06 黒い下着とFカップ


「はわわわわ」


 俺の視線に気付いたセリーヌは、慌てて法衣の裾を抑えた。しかし、身体を支える手を解いた途端、背後へひっくり返ってしまった。


「きゃっ」


 長い足が天を向き、再び下着が覗いた。起き上がろうと必死に藻掻く姿が愛らしい。


「あの……助けてください」


 すぐさま立ち上がった俺は、倒れた彼女の手を引いて助け起こしてやった。セリーヌは真っ赤な顔で着衣の乱れを整えている。


 これはどうしたものか。事故とはいえ、彼女の胸まで鷲掴みにしてしまった。シモンが同行していたら、捕まっていたかもしれない。


「ごめん。魔獣に襲われたと勘違いしたんだ。やましい気持ちがあったわけじゃない!」


 慌てて土下座をした。すると俺の顔横ではなぜか、ラグまで伏せをする始末。


「落下して、巻き込んでしまったわたくしにも非があります。リュシアンさんをとがめるつもりはありませんが、こんな醜態を晒してしまうなんて……このことは、どうか忘れてください」


「わかりました。約束します!」


 黒い下着なんて、絶対に見ていません。


「顔を上げてください。ここはお互い様ということで……竜眼りゅうがんの力をこんなことに使っては、長老に叱られるでしょうか……」


「は? 何か言ったか?」


「いえ。なんでもありません!」


 後の方は良く聞き取れなかったが、大事にならなくて良かった。危うくスケベを超えて、ケダモノのような偏見を受けるところだった。


 だが、土下座をした体勢のまま顔を上げたものだから、膝上丈しかないセリーヌのスカートの中が丸見えだ。再び起こった幸運に、思わず胸が高鳴ってしまう。


「きゃっ! どこを見ているのですか!?」


 法衣の裾を押さえて後ずさるセリーヌを見ながら、ある変化に気付いた。


「その腕輪……」


 セリーヌの加護の腕輪。ランクEは黒いラインのはずが、黄色へ変わっている。


「気が付かれましたか? そうなんです。私、先日、ランクDへ昇格したのです」


「昇格って、まだ二ヶ月だろ!?」


 これは俺の最速記録に迫る勢いだ。


「本当にDなのか?」


 ランクEの依頼で、そこまで稼げるとは思えない。腕輪を見つめていると、セリーヌは右腕で胸元をそっと隠した。その顔が、恥ずかしそうに赤みを帯びてゆく。


「あの……その……ぇふ、です……」


「F? そんな階級、聞いたことねぇぞ」


「はわわっ! ランクの話だったのですか!? すみません。私はてっきり……」


 彼女が隠している胸へ注目してしまった。まさかのFカップ。なんてけしからん体だ。


「紛らわしい聞き方をしないでください! 下敷きにしてしまったお詫びにと答えたのに……絶対に、誰にも言わないでくださいね」


 頬を膨らませた可愛らしい顔を見せてきた。しかも何だろうか、言葉にできないこの安心感は。以前から感じていたが、一緒にいると穏やかな気持ちにさせられる。そして、見る者を包み込むような優しく柔らかな微笑み。惹き付けられる。心を持って行かれる。


 だが、Fなどと聞いてしまうと、ついつい視線が吸い寄せられてしまう。彼女のしなやかな手に隠された、豊かな膨らみが気になる。


「いやらしい目で見ないでください。それに偶然とはいえ、ふたりきりだなんて」


「まだそんなこと言ってるのか?」


 この二ヶ月、ギルドで何度か顔を合わせたが、妙に警戒されていたことは気付いている。俺は深く傷ついているんだぞ。


「そういえば話の途中でしたね。ランクDへ昇格したのは、私だけの力ではありません。ナルシスさんが同行してくださって」


 思い出したように話を軌道修正してきたが、天然の性格は相変わらずだ。でも、昇格にあの男が絡んでいたとは。


 依頼の受注は、メンバー内の最高ランクまで選択の幅が広がる。あいつと組めば、必然的にランクCまでの依頼が受注可能だ。


 確かにこれは俺も使った裏技だが、俺の場合はランクLのフェリクスさんだ。そうでなければ史上最速のランクAなどという記録は作れない。本当に運が良かっただけだ。


「だったら、俺を誘ってくれれば……」


「あなたがスケベなのは間違いありません。それに、ナルシスさんが頻繁に声を掛けてくださって共闘依頼をこなすようになったのです。今日もこうして魔獣討伐に……」


 まさか、あいつに先を越されるなんて。


 セリーヌの力は絶対に必要だ。冒険者を続ける以上、ぜひパーティを組みたい。だが、女性を誘うのは下心丸出しのように思える。でも、全くないわけでもないし、告白するようで気恥ずかしくて、誘うに誘えなかったわけで。でも、ナルシスに奪われるくらいなら。


