第二十八話 姉御はやり方を間違える

 あれから数日。ケルリオンはすぐに王都へ帰っていった。怖い外用の仮面を被って、レゲンダの住民に威圧感を植え付けていった。これも彼のイメージ戦略なんだ、とバーンズが説明していた。


「本当は良く笑う人なんですよ。でも優しさを見せるとそこに付け入ろうとする輩が現れるんです。殿下はそれを嫌って、わざと強面をアピールしてます」


 紅茶をすすりながらそう語るバーンズの顔は真剣だった。彼にとって、ケルリオンには仕える以上の感情を持っているんだと、ライラは感じた。ちょっと悔しさも感じたのは秘密にしてある。


「交代の医師が来るのが早くなったって?」

「そうなんすよ姐さん」


 夕刻の鐘も鳴り、ケイシーらが帰った後の診察室にいるバーンズの元にイガ栗頭のフェーニングが来ていた。ケルリオンが手配した軍医が予定よりも早く到着するとの知らせをもってきたのだ。


「あのさー、その〝姐さん〟ってのは勘弁してくれないかねぇ」


 ライラは煙管をふかしながら診察室の椅子で足を組んでいた。


「いやー、姐さんかっこよすぎでパネエッス。卿が惚れちゃうのもわかるっすよ!」


 ライラの向かいに座るフェーニングが二カッと笑う。お世辞だろうが言われると嬉しいものである。


「うるさい!」

「アイテッ」


 ライラは煙管の火皿でフェーニングの額をコツンと叩く。照れ隠しだが、力を入れると煙管が壊れてしまうからあくまで優しくだ。


「まぁまぁライラさん、その辺で勘弁してあげてください。でもそれだと出立も早めたほうが良さそうだね」

「商隊はその方向で準備にかかったっす」

「わかった。というわけでライラさん、ちょっと早まっちゃったけど……」

「まぁ、仕方ないね」


 すまなそうに眉尻を下げるバーンズに、文句など言えるはずもない。できる限りを尽くしてくれたバーンズは悪くない。こうなる覚悟はできていたし、こうなってしまう道を選んだのはライラ自身だった。


「じゃ、お邪魔な俺は部隊に帰るっす」

「ランサーに、ライラさんの荷を運ぶ準備も言っておいてくれ」

「了解っす! じゃ姐さんこれで失礼しまっす!」


 元気に立ち上がったフェーニングはライラにぺこりと頭を下げると、そそくさと診察室から出て行った。ライラはその扉をぼんやりと見詰めている。


「……若いってのはいいねぇ」

「え、僕よりも良いですか? 僕も若いですよ? まだ二十二歳ですよ? アイツよりは歳食ってますけど、お買い得だと思いません?」


 椅子に座るライラの目の前に、バーンズが犬のようにちょこんとお座りした。切なげな青い目で見上げてくるのは、あざとさを計算しての上だろう。そんなことしなくても、と思うが口には出さない。

 だがそんな彼の仕草に、ライラの頬は勝手に緩んでいく。体は正直なのだ。


「嫉妬かい? 嬉しいねぇ」


 とバーンズの頭を撫でるが、その頭がぐぐっと伸びあがった。バーンズが立ち上がり、そのままライラに抱きつく。甘えるようにライラの肩に顔を埋め、ぐりぐりと顔を振った。


「あのさ、ここ、診療所」


 ライラは煙管でバーンズの頭をポコっと叩いた。





 ライラとバーンズは酒場で夕食をとり、暗くなったレゲンダの通りを歩いていた。酒も入って火照った体には心地よい風が首筋から抜けて良く。


「ここともお別れかぁ」


 ランプに照らされた、歩きなれて見飽きたはずの道を見て、ライラは呟いた。多くの人に踏み固められ、小石が転がり、雨が降れば泥だらけになってしまう、ただの道だ。この当たり前の道を、ライラは幼いころから歩いていた。

 レゲンダに戻れるのかは不明だ。もしかしたら戻ることはないのかもしれない。胸がきゅうと締め付けられ、ライラは俯いた。

 こみあげてくる感情の名前を、ライラは知らない。

 ただ、この道を歩いた記憶を失ってしまうかもしれないことが、彼女を不安にさせた。


「やっぱり、寂しいですよね」


 バーンズの左腕がライラの肩を抱く。ライラの不安を察知したかのようだ。


「まぁね。生まれたことろから離れるなんて考えもしなかったからね」

「僕もそうでしたから」

「そっか、バーンズ君も生まれ故郷から出てきてるんだっけ」


 ライラはバーンズを見上げた。


「僕がいることで、少しでもその寂しさがまぎれると良いんですけど」


 バーンズの感じる不安が、なんとなくライラにも伝わってくる。任務上仕方がなかったとはいえ、知っている人のいない王都にライラを連れて行くことに、罪悪感を感じているのだ。

