09 あの日の記憶


「あら? ですが先程、二年前に一方的に与えられた、と仰っていましたよね?」


「それだけは思い出したんだ」


「どこでその力を?」


「夢か現実かわからないけど、故郷の街で、目の前に竜が現れたんだ」


「故郷の街……そうですか。ちなみに、リュシアンさんの信仰されている属性は?」


「信仰している属性?」


 何のことだかわからない。気付けば、セリーヌの双眼は黄金色の光を宿している。


 なぜか身動きが取れなくなっていた。意識が急速に遠のき、視界が暗転してゆく。


☆☆☆


 この温かくて柔らかな感触はなんだろう。凄くスベスベして甘い香りがする。どう考えても、俺が使っている枕だとは思えない。


「きゃっ! あの……あまり触られるとくすぐったいです……我慢ができません」


 余りのなめらかな感触に頬ずりしていると、上の方から妙な声が降ってきた。最近の枕は人の言葉を話すようになったんだろうか。


「あと五分だけ……」


 この至福の時間を心ゆくまで堪能すべく、枕をがっちり掴んで離さない。再び頬ずりをして、滑らかな感触を更に深く楽しむ。


「あの……本当に困ります……」


 主人を拒むとは、全くもって意味不明だ。


 それにしてもなんて素晴らしい枕だろう。後頭部をしっかり支えてくれるだけでなく、横を向いても耳をピタリと固定してくれる溝。まさに俺のためにある最高の形状だ。


 至福の時間を満喫しているというのに、隣で何かが激しく動いている気配がした。


「ちょっと、ナルシスさん」


「いい加減に起きたまえ!」


 耳元で大きな声が起こり、頬を叩かれた衝撃で目覚めた。驚きと共に顔を動かすと、隣には同じように地面へ横たわるナルシスの姿。


「どうして君が姫の膝枕で、僕がコートに寝かされているんだ。どう考えても逆だろう」


 確かにナルシスの後頭部には、丸められた白いロングコートが置かれている。


「膝枕?」


 顔を上へ向けた途端、連なる大きな双丘が視界へ飛び込んだ。頂きの向こうには、俺を見下ろすセリーヌの美しい顔まで見える。


 最高の眺めのはずだが、驚きと恥ずかしさが勝り、慌てて体を起こしていた。


「がうっ」


 すると、ラグが左肩へ着地してきた。


 戦いで疲弊ひへいしたとはいえ、竜の力が消えている。三十分は維持できる能力が消えたということは、それ以上の時間が経過したのか。


「俺はどうして?」


 セリーヌの太ももを見つめながら、なんだかモヤモヤした思いを抱えていた。大事な何かを忘れているような気がする。


 いや、気のせいだ。今は膝枕以上に大事なことなどあるはずがない。


 ナルシスを伺うと、何とも言えない悔しさを滲ませているのが楽しい。俺は選ばれたんだ。奴へ見せつけるように微笑みかけた。


 しかもコートを脱いだセリーヌは、例のぴったりとした紺色の法衣一枚だ。胸元から膝上を隠しただけの素晴らしい露出度。この法衣を手掛けた職人は天才に違いない。


「魔獣を退治した後、それを操っていた男性と話したことは覚えていらっしゃいますか?」


「もちろん。忘れるわけがねぇ」


 セリーヌの胸元と太ももが気になるが、それを忘れさせるほどの怒りが蘇ってきた。


「あの後、リュシアンさんは怒りに任せて魔獣の顔を斬りました。ですが、足を滑らせた拍子に頭を打ち、気を失われてしまって」


 話を聞いて、徐々に記憶が蘇ってきた。


 セリーヌの魔法で援護を受け、ふたりで魔獣を追い詰めた。最後は俺の必殺技を放ち、敵の半身を豪快に抉り取ったんだ。


 そこまで思い出すと、ナルシスが笑った。


「君と姫が魔獣を? お世辞にも、君のような駆け出し紛いにどうこうできる相手ではなかった。特に、そんな古びた剣ではね」


 俺を上から下までじっくり観察したナルシスは、セリーヌへ熱い視線を向けた。


「僕は全てお見通しだよ。姫の素晴らしい魔法で魔獣を仕留めたんだね。彼のような下民に、みすみす手柄を渡すことはない。そんな奥ゆかしい一面も、眩しいほど素敵さ」


 魔獣を操っていた男以上に、こいつに対して敵意が沸いてきた


「おい。そろそろ殴ってもいいか?」


 その後、街へ戻った俺たちは宿で一夜を明かし、翌朝に長へ報告を済ませた。そして、びゅんびゅん丸に乗って街へ戻ろうというナルシスの言葉を、セリーヌは丁重に断った。


「馬車での移動が気に入ってしまったので」


