07 竜の力


「セリーヌ、どうした!?」


 右手は杖を握りしめ、左手で頭を抱えたまま硬直している。闇夜の中でも、その体が恐怖に震えているのがわかった。


「ナルシス、こうなったら俺たちでやるしかねぇ。あのデカブツを絶対に通すなよ」


「姫を守るためなら仕方がない。涼風の貴公子、真の力をご覧に入れよう」


 言うなり、細身剣を手に突進するナルシス。その姿は投げやりにしか見えない。


 ナルシスは、横たわる魔獣たちの死骸を飛び越えて戦いの場を移している。だが、巨大魔獣のふたつの顔が逃すまいと追っている。


「くそっ!」


 俺も駆け出すと、ラグが飛び上がった。直後、ナルシスは腰の革袋から何かを出した。


「セリーヌ。目を逸らせ!」


 背後を振り向き叫ぶと、背中へ太陽が昇ったように辺りは白く塗り潰された。魔獣の悶える声が大気を震わせる。


 破裂と同時に強烈な光を発する閃光玉せんこうだまだ。意外と値が張る商品だが、ナルシスは惜しげもなく使ってきた。これが決まったということは、数十秒は相手の視界を封じたはずだ。


 魔獣へ視線を戻す。そこに見えたのは信じられない光景だった。


 苦しみ悶えているのは左の頭だけだ。右の頭は怒りの形相で牙を剥き、ナルシスへ鋭い爪を振りかざしている。


 体が大きい割に動きは俊敏だ。横へ跳んだナルシスの脇腹を、魔獣の爪が引き裂いた。


 足をふらつかせながらも体勢を保ったナルシス。奴の加護の腕輪へ変化が起こった。


 腕輪の中心を一周している緑のライン。魔力障壁プロテクトの残量が百パーセントであることを示すそれが、一気に黄色になっている。障壁の強度が六割を切ったということだ。


「ウソだろ!?」


 目を疑った。ランクCの魔力障壁プロテクトが、たった一撃でここまで削られるとは。


 負傷したナルシスだが、臆することなく魔獣の動きを追っている。前脚を振り切り、僅かな隙を見せた敵。その喉を狙って身構えた。


「串刺しの刑!」


「ナルシス、逃げろ!」


 間近にいたあいつは気付かなかったのだろう。右の頭が僅かに首を引き、大きく息を吸い込んだ。間違いなく、吐息ブレスを吐く前兆だ。


 魔獣の喉奥から生じたのは、竜巻を横倒しにしたような衝撃波の渦だ。轟音と共に大地を荒々しく抉り、ナルシスを飲み込んだ。


 あいつの体は軽々と吹っ飛び、声を上げることもなく地面を転がった。


 ナルシスがやられた直後、ガラスが割れたような破砕音が聞こえた。それは魔力障壁プロテクトの消滅を知らせる絶望的な警告音だ。腕輪に示された残量線は色を失ったはずだが、あいつは生きているのだろうか。


