レベル189

「ずっと、ずっとこうしたいと、思っていました」


 そう言ってしがみついてくる少女。


 丹精込めて育ててくれたマスター。

 ビックフットに食べられそうになった時に助けてくれたマスター。

 ずっと肌身離さず、私を手にして心が震えるような音を紡ぎ続けてくれたマスター。


「こうやってマスターと話せる日を、心よりお待ちしておりました」


 そう言って、笑顔で涙を拭う少女。

 なにやら随分慕われている気がする。

 ロゥリの時がアレだったから、このギターは随分大切に扱っていた。その甲斐があったのだろうか?


 ただちょっと、なんていうかちょっと、慕われすぎな気もしない事がない。


「ところでここは何処なの?」

「ここは私とマスター以外の音がまったくない世界」

「音どころか地面も天井もなくなっているんだけど?」


 今は何も無い空間にギターちゃんと二人、フワフワ浮いている。


 音というものは振動によりもたらされます。

 そして全ての物質は原子の振動によって作られています。

 そんな原子の振動がなくなれば、物質は形を成しません。


「ここはそんな世界、私とマスターのみしか存在できない世界。さあここで、私達だけの音を奏でましょう!」


 ギターちゃんはオレの右手を両手で優しく包みこむ。


「この神の手で、指で、私の全身を使って、二人で至高の音を目指しませんか」


 なんか言い方がエロいな。

 そう言うと元のギターに戻る。

 オレはそのギターを手にし、1オクターブを奏でる。


 まるで全身が音に支配された気がする。


 ここでは、壁も地面も空さえも存在しない。

 どこまでもその音が世界中へ響いていく。

 いつの間にかオレは夢中でギターを掻き鳴らす。


 世界がオレの音楽で埋まっていく。

 何も無かった場所に、次々と音が生まれ、ぶつかり合い、響き合い、新たな音を、世界を作り出していく。

 それはまるで、オレがこの世界を作り出す神にでもなったかのごとき。


 時間も、空間も捻じ曲げ、音の世界を作り上げていく。


 どれくらいそうしていただろうか? ふと、そんなオレだけの音で出来た世界に雑音が混ざる。

 その雑音はどこか懐かしいような、愛おしいような、心をざわつかせる一つの音。

 ふと、手が止まる。


『どうしましたマスター? 何か気になる事でもあったのでしょうか』


 ギターちゃんの声が頭の中に響いていてくる。

 コイツには聞こえなかったのだろうか?

 アレは……そうだ、エクサリーの歌声に近かった気がする。


 しかしその音は、とても切なく、心を締めつける、まるでバラードの様な思わず泣けてきそうな歌声だった。

 エクサリーがバラード?

 気の所為だったのだろうか? エクサリーがバラードを歌う事なんてほとんど無い。


 エクサリーの好きな曲は、明るく、周りを笑顔にする、そんな曲ばかり。


 オレはまたギターに手を添えようとしてふと思いつく。

 いったいどれくらい演奏していた……?

 思えばかなりの時間、ギターを弾いていた気がする。


 ここでは太陽も昇らない、今が昼か夜なのかも分からない。

 どれぐらいの時、どれぐらいの時間をオレはここで居る?

 しかも、どれほど演奏しようとも体は疲れると言う事を知らない。


 ……なんだか嫌な予感がして来た。


「そろそろ元の世界に戻してくれないか?」


 オレはそうギターに問いかける。

 しかしギターからの反応はない。

 ちょっとギターさん? もしもし?


 するとギターは少女の姿になり、オレにしがみついて来る。


「マスターと私の間に、他の雑音は必要ありません」

「えっ?」

「さあ奏でましょう、私とマスターの音を。それだけで世界は満ち足りるのです」


 そう言うとまたギターの姿に戻ってしまう。

 その後はウンともスンとも言わない。

 これはあれだ、ちょっとヤバイ慕われ方かもしれない。


 しかしまずいな……ラピスの奴、大丈夫だろうか?

 暴走して、とんでもない事してなければいいが。

 子供の頃、ラピスに黙って一日家を空けただけで、そこら中の家々を回って捜索隊まで作ろうとしていたような……


 オレは音に乗って出口がないかどうか世界を飛び回る。


 この世界はどこまでも広く、そしてどこへでも一瞬で行ける。

 時間が過ぎている感覚もほとんどない。

 音を鳴らせば、何時にでも、どこにでも行ける気がする、そんな音の世界。


 そんな世界に少しだけ雑音が混ざるときがある。


 オレはその場所へ、その時へと、その音を探してまわる。

 最初は気の所為かと思うほどの小さな音。

 それが徐々に、小鳥の囀りから、波の音の様に。


 風の泣き声から、木々のざわめきへ。徐々に、徐々にオレの世界へ浸透してくる。

 いつしか引き寄せられるように、その場所へオレの音が集まって行く。


 ―――音が光に変わる、そんな気がした瞬間。


 世界が瞬いた!


「これは……いったい……!?」


 次の瞬間、オレの耳に様々な音が届けられる。

 遥か上空から見下ろすその世界。

 そこでは数万人の観衆に囲まれたエクサリーとピアノを弾いているラピスの姿が見えた。


 観衆の声援が、エクサリーの歌が、ピアノの音が、オレの元へと届いてくる。


「呼んでいる……エクサリーが戻ってきて欲しいとオレを呼んでいる!」


 エクサリーの声は、人々を笑顔に誘う明るい歌ではない。

 それを聞くだけで、心がギュッと鷲掴みにされそうな、切ない、ゆるやかなバラード。

 愛する人を想い、ただそれだけを心から求める。たった一人が、たった一人の為だけに贈る歌。


「行かなければ、あそこへ。オレを待っているエクサリーの元へ!」


 ギターよ答えてくれ。


 世界には、オレとお前だけでは奏でられない音がある。

 誰しもが、一人一人違う音を奏でられる。まったく同じ音を作り出すことは不可能であろう。

 そして音とは、自分を知ってくれと訴える、もっとも原初的な手段ではないのか?


 音の本質とは、伝える、知ってもらう、分かってもらう。人だけは無く、地上に存在する全てのものが行える、たった一つの手段。


 それには、何よりも伝える相手が必要なのではないだろうか。

 唯、引き篭もって自分の音を磨くのもいいかもしれない。

 だが、最終的には、その音を誰かに伝えるべきではないだろうか。


 オレ達しか奏でられない音を誰かに知ってもらい、オレ達では奏でられない音を誰かから教えてもらう。

 そして、そんな音達が混ざり合って巨大なハーモニーとなる。

 それこそが、本当の音の世界が出来上がるって事じゃないのか?

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