「仕方ない。では、ヴァルネットの街で」


 ナルシスはすぐに俺を睨み付けてきた。


「くれぐれも、姫に失礼のないようにな」


「わかったから、さっさと行け」


 がっくりと肩を落としたナルシスを見送り、ひとりほくそ笑んだ。これでようやく、セリーヌとふたりきりになれた。


 意気揚々と馬車に乗る。向かい合わせに設置された木製ベンチへ、隣り合って腰掛けた。


「ところで、目的は達成できたのか?」


「はい。お陰様でとどこおりなく済みました」


 俺はリーダー魔獣を見失い、中途半端に終わってしまった。手は打ってある。セリーヌが満足しているのなら、それで良しとしよう。


「この依頼にこだわったのはどうしてだ?」


「それは秘密です」


 口元へ人差し指を立てる仕草も可愛い。

 親睦を深める絶好の機会と思っていたが、なぜか不意に強い睡魔を感じた。


 そうして、これは夢だとはっきり認識した。眼前へ再現された光景は、竜の力を手に入れたあの日の記憶だった。


☆☆☆


 余りの驚きに間抜けな声を上げてしまった。しかし、誰もが似たような反応をするだろう。


 突然、視界が真っ白になった。そして、我が家よりも巨大な塊が目の前に現れていた。


 だがそれは、紛れもなく息吹を持った生命体だ。は虫類のようなざらついた皮膚には、いぶし銀の色を持つ鱗。そして背中には一対の大きな翼がある。


 見上げた先には、こちらへ向けられたトカゲのような顔。黄金色こがねいろに輝く眼球には縦長の瞳孔を持ち、俺の動きを伺うようにじっと見据えられている。


「まさか、竜なのか?」


 何が起こったのかわからない。尋ね人が来ていると街の外へ呼び出され、中年の行商人と顔を合わせたのだが。


『おまえがリュシアン=バティストか。 仲間から、これを託された』


 紐で結わえられた細長い布包。そこには見覚えのある筆跡で、ジェラルドと綴られている。間違いなく兄のものだ。


『俺も詳しいことは聞いてない。けど、確かに渡したからな』


 包みを強引に押し付けられ、先を急ぐという商人は足早に去って行った。


 不審に思いながらも包みを解くと、中には一本の長剣と黒い手帳。そして、赤子の握り拳ほどの小さな宝玉ほうぎょく


 その宝玉を手にした途端、光が弾けた。


『我を呼んだのは、汝か?』


「え!? え!?」


 現実へ引き戻すように、頭の中へ声が響いた。低く渋味のある男性の声が。

 だが、辺りを見回しても誰もいない。


『どこを見ている。話したのは我だ』


「ウソだろ!?」


『信じられぬのも無理はない。だが、汝へ語りかけているのは紛れもなく我』


 伝承によれば、竜は思念で会話をしたという。だが、竜という存在は二百年も前に忽然と姿を消したと言われている。俺も伝承画でしか見たことがない。


『その通り。我々は人の前から姿を消した……だが今は、それについて語る時ではない。残された時間はわずかだ』


「は? 時間がわずか?」


『これは運命の悪戯いたずらか? あるいは時代が汝を選んだか? 見れば、混じっているようだな。資格を有する者か』


「混じってる? 資格?」


 竜だけが勝手に納得している。何が何だかわからない。


『我の意識が途絶える前に……汝へ、力の一部を授ける……』


「力? そんなもん、いらねぇって」


 その直後だった。右手の甲が碧色へきしょくの輝きに包まれた。光は強さを増し、手首から肘へ、そして肩までを飲み込んでゆく。


「がっ! があぁぁぁっ!」


 爪の先から何かが入り込んでくる異物感と痛み。それが光の移動を追うように、腕の中を這い上がってくる感覚。


『邪悪な……討て……そして……』


 余りの激痛で思考は飛んでいた。何かを言われたが全く覚えていない。


☆☆☆


「リュシアンさん、目を覚まされましたか。間もなく、ヴァルネットへ到着しますよ」


 鈴の音のような綺麗な声と、触れ合った肩から伝わる温もりが心地よい目覚めを促す。


「悪い。いつの間にか寝ちまったみたいだ」


「疲れていらっしゃるのだと思います。本日はお天気も良好ですから、うたた寝してしまうのもわかります」


「依頼も無事に終わったことだしな」


「がう、がうっ!」


 俺の左肩の上でラグが吠える。街へと入った馬車は、ゆっくりと減速を始めた。

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