1-06 二つ目の夢(アンゴール伯爵の館)
柔らかく、次の季節への予感をはらむ春の日差しは、庭園に植えられた
少し強い風は異国情緒をかき立てる藤の花を揺らして、視線を遙か遠くのセントルメール海へと向けさせる。
小高い丘の上につくられた市街は
「私たちの元に再び帰ってきてくれてありがとう。魔獣との戦いの最前線であったベルゲンや、君が巡っていた遠方の諸外国と比べればここはいささか物足りないかも知れないけれど、ここの穏やかな暮らしもいいものだよ」
声の主は、普段の軍服とは違い、さりげなく上質な装飾が施された長衣を着て、東屋の中で俺の帰還をねぎらってくれている。それだけで、これまでの労苦が報われていく。
限りない恩を受けた。その思慮深さと誠実さ、公正さと愛情深さ。数限りない美徳の一切に近侍達は最大限の忠誠を誓っている。
その整然とした列に、今日からは俺も加わるのだ。
かしづかれるのは嫌いだといい、同じテーブルに座らせるのは10に満たない子供の頃から変わっていない。
緩く波打つ漆黒の黒と白磁の肌との対比は美しく、その身はたおやかな衣服に身を包んでなお武人としての力強さを想起させる。
伯爵家の証である金色の光彩はここ数代の中でもっとも鮮やかと評され、内に宿った魔法の素養の高さを示しているが、それ以上に単純な、ただ美しいという印象が見る人を魅了する。
薬草を目の前で調合し淹れた香茶の澄んだ香りは、ともすれば冷たい印象を与えるつくりの彼女の顔立ちを童女のそれのようにほころばせる。
「なにをいいます。流浪の果てに再びお嬢様の近くに戻ることができるなど、それだけで望外の喜びです。このような美しい街でこれからの時を過ごせる幸運にいったいどのような不満がありましょう」
「ふうん、大人のような型にはまった挨拶を覚えた君は、もう昔のように呼んではくれないのかな?」
少しすねたような表情で予想外の願いが向けられた。昔の呼び方は、彼女が子供の頃でさえためらわれたというのに、お互い大人になった今では、事情をしる古株の人達以外の前ではとても言えるものではない。
今は侍女達をまとめる立場となったオルガさんが後ろに控えているだけだからお嬢様も無茶を言うのだろう。
「では私……俺はまたお嬢のために働けるだけでとても嬉しいよ。このために俺は生きてきた。美辞麗句だなんて言わせない、本心からの言葉だ」
「そうか、その朴訥な言葉が再び聞けて私も嬉しい。本当はもうお嬢と呼ばれるような年齢でもない行き遅れではあるがな、今しばらく、二人きりの時はそうよんでくれ」
穏やかな時間は引き延ばされていき、既に止まっているかのように動かなくなっていった。
……夢だ。
俺はアンゴール伯爵の館に来たことはないし、レイ・アンゴールの成長した姿も見てはいない。
これは夢だ。
幾度も訪れた選択肢を間違え続け、そのたびに遠ざかっていったにも関わらず、未だに夢に見る光景。
もう諦めてくれ。たのむよ、俺。
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