11 約束の場所へ


「シャルロット。おまえのせいだからな」


「やり過ぎちゃいました?」


 ペロリと舌を出す彼女を残し、打ちひしがれた俺はギルドを後にした。


 気持ちを切り替え、約束の場所へ向かう。なんとも言えないやるせなさに襲われ、夕日が目に染みる。これでセリーヌに嫌われたら、シャルロットを絶対に許さないだろう。


「なんだか、すげぇ小物っぷりだな……」


「がう?」


 不思議そうな顔をするラグに苦笑し、舗装された石畳を進む。人混みを縫って街の中心部を目指すも、一歩ずつがとても重い。そこへ近づくことを体が拒否しているのかも。


 たっぷりと時間をかけて着いたのは寺院じいんだ。女神へ祈るための大聖堂がある他、病人や怪我人の治療を行う救急施設が併設されている。その入口で、母子と待ち合わせているのだが。


「なんて言い訳すりゃいいんだ……」


 ランクールの街を出る際、長へ事情は話してある。見付け次第、早馬で知らせてくれるというが、本当に見付かるだろうか。


 気まずい想いを抱えて入口へ近付くと、男の子の姿があった。


「あっ。リュシアンお兄ちゃん!」


 エリクと名乗った十歳の男の子が、けがれを知らない満面の笑みで駆け寄ってきた。その笑顔に、胸が締め付けられる。


「おう」


 引きつる口元を必死に隠し、片手を上げてそれに答えた。


 落胆する顔を思うと、途端に申し訳ない気持ちになってくる。約束を守れないダメな大人として、彼の記憶に刻まれてしまうのか。


「がううっ!」


 ラグはエリクを迎えるように大きく吠えて飛んでゆく。こんな光景を目にすると、なんだか相棒も可哀想だと同情してしまう。


 エリクは初めて会った時と同じ薄汚れた服装のまま、俺を真っ直ぐ見上げてきた。


「お母さんはどうした?」


「ん? すぐ来るよ」


 エリクの顔に、母親であるアデールの面影が重なった。丸顔に、クリッとした目とサラサラの髪。まだまだ幼さの消えないその顔を見ながら、二日前の記憶が蘇ってきた。


 エリクとアデール。そして父親のコンスタン。彼等は今回の魔獣襲撃で家屋を失い、ランクールから逃げてきたオジエ一家だ。


 逃亡の最中でさえルーヴに襲われ、家族を守って負傷した父親はそのまま寺院へ収容。着の身着のまま逃げ出してきた三人は食べる物もなく、勇ましき牡鹿亭の裏口でうずくまっていた母子を偶然に発見したのだ。


