13 ハヤナ

 村に住む仲間たちに、“新たな仲間”が加わることを報せる。

 この島に“《印》なき子供たち”が住むようになって六年。


「……もう、二十五人目……か」


 ハヤナは指折り数えていた手を下ろして、ため息をついた。


 村に住んでいる人間の名前なら、全部そらで言える。昔住んでいた村や町では、ありえないほどにこの村は小さい。


 ――これからもっと大きくなるのだろうか?


 村が大きくなる。それはつまり、《印》なき子供たちが増えるということだ。それが世界にとってどんな意味を持つのかなんて、ハヤナは知らない。


 ただ分かっているのは、自分がもしも生まれ変わるのなら、間違っても《印》のないまま生まれたくはない、ということ。


(……でも、《印》持ちにも生まれたくない)


 そう思い笑おうとしてみても、喉が引きつってうまく笑えない。そんな自分に苛立って顔をしかめていると、


「ハヤナお待たせ――って、うぇっ? 何怒ってんの?」


 ちょうど目の前の家の玄関が開いて、顔を出した少年がぎょっと立ちすくんだ。

 ハヤナは慌てて、笑顔を取りつくろった。


「や、何でもないよロイック。呼び出してゴメン、あのさ、昨日うちに運ぶの手伝ってもらった子のことなんだけど」

「ああ」


 ロイックは完全に家の外に出ると、扉を閉めた。そしてハヤナを見て「あの子、元気?」と訊いてくる。


「元気……うん、元気だよ」

「そりゃよかった。で、あの子も《印》なし? これからここに住むのか?」

「多分ね」


 昨夜海岸で見つかった、あの記憶喪失の少女。


 長い黒髪と、汚れ放題の奇妙な服。衣装そのものはどこかの神殿の巫女か何かのように見えたけれど、それに包まれている肢体にはあちこちにうっすらと怪我の治った痕があった。あまりにドジで転んでばかりいる――とか、そういった類の怪我ではないことはハヤナにも分かる。


 実のところ、まだあの少女自身の口から「ここに住む」と聞いたわけではない。

 それでも、誰もが皆――ハヤナ自身も、彼女がこれからここに住むのだろうと確信している。


 自分たちには、ここに住むことしか選択肢がなかった。大陸に居続けるのは地獄に等しく、そして他には死しかなかった。それはきっと、あの子も同じはずだ。


「新入りは女の子かあ……」


 ロイックは虚空を見るような目になる。きっと、昨夜見たあの少女の姿を思い描いているのだろう。


 かの少女を海岸で最初に見つけたのはハヤナだ。


 だが、ハヤナひとりでは家に運べない。マーサも腕力がない。だからもう一人村人を呼んだ。


 ロイックは村で一番丘の家の近場に住んでいるから、よく呼び出しては色々手伝ってもらっている。


 彼はこの村では年長に入る十七歳。たれ目で顔はころころと丸く、そこだけ見ればちょっと頼りなさげだけれど、実は体つきがよく力持ちだ。ロイックがいれば、彼の背に少女を載せるのをハヤナとマーサが手伝うだけで十分だった。


 運び終えて帰ろうとするロイックには、「私たちがいいと言うまで、この子が来たことは誰にも言わないで」と頼んでおいた。

 彼は素直にそれに従ってくれたようだ。


 だから今、ハヤナとチェッタ、ジオが手分けして村に報せるまで――ロイック以外誰も、彼女の存在を知らずにいた。


 報せるべきではないと、マーサが判断したのだ。夜中に一度だけ意識を取り戻した彼女には記憶がなかった。どうやってこの島に来たのかが分からなかった。だから、へたに村人たちに言えなかった。


 “海岸に唐突に仲間が降ってきた”なんて。


 この島は海に浮かぶ孤島。船を使わないでたどり着くには、何かしら《印》の力を借りるしかない。

 でも、少女自身に《印》はない。


 じゃあ一体誰の力で?