「うぅっ……」


 うつ伏せになった体から呻き声が聞こえた。すぐに手当てをすればまだ間に合う。


 安堵と焦りが胸の中へ広がる。奥歯を噛み締め、刃を碧色に輝かせた剣を手に駆ける。直後、右の頭から即座に視認された。左はまだ、視力を取り戻していない。


 再び持ち上がった右の前脚が、先程の攻撃を再現したように唸りを上げて横凪に迫る。


「動きが単調なんだよ!」


 腰を落として滑り込む。魔獣の脚が鼻先を掠め、勢いそのまま敵の腹下へ潜り込む。


 剣を突き上げ、胸元から腹部を一気に斬り裂く。大量の血が噴き出し、魔獣は叫びを上げて苦しみ悶えている。


 暴れ出した魔獣に踏まれないようにするのが精一杯だ。慌てて腹の下から這い出し、敵から距離を取った。


 魔獣の足下へ血だまりが広がっている。返り血は魔力障壁プロテクトが遮ってくれた。俺の体には一滴の血痕も付着していない。


「次で決める」


 魔獣を振り返ったその時だ。背中に強い衝撃を受け、地面へ倒れ込んでいた。

 確認した先にあったのは、魔獣の太い尾だ。


「くそっ」


 素早く立ち上がると、ふたつの顔が大きく息を吸い込んでいた。


 吐息ブレスの一斉放射だ。あんなものを受けてはさすがに耐えきれない。


 死の影が頭を過ぎる。力を使うしかない。


「ラグ、来い!」


 碧色の輝きを灯して急降下してきた相棒。その姿が、右手の紋章へと吸い込まれた。


 へそを中心に体が熱くなる。そうして、大きな力が奥底から沸き上がってくる。この感覚の正体こそ、あの日、突然に現れた竜から一方的に押しつけられた力だ。


 腕を覆う碧色の光が全身へ広がり、体は羽根が生えたように軽くなった。言いようのない解放感と高ぶりが全身を包み、体内へ満ちる新たな力の存在を感じる。魔力だ。


 仕組みは不明だが、ラグの姿を取り込むと、一定時間だけ身体能力が飛躍的に向上する。


 しかし、超人的な力を得る代償もある。効果が切れた後は、ふさぎ込みたくなるほどの猛烈な倦怠感に襲われるのだ。


 しかも、この力を使っている間は髪と瞳が銀色へ変わる。仲間たちに初めて見られた時は、怪物でも見るように気味悪がられた。


立ち上がり、敵を睨んだ時だった。大型魔獣のふたつの口から、荒ぶりもつれ合う巨大な風の渦が吐き出された。


 だが、今の俺はそれを避ける必要もない。敵の吐息ブレスが風属性なら、相殺するのみ。


 剣を握った右手へ意識を注ぎ、体の奥底へ発生した魔力を即座に解放する。


付与エンチャント飛竜刃ヴァン・ラム!」


 刃を白色の光が包んだ。風の属性を含んだ剣を構え、吐息を迎え撃つ。


 両手で握った剣を横薙ぎに振り抜いた。


 斬撃が風の渦と激突。周囲に甲高い破砕音が轟き、繰り出した一閃が風を斬り裂いた。


 竜巻のような吐息ブレスが微風となって流れた。その場で体を回転させ、再び剣を振り抜く。


 次の瞬間、風の刃が魔獣を強襲。背中へ斬撃を受けた巨体は大きく後ずさった。


「俺に吐息ブレスは効かねぇよ」


 勝利宣言のように告げた時だ。ルーヴ・ジュモゥは牙を剥き出して怒り狂い、四つの目が充血したように深い赤へ染まった。


 唸り声を上げての突進。だが、竜の力で強化された今なら難なく避けられる。


 剣を手に、腰を落として身構えた。魔獣は数メートル先から大きく跳躍し、覆い被さるように飛び掛かってきた。


 横移動で巨体を避け、敵の前脚を斬り付ける。鳴き声と共に、闇夜へ鮮血が舞う。


 しかし斬撃に臆することなく、左右から鋭い爪が交互に振り下ろされてきた。


「無駄だ」


 鋭い爪を紙一重で次々と避けてゆく。決してぎりぎりというわけじゃない。必要最小限の動きで事足りるというだけのこと。


 何度目かの爪を避け、再び前脚を斬り付けた時だ。横手から襲いかかってきた左頭が、性懲りもなく吐息ブレスを吐き出した。


「だから効かねぇって……」


 直後、驚きに目を見開いた。なんと、魔獣が吐き出したのは炎だ。


 避けきれない。迫る炎を刃で払うも、風の属性では逆効果。全身を熱さと激痛が襲う。


 即座に魔獣から飛び退いた。焼け付く痛みに体を見ると、バンダナから透けた魔力障壁プロテクトのラインは赤だ。耐久力は残り三割ほどか。


 今までの魔獣とは格が違う。一向に倒れる気配がない。こうなれば、相手の機動力である足を潰す。吐息ブレスも、後一撃ならば魔力障壁プロテクトが助けてくれるだろう。


 呼吸と体勢を整える。落ち着いて対処すれば何ということのない相手だ。こんな奴に苦戦しているようでは兄に笑われてしまう。


「決める!」


 気合いを入れて駆け出すと、ふたつの頭から見られていた。まるで、必死に足掻く矮小な存在へ侮蔑ぶべつの視線を向けるかのように。


 長剣の刃には風の魔力も生きている。どちらの吐息ブレスが吐き出されるか。確率は二分の一の賭けだ。


 しかし、俺を迎え撃ったのは思いも寄らぬ攻撃だった。風と炎の複合吐息ミックスブレス。嵐に乗って、渦を巻く炎が吐き出されたのだ。


 風を斬ったとしても、炎を避けられない。


「ふ、ざ、けん、なっ!」


 突進を諦め、慌てて横へ駆けた。所詮は直進しかできない吐息ブレスだ。軌道の範囲外へ逃げれば恐れることはない。


 だが、魔獣の双頭は吐息ブレスを吐きながら俺を追ってきた。凄まじい威力に、大地が横一線に薙ぎ払われてゆく。


 とても逃げ切れない。立ち止まって覚悟を決め、間近へ迫ったそれを見据えた。


 風の威力だけを殺し、炎は受けきる。その後で即座に反撃するしかない。


「うらあぁぁっ!」


 気合いと共に一閃を繰り出す。風の力で生みだした真空の刃が、吐息ブレスと激突した。


 弾けるような甲高い音が響き、渦が纏っていた風の力だけを相殺した。ここまでは狙い通り。後は炎を受けきるだけだ。


 両腕を顔の前で組み、慌てて足下へ伏せた。


氷竜零結ヴォロンテ・グラッセ!」


 炎に襲われることを覚悟していた代わりに、鈴の音のような綺麗な声が聞こえた。


「なんだよ、これ……」


 恐る恐る顔を上げ、目を疑った。猛り狂う炎は凍て付き、螺旋模様を描いた氷の置き物と化している。それが月光を受け、幻想的ともいえる光景を作り出していた。

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