 ライラはそんな彼の鼻の頭に左手の人差し指を当てた。


「その辺は君の頑張り次第だよ、バーンズ君。期待してるからね?」


 ライラが口もとをに笑みを浮かべると、バーンズの顔はみるみる赤くなった。口もモゴモゴと蠢き、何かを我慢しているように見えた。


 ――あれ。あたし、おかしなこと言ったかな?


 バーンズは、そんなやや頭が困惑しているライラの肩を抱き寄せ、早足で歩き始めた。ちょっと早くない?、というライラの抗議もスルーされ、バーンズに運ばれるように帰宅した。

 そのままライラは玄関の扉に背を押し付けられ、バーンズに肩を掴まれた。バーンズは肩で息をしながらライラを見つめている。

 バーンズの尋常ならざる様子に、ライラはごくりと唾をのんだ。


「へ、変なこと言ったのなら、謝るよ」

「ち、違います……あああ、なんであんな可愛いことを言うんですか! 往来で押し倒しそうになるのを懸命に堪えてここまで我慢しました! 頑張りました、僕!」

「ほへ?」

「ライラさんにとっては遊びなのかも知れませんが、僕は本気なんです。本当に貴女が好きなんです。そんな貴女に鼻先ちょんされて悶えない男なんて、男じゃない!」


 バーンズはその勢いのまま、ライラの唇を奪った。

 ただ押し当てるだけの荒々しいくちづけだが、その分バーンズの感情がダイレクトに伝わってくる。うなじに手を回され固定され、ライラは完全に捕らわれてしまった。


 ――ちょ、ちょっと待ちなさいってば!


 ライラはバーンズの肩をポンポンと叩き〝マテ〟の命令を出す。血走った目だったバーンズの瞳に正気が戻り、ライラの唇が解放された。ライラは「ふぇぇ」と情けない声を出してしまう。


「あ、あの、その」

「まったく、獣じゃないんだから」


 失態を晒したと落ち込むバーンズに、ライラは微笑みかけた。


「紳士たるもの、もっとうまいくちづけを覚えてほしいね。ちょっと舌を出してごらん」


 予想された反応ではなかったのか、怯えながらではあるが、バーンズはちょっぴりだけ唇から舌を覗かせた。ライラはバーンズの頬に手を添え、そっと唇を重ね、彼の舌に絡めるように自らの舌を差し入れた。

 今度はライラがバーンズの首に腕を回し、がっちりとホールドした。首に抱きつく体勢のまま、舌を絡ませあう。舌で感じるバーンズ体温は、抱きしめられていた時とはまた違った心地よさだ。奥へ奥へと本能のままに誘われ求めていく。

 歯をなぞり、唾液を飲ませれば彼は喉を鳴らし嚥下した。思うままに彼が反応することが、ライラに痺れを起こさせる。下腹部からジンジンと熱と痺れが広がっていき、全身が犯されてく。間断なく押し寄せる快感の波に飲み込まれ、ライラの頭に霞がかかる。ふたりだった存在が溶け混ざり合い、お互いが粘着質の何かに吸い込まれていった。

 ライラはずっとこうしていたい気持ちを断ち切り、糸を引きながら唇を離した。


「……こんなくちづけも、あるんだよ?」


 とろんと潤んだ瞳をバーンズに向けながら、彼を征服したという愉悦なのか、上位に立つ満足なのかわからないが、得も言われぬ感情に、ライラは浸っていた。

 頭が、身体が、下腹部も熱を持ち、崩れそうな膝を、彼にもたれかかることで何とか持ちこたえていた。鍛え抜かれた胸板から、火傷しそうな熱が伝わってくる。お腹に当たる膨らんだ彼自身も、煮えたぎりそうな熱さだ。


 ――あー、あたしもやばいかも。


 やりすぎたと後悔した瞬間、ライラの体は横抱きに持ち上げられた。ナニゴト?とバーンズを見上げれば、荒い息が降りかかった。ライラを見つめる青い瞳はうるんでいて、彼の限界を物語っている。


「後で謝ります!」


 床に置かれたランプの僅かな明かりの中、ライラはバーンズに運ばれたのだった。

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