『きっとユードが何らかの方法で彼女を送ってきたのでしょう、とみんなには伝えて』


 マーサは妹弟にそう告げた。

 今は島にいない、最年長の青年の名前を出せば、村人は安心すると知っているから。


 ハヤナは忠実にそれを守った。


「ユードが外であの子を見つけて、送ってきてくれたみたいだ。どうせなら一緒に帰ってきてくれればよかったのにさ」

「はは、たしかになあ。――でもさ、あの子珍しいよな? 俺、金持ちの子かと思ったんだけど。違うのか?」

「――分からない。あの子、記憶がないみたいだから」


 そう言うと、ロイックは表情を曇らせた。


「ほんとに?」

「今朝も何も思い出してなかった」

「そうか……かわいそうだな」


 心底憐れんだ声でつぶやく。

 ハヤナは苛立ち、声を荒らげた。


「ばか。むしろ忘れてるほうが幸せだって、ぼくらの場合!」

「え? あ、そうか?」


 ロイックは首をひねる。思い切り眉根を寄せてうなり声を上げ、


「……そうかもなあ」


 納得したのかしてないのか、いまいち煮え切らない様子でうなずく。ハヤナは盛大に息を吐き、足元をつま先で蹴った。


「呑気だなあ。自分がどんな目に遭ってきたか、忘れたのか?」

「……でも俺は、別に忘れたくはないけど」


 ぽつり、と。

 つぶやかれた言葉が、ハヤナの胸を、きり、ときしませる。


 心が急激に縮んだ気がした――まるで『要らない』と拒絶しようと身を縮める子供のように。


 ハヤナは自嘲する。……仲間が自分と同じ思いでいてくれないのが、そんなに気に入らないのだろうか、自分は?


 こちらの心なんて気づくこともなく、目の前の年上の少年は、しんみりと眉尻を下げる。


「いや……でも、お前らは忘れたいんだよな。うん、それはそれで仕方ないよな」

「……ロイックは、妹を忘れたくないんだろ?」


 皮肉っぽく言ってやると、途端に青年の表情が緩んだ。


「うん。ネリー元気かなあ。相変わらずかわいいかなあ」

「兄馬鹿……」


 ロイックは滑稽なほどに思考回路が妹中心だ。故郷にいる妹を溺愛している。ハヤナはその妹を見たことなんかない。なのに鮮明にその姿が思い描けるような気がするのは、日々ロイックの妹自慢を聞いているからだ。


 舌打ちしたい気分になったけれど、我慢する。


(……認めるの、しゃくだけど)


 正直に言えば、気持ちは分かる。


 ロイックは《印》がないことで、故郷では親に虐げられたという。その彼に唯一味方してくれたのが妹だったらしい。と言っても、妹ネリーはまだ十歳にもなっていなかったそうだから、《印》のあるなしについて正しく理解できていたかは分からない。


 それでも。

 自分をさげすんだ目で見ないでくれる人が、一人でもいるなら。

 ただそれだけで、ロイックは命を長らえているのかもしれないなら。


 そのたった一人にどうして依存せずにいられるだろう?


「……メリィは? 何してる?」


 ハヤナは口調を和らげた。


 ロイックの目が夢見る世界から現実に戻り、軽く家のほうへと向いた。

 その表情は穏やかなまま。――彼は今この村で、妹とよく似た名前の少女を妹代わりにしている。


「さっきは絵を描いてた。朝早くから起きだして、ずっと描いてるんだ。朝ごはん食べさせるのが大変だった」

「そっか。完成したら見せてよ」

「もちろん」


 頼むまでもなく、義妹の描く絵が完成したら、ロイックはそれを持って村中に触れ回るに違いないんだけれど。


 メリィに会ってく? と尋ねられ、ハヤナは首を振った。


「あと一人報せに行って、早く家に戻りたいんだ」

「あと一人? ひょっとしてダッドレイ?」


 いつもの連絡網の順番を思い出し、ロイックは心配そうな顔をする。

 ハヤナが村中を回るとき、必ずある人物を最後にすることを、彼は知っていた。


「大丈夫か? 俺も一緒に行こうか?」


 ハヤナは苦笑した。


「ロイックが来たって変わらないって。大丈夫、一人で行ってくる」


 そう告げてもまだ不安そうなロイックに挨拶をして、ハヤナは彼の家を離れた。



 

 ハヤナたち姉弟がこの島に移り住んで早五年――

 大陸にいたころの自分は、今よりずっと子供だった。


(もっと大人だったら、もっとうまく切り抜けられた?)