「だったら、俺とパーティを……」


「あぁっ!」


 突然に大声を上げたセリーヌ。それに驚いたラグが、俺の左肩を滑り落ちていった。


「ナルシスさんを忘れていました。上でまだ、魔獣と戦っているはずなのです」


「あいつなら、放っておいても大丈夫だろ」


「そうはいきません。ナルシスさんは凄いものを持っていらっしゃるのですから」


「は? 依頼対象の採取物とか?」


「本当に凄いのです! 驚きました……あれほど大きなものは私も初めてで、中にも入りきりませんし、口になんてとても……」


 なにやら興奮しているが、卑猥なことしか想像できない。細くくびれた腰と、蕾のような薄紅色の唇へ視線が向いてしまう。


「中にも口にも収まらないって……」


 この瞬間、俺の世界は崩壊した。至宝が、他の男にけがされてしまったなんて。


「言葉が足りませんでしたね。ボンゴ虫です! 大きな成虫をたくさん見つけて。私の道具袋の中には入りきらず、ナルシスさんのリュックへ詰めて頂いたのです」


 紛らわしい。ナルシスに対して怒りを感じた自分が恥ずかしいだろうが。


「じゃあ、あいつは今、ボンゴ虫が溢れそうなリュックを背負って戦ってるのか?」


「はい。そうだと思います」


 可哀想な奴。でも、そんな姿で戦うあいつを見たい。そして大笑いしてやりたい。


「ボンゴ虫はどうでもいいけど、見に行こう」


「お待ちください!」


 なんだか険しい顔をしているんだが。


「今、なんとおっしゃいました? ボンゴ虫はどうでもいい? すぐに謝罪してください!」


「え? そこ!?」


 セリーヌは腰の革袋をまさぐり、手乗りサイズの丸々と肥えたボンゴ虫を取り出した。


 本当にでかい。しかも気色悪い。


「この子が代表です。さぁ、早く!」


 険しい顔だ。怒り心頭のこの様子では、到底、引き下がってくれそうにない。


「どうもすみませんでした……」


「もっと感情を込めて! リュシアンさんは食堂でお客様に謝罪する際にも、そんないい加減な態度なのですか!?」


「誠に申し訳ございませんでしたっ!」


 とんでもない鬼隊長だ。家に帰りたい。


「反省しているようなので、今回は許すことにします。以後、気を付けてください」


 満足げに微笑み、ボンゴ虫をしまっている。


 それにしても、豊満な胸を掴み、黒い下着まで見てしまった以上に、ボンゴ虫でここまで怒るとは理解不能だ。いや、もうこの悪夢は忘れよう。彼女との間に起こった運命の悪戯さえ記憶していられたらそれでいい。きっとそれだけで幸せな気持ちになれるから。


 あぁ。俺って吟遊詩人になれるかも。


「ところで、討伐した魔獣の記録はちゃんとやってるのか? 横取りされないようにな」


「ナルシスさんから一通り教わりました」


 加護の腕輪には、静止映像を記録する魔力映写まりょくえいしゃと呼ばれる機能がある。腕輪の位置情報と映写の記録日時で信憑性を管理し、不正を防止している。だが最近は物騒になり、討伐直後の疲弊した冒険者を襲う同業者や盗賊も増えている。報酬を得るには受注者が持つ加護の腕輪が必要だが、それを奪い、本人になりすまして金を受け取ってしまうのだ。利益を求めて人同士が争うとは嫌な時代だ。


 そんなことを思っていると、セリーヌは険しい顔で辺りへ視線を巡らせていた。


「リュシアンさん。気付いていらっしゃいますか? この森に漂う不穏な魔力……ランクールの街で感じた力に似ています」


「俺にはわからないけど、セリーヌが言うなら間違いねぇだろ。ってことは、ここが蜘蛛に囚われた森で間違いなさそうだな」


 強力な後押しを受け、考えが確信へ変わる。


「この森がそうなのですか?」


 セリーヌの反応は予想通りの流れだ。


「どうせ、この森を選んだのもナルシスだろ? 強い魔獣を討伐すれば報酬も多い。俺たちがここで会ったのも偶然とはいえ、あの男を見つけて出して、今度こそ止めてやる」


 魔獣の出現に備え、鞘から剣を引き抜いた。


「リュシアンさん、その剣は!?」


「ちょっと借り物でな。俺の剣は魔獣に奪われちまって、そいつを探してるところなんだ」


 すると、彼女の顔から血の気が引いてゆくのがわかった。そういえば、なぜか神竜剣に興味を示している。ランクールから戻る際も、見せて欲しいとせがまれたくらいだ。


「軽率ではありませんか? 神器じんぎを奪われた重大さを理解していらっしゃいますか?」


「神器?」


 鬼気迫る顔で詰め寄ってくる迫力に押され、そうつぶやくのが精一杯だった。

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