13 赤竜との死闘
「たったこれだけか」
手持ちの道具に心細さはあるが、それでもやるしかない。大事なものは自力で守る。
自分にできる最善の策。剣を収め、スリング・ショットを引き抜く。足下に転がる拳大の岩を拾い上げた。
死角を突き、相手の遙か後方を目掛けて岩を射出。すると狙い通り、竜はそれを追ってゆっくりと振り返る。
その隙に、森を目掛けて疾走。背後を取るように木々へ身を潜めると、竜の吐き出した火球が岩の落下地点へ炸裂した。
吹き上がる土砂と、生木の倒れる音。魔獣たちの叫び声まで聞こえてきた。こんな怪物を本当に倒せるのか。
木々の間から覗く
再び岩を拾い上げ、左奥へ射出。草木を揺らして遠ざかってゆく。
物音にゆっくりと振り向く竜。そこを狙って、今度は青い魔法石をいくつか取り出した。
「どうだ」
竜の足下へ放つと同時に、砕けた石から溢れる冷気。それが瞬く間に氷を張り巡らせた。
あいつにしてみれば水たまりも同然のそれだが、目論見は的中。左前脚を降ろした竜は見事に足を滑らせた。間抜けな大口を開け、轟音を上げて転倒する。
その光景にほくそ笑み、次の攻撃へ。道具袋から、最後のひとつとなった白い魔法石を取り出した。
竜の眼前へ生い茂る大木を目掛け、それを打ち出した。空中で石が砕け、生じたのは真空の刃。横一線に広がり、木々を斬り付けながら竜の顔を襲った。
だが、本当の狙いは竜じゃない。真空の刃が斬り付けた大木たちだ。それらに体当たりすると切口から一気にへし折れ、倒れた竜へと殺到した。
土煙と共に上がる竜の叫び。真空の刃と倒木の二重攻撃はさすがに効いたらしい。
この好機は逃せない。走りながら、スリング・ショットを魔剣へ持ち替える。そのまま、竜へ覆い被さる倒木の上を駆けた。
すると、足下でもがいていた竜は、身を起こそうと激しく体をよじった。木々が次々と払い落とされ、怒りに目を剥いたあいつが顔を覗かせた。しかし俺は既に、向かいへ茂る無傷の大木へ飛び移っている。
「ご苦労さん、っと」
木の上から、竜の後頭部を目掛け跳ぶ。落下の勢いを利用して、足下へ向けていた刃を思い切り突き立てた。
剣先は眉間へ深々と食い込む。一段と大きな叫びが、木々と俺の身体を激しく震わせた。
それはまさに深い恨みをもった赤竜の断末魔。何があったか知らないが迷わず消滅してくれと願うも、その恨みは想像以上だった。尚も抵抗し、激しく頭を振るう。
振り落とされないよう、剣にしがみつくのが精一杯だ。しかしその抵抗も空しく、眉間の傷跡から抜け落ちる剣先。次の瞬間、俺は空中へ投げ出されていた。
その直後、無我夢中で振り回した剣が幸運にも竜の翼を捕らえた。引っ掻くように右翼を切り裂き、それが落下の勢いを減速。背中から倒木の茂みへ突っ込んでいた。
「死ぬかと思った……」
木々からどうにか這い出し、状況を確認しようと顔を上げたその時だ。
眼前の光景に絶句した。まるで心臓を鷲づかみにされたように鼓動が大きく脈打った。余りの恐怖に、呼吸すら忘れてしまう。
そこには、怒りに震えた赤竜。大きく開いた口内には、真っ赤にたぎる炎が見える。
即座に過ぎる死への影。だがここで、こんな所で終わるわけにはいかない。
「くそっ!」
竜の口内へ魔剣を投げ込み、なり振り構わず逃げ出した。背後で悲鳴が上がり、猛烈な熱気が迫る。逃げ切れるだろうか。
疲労のせいで、すぐに息が上がってしまう。もう走れない。
「
その時だ。横手から冷たいものが吹き付け、再び竜の悲鳴が木霊した。
何事かと振り向けば、顔に
「レオンか……助かった」
側に落ちていた
「どうして俺を待たなかったのかな。よっぽど死にたがりなのか? それとも自惚れ? そんなんじゃ早死にするよ」
鼻で笑い、ソードブレイカーを身構えるレオン。その目は竜だけを見据えている。
「あの竜は俺が倒す。そこで、俺の強さを良く見てるといいよ」
「おい、ちょっと待て!」
俺を無視して、赤竜を陽動するために駆け出して行った。
悔しいが返す言葉もない。だが、元を辿ればセリーヌの力をアテにしていたのだ。俺の役目は時間稼ぎだ。
「そうだ、セリーヌは!?」
レオンが鎮火させてくれたのか、炎の壁が消えている。白煙がくすぶるその先には信じられない光景があった。