 イザベルさんの計らいで食事を振る舞い、事の経緯を聞いた。逃亡の際、父親のコンスタンさんは、命の次に大事にしている短剣をルーヴのリーダーに突き刺したことも。


『男なら、大事な物は自分の手で守らなきゃダメだって、お爺ちゃんから貰った大切な形見なんだって』


 それを取り戻したいと、エリクは涙を流して話した。命からがら逃げ出しながらも、父を思いやるとは大した奴だ。


 そんな決意を見せられたら、放っておけるはずもない。俺が何とかしてやると、思わず約束してしまったのだ。


「お父さん、元気になったんだよ!」


「そうか。良かったな」


 寺院には有能な司祭がいる。癒やしの魔法を行使して、大抵の怪我や病気を治療してくれるだろう。今回の事情を話せば、司祭も無償で対応してくれるはずだ。


 眩しいほどの笑みを前に、罪悪感が込み上げる。正直に打ち明けるしかない。


「あのな、エリク。魔獣を倒すには倒したんだけどさ……」


「うん、ありがとう! さっき、お父さんの宝物も戻ってきたんだよ!」


「は!? どうして?」


 呆気に取られていると寺院の扉が開いた。現れたのは母親のアデールさんだ。


「リュシアンさん! 先日は大変お世話になりました。何と御礼を言ったらいいのか」


 深く頭を下げられたが、俺は声を掛けただけ。直接的に助けたのはイザベルさんだ。


「いえ、俺は何も。礼なら女将おかみさんに言ってください。ところで、旦那さんが大切にしていた短剣が戻ったって聞いたんですけど……」


 アデールさんの表情は一層申し訳なさそうに歪み、今にも泣き出してしまいそうだ。


「申し訳ありませんでした。実は食事を頂いた際、息子は他の方にも話してしまったそうで……その方が今し方、短剣を届けながら主人の怪我まで治してくださって」


「え? え? 怪我まで治した!?」


 混乱の中、エリクに強く袖を引かれた。


「凄いんだよ! お姉ちゃん、おっぱいが大きいだけじゃなくて、魔法が使えるんだよ!」


「こら! 大きい、大きいって、失礼だからやめなさいって言ってるでしょ」


 小突くような振りをするアデールさんを見ながら、ようやく事の真相に思い当たった。


 これはもう、あいつしか有り得ない。


 種明かしと言わんばかりに、再び寺院の扉が開く。ひとりの男性と、おっぱいが大きいと噂のお姉ちゃんが歩み出てきた。


「やっぱりそういうことか……」


「リュシアンさん!?」


 目を丸くしているセリーヌだが、それは俺も同じだ。もう溜め息しか出てこない。


☆☆☆


 セリーヌとふたり、寺院から立ち去るオジエ一家の背中を見送った。エリクを真ん中に挟み、手を繋いで歩く姿が微笑ましい。


 彼等は明日、住み慣れたランクールの街へ戻るそうだ。セリーヌの寄付も考えると、あの家族も手厚い保護を受けられるだろう。


「まさか、セリーヌが関わってたとはな」


 溜め息と共に、隣の美人魔導師を眺めた。


 そういえばイザベルさんも、定食の味付けに感動した若い女性が、一人前の食事に大金を払おうとしてきたと騒いでいた。それがまさか、セリーヌだったなんて。


 同じ魔獣を追い、同じ物を捜していたとは。どうりであのクエストに固執していたわけだ。


わたくしも驚きました。それならそうと、始めから仰ってくださればよろしかったのに」


「ランクAの冒険者が、子供の情に流されて必死になるなんて格好悪いだろうが。どうせなら、美人にせがまれてとかさ……」


 不意に、兄の背中が頭を過ぎった。


 俺の理想とする冒険者は、洗練されて理知的な存在だ。格好を気にしているものの、この街で人々の暖かさに触れるうち、繋がりの大切さを思い知らされている。


「子供より美人ですか……やはり、スケベというのは本当なのですね」


 汚い物でも見るような視線が痛い。しかも、大きく開いた胸元をそっと隠されると、なんだか無性に傷付く。


「美人ってのは例えだ。それに、始めから言ってくれればってお互い様だろ。言えない、譲れないの一点張りでさ」


「エリク君と約束したのです。これはふたりだけの秘密だからと言われ、どうしても……」


「どこまで真面目なんだよ!?」


 しゅんとするセリーヌを見て、吹き出してしまった。顔を見合わせ笑い合う。このやり取りが妙に心地良い。


「リュシアンさんのことを少し見直しました。お優しい方なのですね」


「この街で世話になってから、なんだか街の人たちを放って置けなくてさ。魔獣に怯える殺伐とした時代だけど、夢を持つこと、夢を叶えることをみんなに諦めてほしくないんだ」


「夢を夢のまま終わらせるのか? 素敵な言葉だと思います。私も心に響きました」


「口にされると恥ずかしいからやめてくれ」


 慌てて別の話題へ考えを巡らせた。


「さっきは邪魔をされたけど、何かを探してるんだろ? 俺で良ければ手伝うぜ」


「お手をわずらわせるわけには参りません。あれは私が探し出さなければならないので」


 真剣な顔付きのセリーヌを見て、ただならぬ予感を抱いてしまった。天然風のふわりとした印象から一変、時折見せる物憂げな顔。どちらが本当なんだろうか。


「無理にとは言わないけど、助けが必要なら言ってくれよ。それに、冒険者を続けるならパーティを組んだ方が効率がいい」


 まぁ、組むというのは口実だ。本心は、一緒の時間を過ごしたいという下心だけ。


「ありがとうございます。その際には是非、お力をお借りしたいと思います……あ!」


 口に手を当て、大きな声を上げる。それに驚いたラグが、俺の左肩から滑り落ちた。


「どうした!?」


「あなたとの行動はお断りさせて頂くと言ったばかりなのに。私はどうすれば……」


 なぜか頭を抱えている。しかも両腕を上げた仕草に豊満な胸が強調されるものだから、目のやり場に困ってしまう。


「やっぱり天然だな」


 頭を抱えたまま俺の顔を覗き込んでくる姿に、笑いを抑えることができない。


「何か仰いましたか?」


「いや。なにも……」


「ですが、笑っていますよね?」


「面白い奴だなって」


「私の何が面白いというのですか?」


 夕日が染め上げる石畳を並び歩き、こんな穏やかな時間がずっと続くことを願っていた。

 だが、そんな穏やかな心の反面、釈然としないこともある。


 ランクールを襲った男の正体と、蜘蛛に囚われた森という言葉。もしも奴の標的に、この街が含まれているとしたら。


 不安な気持ちを抱えたまま、足は牡鹿亭へ向いていた。

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