚に応じた。
「おお、ヴィートよ。今日は何用だ?」
「ちょっと稽古つけてもらおうかと思ってね。」
「ふっふはは。いい。いいぞ。お前の考えていることはわかる。悔しいのであろう?」
こらえきれず、といった様子でチャリオットが笑い出した。どうやら彼は根っからの戦闘狂らしい。
「……まぁ腹立つけどそういう事。勝てるようになるまでやる。後で嫌だとか言わないでね。」
「どうせ退屈していたところだ。存分に付き合おう。」
チャリオットの手に黒杖が現れる。ヴィートもそれに呼応し、木刀を構えた。先に動いたのはヴィート。これは戦術的な動きではなく、胸を借りるのだからこちらから仕掛けるべきという礼儀に則った考えからだ。
本気ではない牽制の一撃は予想通り素気無く黒杖に受け止められる。そのまま流れで打ち合う。ヴィートは内心でチャリオットの評価を改めていた。
(前回の模擬戦でも強いとは感じたけど、底が全く見えない。まだ影の力を使ってないにもかかわらず、だ。……一体武人としてどの程度の高みにいるんだ?)
「どうしたヴィート。腰が入っておらんぞ、腰が!」
「(いや、胸を借りてるのに相手の腕前を測ってる場合じゃないな。全力で立ち向かうのみだ!)……押忍!」
そのまま激しい乱打戦に突入したが鍛練が終わるまでヴィートがチャリオットから一本取る事は出来なかった。
昼になり、鍛練を終えたヴィートは煮込み屋で昼食を取る事にした。足りない栄養を身体が欲するように、無性に食べたくなったのだ。身体の3分の1が煮込みというのは伊達ではない。
「おいーす。久しぶり。店は大丈夫だったかい?」
「ヴィート!ええ。特に何も起こってないわ。今日は様子見に来てくれたの?」
「ははは……この1週間で片付けてきちゃった。」
「本当!?じゃ、もう大丈夫なの?」
「ああ。ま、そこそこ頑張ったからな。煮込み食べたかったし。」
「ふふ。それじゃとびっきりの奴用意しないとね。」
「とびきりっつったっていつもの煮込みだろうに。」
「あいじ、……っじゃなくて気持ち!気持ちがとびきりこもってるの!」
「(噛んだな……なんか言いかけなかったか?)ま、とにかくいつもの煮込みとワインをくれ。安い奴な。」
「かしこまりましたっ!」
普段通り圧倒的な早さで煮込みが持って来られる。器に注ぐだけなのだから早いのは当然なのだが。王都で商売している煮込み屋はその速さが一つのウリだったりする。
「はい、お待たせ―。」
チャリオットとの契約から今日まで、昼食はスラム周辺のまだましな店で食べていたのだが、やはり中央通りにほど近い店々と比べたら一段も二段も味が落ちる。
「うん。いつも通りうまい。」
「やっぱり安心するわ。ヴィートがそこの席で煮込み食べてると、猛烈に“普段の日常だー”って思うのよね。」
「そんなに馴染んでるかい?」
「そりゃもう。」
「まぁ遠征してない時は大体ここで昼とってるからなー。」
「それを急に危ないからって来なくなるじゃない?心配したのよ。まぁすぐ片付いたみたいで良かったけど。あんな真面目な顔するんだもの、2,3か月来れないかと思ってた。」
「いやー、自分でもびっくりというか。うまい事、事が運んだというか。単に運が良かっただけなんだけどね。」
「そういえばアルバンに噂広げさせてるんだって?そのせいかヴィートに会いたいって人が何人も来てたわ。冒険者ギルドやら貴族っぽい人とか。しばらく来れないって言ってた、って言って帰ってもらったけどね。」
「げっ、そういえばそんなの頼んだな。もう片付いたから噂広めるのはやめてもらわないと。」
「うーん。もう王都中の人が知ってると思う。」
「アルバン有能すぎるだろ……。」
その後もこの1週間にあった事を話しながら昼食を楽しんだ。