セリーヌに肩を貸しているひとりの女性。見間違いじゃない。裸同然の姿をした戦士なんて、あの人以外に考えられない。
「シルヴィさん、賊の見張りは? どうしてここにいるんですか!?」
ふたりへ駆け寄り、すかさず詰問する。
「だって、待ってるだけなんて退屈だもの。三人だけで楽しむなんてずるいわよ」
唇へ指を当てる仕草が無駄に色っぽい。
「で、ナルシスは放置ってわけですか?」
「金髪君? あの子なら、綺麗な白馬が迎えに来たわよ。背中に乗せて走り去ったけど」
びゅんびゅん丸に間違いない。主人の身を案じるとは本当に利口な馬だ。ナルシスごときには勿体ない名馬だと本気で思う。
「で、賊どもは?」
「木に縛り付けてきたから、大丈夫、大丈夫」
全く安心できないが、既に手遅れだ。
「リュシアンさん、すみませんでした。爆発に弾かれ頭を打ち、気を失っていたようです」
「気にするな。無事ならそれでいい」
軽く微笑んで見せると、釣られるように笑ったセリーヌ。シルヴィさんから離れ、レオンと戦い続ける竜へ目を向けた。
「ちょっと、リュシー。あたしはそんな優しい言葉を掛けてもらった覚えがないんだけど。違う物なら掛けられたけど……ねぇ?」
不適な笑みを浮かべて、剥き出しの腹部を擦っているんだが。
こんな非常時に何の話でしょうか。
「シルヴィさん。セリーヌの魔法が完成するまで、一緒に竜を引きつけてください。翼を傷付けたから、もう飛べないはずです」
ここは団結して、赤竜を仕留めるだけだ。
「シルヴィさん。行きますよ」
「あん。なんだかその響き、たまんない!」
苦笑しつつ、竜を目掛けて二人で駆ける。
伝承通りなら竜の鱗は並の武器では歯が立たないらしいが、今の相手は魔力の塊だ。すなわち、魔力を帯びた武器なら通用する。現に、俺の魔剣は竜の翼を容易く切り裂いた。それが確たる証拠だ。
「ついに竜と戦えるのね!」
深紅の
そこからはもう、俺たちの独壇場だった。レオンに助けられる直前に、竜の口へ投げ込んだ魔剣。あれが舌を傷付け、
「
レオンの水流弾が、再び竜の顔面を打つ。
「もう
深紅の斧槍が、胴と足へ傷跡を刻む。
「くらえ!」
振り下ろされる前脚を避け、俺は反撃とばかりに勢いよく斬り付ける。
そうして奮闘している間に、セリーヌの魔法がついに完成の時を迎えた。
「皆さん、下がってください」
入れ替わるように散り散りで逃げながら、セリーヌの姿が大きく跳ねた。強化された脚力で飛んだ彼女は、弱った竜の顔を目掛け球体を繰り出した。
「
シルヴィさんやレオンを警戒したのだろう。囁くようにつぶやかれた魔法の名だったが、俺の耳はそれを確かに聞き取っていた。
直後、漆黒の球体が弾け、闇が霧状に広がった。それが赤竜の巨大な頭を飲み込み、一瞬で消滅させる。まるで突如現れた死神が、そこだけを綺麗さっぱり取り除いてしまったかのような、呆気なく圧倒的な破壊力だ。
闇は大気へ溶けるように霧散。最初から頭などなかったように、首から上を失った竜の魔力体。それが、崩れ落ちるように地面へ横倒しになった。
「たったの一撃かよ……」
余りの衝撃に言葉が出ない。さすがにこれは、シルヴィさんとレオンも呆気に取られている。
「凄いじゃない……なんなの、あの
驚くシルヴィさんの前で、力を使い果たし地面へ膝をつくセリーヌ。金色の輝きは失われ、青みがかった黒髪がその顔を覆い隠した。
俺たちは自然と、セリーヌへ近付く。
「凄まじい力だね。あの魔獣を一撃で仕留めるなんて信じられない」
愛想のない奴だと思っていたレオンまでもが、剣を納めながら感嘆の声を上げている。
「それにしてもこの娘、さっきは金髪だったわよね? リュシーも銀髪になるけど、ふたりともなんなの? 何かの魔法?」
「シルヴィさん……飲み過ぎですよ」
剥き出しの肩へ、俺が手を乗せた瞬間。
「冗談で済む問題じゃない。あんたたちは身体強化の力が使えるのか? まるで御伽話だな」
悔しげに吐き捨てるレオン。確かに、こいつの言いたいこともわかる。真面目に腕を磨く冒険者にとっては、反則のような力だ。
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