船室の中の鳥乙女

 鳥乙女のアビーは、自らの翼を防寒具にして夫の帰りを待ちながら、うつらうつらとしていました。

 見る夢は、あまり良い夢ではありませんでした。


 アビーが後に夫になるカズヒサに結婚しようと言ったのは、今を去ること12年も前のこと。アビーはまだ5つでした。

 正直自分でもたわいもない、ただ意味も分からずの結婚して、とかお嫁さんにして、だったのですが、真顔で君とは結婚できないと言われてしまったのです。

 これが子供の頃は大変なショックでした。そもそもそれまで誰に何を言っても、断られたりするようなことがない鳥人生だったのです。

 しかし、根暗で思い詰めて勉強ばっかりしていたあの少年は、違いました。まずアビーを可愛いね、と言いませんでした。これもまた、アビーに取ってはショックでした。砂遊びをしても花を眺めていても、だいたいみんな、可愛いねといってくれていたのでした。


 アビーは振り向いて貰おうと、必死になりました。正直あそこでいいよいいよーと、たわいもなくOKしてくれていたら、アビーはカズヒサのことなんてすぐに忘れて、結婚も何もしなかったでしょう。子供心にも分かるくらいに、はっきりとした拒絶が、アビーの人生を、いわばねじ曲げてしまったのでした。


 ところがカズヒサは意思が強く、何をしてもさっぱりこっちを見てくれません。勉強が恋人、というありさまでした。

 このままではダメだと思ったのは13の誕生日のこと。アビーは生まれて初めて翼を使って、空を飛んでカズヒサの家に忍び込みました。彼の部屋のある、二階へ、バサッと。完璧に可愛らしく現れたつもりでした。


--来ちゃった。

--何時だと思っているんだ。子供は寝る時間だぞ。

--カズヒサだって子供じゃない!

--俺は……いや、僕はいいんだ。君より大人だから。

 アビーは怒って抱きつこうとして、思わず転びそうになりました。カズヒサが支えてくれた瞬間、眼鏡の奥の瞳が純粋に心配した輝きを帯びていて、それでアビーは自分の選択が、それまでの自分が全肯定されたような気になりました。気のせいだし、気の迷いだと、カズヒサは言いました。けれど。


 あの時の瞳の中の光を信じて、アビーはそれからもカズヒサにアタックを繰り返しました。

それで、船に乗って隣の大陸に渡ることになったのです。

 それで、船の中です。

 アビーが結婚してくださいと震えながら言うと、カズヒサは長いため息をついて、いいかいアビーと切り出しました。

--僕には想い人がいる。いや、想い人というか、なんというかは微妙だけど。だからダメだ。君とは結婚できない。

--その話はかれこれ三〇〇回くらい聞いているけれど、それ嘘でしょ?

--嘘じゃない。遠くなってしまったけれど。本当だ。

--じゃあ説明して! 私にだけは嘘なんてつかないで!

 カズヒサは怒ろうとして、肩を落として口を開きました。

--人魚と名乗るロボットと約束しているんだ。

--冗談は……

--本当だ。

 カズヒサは真剣な目でそう言いました。アビーはそれで、カズヒサの顔を見続けることができなくなって横を見ました。

--生まれてずっと、あなたの側にいたのよ。そんなわけ……

--その前の話だ。僕は今の親に保護される前、彼女と旅をしていた。

--彼女って、ロボットでしょ。

--ああ。

--じゃ、じゃあいいじゃない! さすがの私も、ロボットと浮気したなんて言わないわよ! 実際カズヒサが飛行機作ってても私文句言ったことがないじゃない!

--そう言う話じゃなくて……

--そう言う話!


 それで押し切ったのです。

 アビーは口をむにゃむにゃさせて、夢見の悪さから脱出しました。今は幸せ、これ以上もなく。


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