店を出るとまず、冒険者ギルドに向かう事にした。その後戦闘剣道場に向えばアルバンがよく訓練をしている夕方の時間になるだろうと当たりをつけている。
冒険者ギルドの戸をくぐると周囲の冒険者達の目線がヴィートに向いていることが分かる。例の噂、炎の異能を手に入れた話が効いているようだ。元から一目置かれていたこともあって、嫉妬と言うよりも羨望や憧憬に近い。
「あ、ヴィートさん!お戻りになられたのですね!急ぎギルドマスター室へお願いします!」
馴染みの受付嬢レアに引っ張られてギルドマスター室へと連れてこられる。軽快なノック音が4回弾む。
「ギルドマスター、冒険者ヴィートをお連れしました。」
「うむ。入れ。」
中に入ると書類仕事をしていたのだろう、大きな身体を縮こまらせて書き物をしていたゲオルギオスが筆を置いた。
「久しぶりだなヴィート。変わりないか?」
「まぁぼちぼちです。」
「あーレア、席を外してくれるか。受付業務に戻ってくれ。」
「はい。失礼しました。」
「……さて、ヴィートよ。お前を呼んだのは他でもない。王都中で流れている噂についてだ。お前異能を手に入れたのか?」
質問の体を取っているが、例の噂が事実だと確信している事を視線が物語っている。流石は百戦錬磨のギルドマスター、と言ったところだろうか。
「ええ、入手しました。」
「それは父神関係で?」
「あんまり多くは話したくないですが、まぁそうです。神の力を感じることが出来るので。」
「そうか……ヴィート。一応聞いておくがその才能を国の為に使う気はないか?」
「ないです。」
「即答か。ま、そうだろうな。」
「どうして国なんです?ギルドには不干渉のはずでしょう?」
「異能の力が強すぎるから管理しないといけない、ってのが建前だ。水を生み出したり、植物を操る異能は国家がのどから手が出るほど欲している物だからな。異能の力に関しては国との協力関係にある。」
「戦うよりも働いてもらいたい訳ですね。異能持ちには。」
「ああ。しかし噂では炎の異能だからな。上層部は無理して取り込むほどではないと判断したらしく、一応交渉してくれとしか言われてない。」
「……これで国益に沿う異能だった場合って。」
「……あっという間に自由は消滅、一生城で飼い殺しだろうな。」
「……。」
「仕方ねえのさ。異能の力は一国の行く末を変えるからな。活用の仕様が無いからってほっといてもらえるだけありがたいと思え。」
「はぁ……次からは異能を手に入れても絶対に秘匿します。」
「ああ、そうしろ。俺も国から口出しされるのは好きじゃねえ。それにしても異能を手に入れたんなら今の銀級だとちとまずいな。低すぎる。」
「でもこの間昇格したばっかりですよ。」
「それなんだよなぁ。異能を手に入れたのは功績じゃない。が、戦闘能力が上がってるのは間違いない。どうするかな。」
「まぁ、ランクは実力で一歩ずつ上げていくので、上がらなくても結構ですよ。ギルド側にも色々しがらみがあるかとは思いますが。」
「そうか。なるだけこちらも意に沿う様するつもりだ。とにかく今日呼んだのは確認のためだからな。もう帰っていいぞ。」
「はい。失礼します。」
マスター室を退出したヴィートは内心でかなりビビっていた。
(異能の影響力を甘く見てたな。まさか国から干渉してくるとは。マリの煮込み屋に来たらしい“貴族っぽい人”も国からなんだろうし。無視するわけには……いかないよなぁ、やっぱり。)
その後、受付で依頼をチェックして冒険者ギルドを後にした。冬になった事で燃料の需要が上がったのか、森に入り薪を集めてくるか“魔牛の楽園”で牛を狩ってくるかが主でめぼしい依頼は無かった。
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