 足早に道を進む。あまり頻繁に通ることのない道には、小さな石がごろごろと転がっている。それを踏まずに歩くのは不可能だ。


(……違う。今あの状況にいたとしても、ぼくは同じことをやった……)


 踏むたび、靴の裏にほんのわずかな刺激が走る。

 たくさんの小石たち。とるにたらないけれど、全部蹴り払うこともできない小石たち。

 まるで彼らが自らの存在を主張しているかのように。


(ぼくたちは道端の石)


 誰もが気にかけず、見つければ邪魔だと思う。

 そして、容赦なく踏みつける。そこにたしかに存在しているのに。


 ――この感触は、かつて住んでいた土地によく似ている。


 南のマザーヒルズ。その南西の小さな村で、彼女は生まれた。そして末弟が生まれた数年後には村を追われ、近くの町に飛びこんだ。


 人里を離れるわけにはいかずに、裏路地に住んでいた。誰かの目に留まればその視線は恐怖と侮蔑に満ちていたから、ひっそりと隠れることを選んだ。それでも居場所は人々に知れていて、わざわざ石や汚泥や糞尿を投げつけるためにやってくる者さえいた。


 泣きわめく幼いチェッタ、優しくなだめ続けるマーサ。

 目の前でやせ細っていく二人。


(二人を死なせたくなかった)


 自分の代わりに泣いてくれるチェッタが大切だった。

 自分と違ってきれいで居続けるマーサが大切だった。


 夜になると、自分に弟の世話を任せてマーサがどこかへ消える。その時間が耐え難く恐ろしかった。

 朝になり、体にあざを作って帰ってくる姉の姿がたまらなく哀しかった。


 だから、盗みに手を染めた。


 あのころの状況を考えれば、むしろ盗みだけで済んだことは幸運だったと思う。自分にそれ以上危険な考えが浮かばないように、マーサが誘導してくれていたのだと、少しだけ大人になった今なら分かる。


(後悔なんかしていない。二人が生きているなら、それでいい)


 そして五年前、自分たちの前に現れたのは。


『一緒に行こう。島で俺の仲間が、君らを待ってる』


 そう言って手を差し出したのは、優しいレモン色の髪をした少年。


 信じるもんかと思いながら、心のどこかで信じたのは、彼にもあの忌まわしい《印》がないことをこの目で見ることができたから。彼はわざわざそれをたしかめさせてくれたのだ。


(……ユード)


 足を止め、自分の両手を見下ろす。

 傷も多く節々が硬くなった、あまり女の子らしくはない手。


 かつて汚れにまみれたこの手を愛おしく思えるようになったのは、この村に来たからだ。チェッタは泣かなくなり、マーサはいつも満足そうな顔をしていて、そして自分は盗みをしなくなった。いいことばかりではないけれど、村のみんながくれるささやかな幸せはそれを帳消しにしてくれる。


(みんな)


 目を閉じ、自分の心に身をひたす。

 自分の内側の声を聴くために。


 ――もう危ないことはしなくていいの。マーサが何度も繰り返した言葉が、いつも心に寄り添っているけれど。


(それでも今でも、みんなのためなら、ぼくは何でもできる……)


 自分の心の中にいまだ闇があることを、ハヤナは否定しない。




 

「新入り、か」


 最後に報せに行った相手は、ハヤナの報告を聞いて眼鏡の奥の目を細めた。


 短い灰褐色の髪は、毎日櫛を入れているのか、ハヤナの目から見ても羨ましいほどにさらさらだ。体つきはこの村でも一・二を争うほどに細い。ロイックを見た後だとそれがなおさら強調されるような気がする。


 けれどそれが笑い話にできないのは、彼――ダッドレイが、あいにく自身をからかわれて寛大でいてくれる人間ではないからだ。


 この村では唯一の眼鏡が、彼のトレードマーク。いつだったかユドクリフが大陸から特別に仕入れてきた。彼は眼鏡がないとろくに生活もできないため、高くついても仕方がない。彼の生活自体はとても質素なので、誰も文句は言わないでいる。


 問題はその言動だった。

 眼鏡の奥のグレイの瞳が、皮肉気な輝きを灯す。


「ハヤナ。昨夜流れ星が落ちたのを知っているか?」

「――え?」


 脳裏に青い光がかすめて、思わずうろたえた声を返す。そんなこちらの様子を見てどこか満足したように、目の前の冷たい目の少年は口の端を上げた。


「村に《印》持ちを入れたらしいな」


 突然話が変わった。しかし、どちらもこの少年が持ち出すなら不穏な響きしかない話題だ。


 胸の奥がざわざわと不安で泡立つ。ハヤナはこの少年が心底苦手だった。自分と三つしか歳が違わないのに、その眼差しはいつも冷静で、冷淡で、皮肉気で――その上、彼が認められないことに対しては真っ向から不信感を隠さない。


 ダッドレイはもたれていた扉から体を離した。いつも気難しげに組んでいる両腕をほどき、さっさとハヤナの横を通り過ぎて道へ出る。


「行くぞ」

「ど、どこへ?」

「バカか。お前らの家だ――マーサに話がある」


 この村一番の台風の目は、ハヤナを冷然とした目で見て、そう言った。

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