第二十五話 姉御は騎士に看病される

 階下から上がってきたバーンズの姿を見て、ライラの目が大きく開いた。

「なんで来たんだバーンズ君!」

「ライラさん!」

 心の内とは全く別な言葉がライラの口をつく。バーンズが駆け寄ろうと腰を落とした。

「チッ、速すぎる!」

 イエレンがライラの背後に回り込む。そして服のポケットからナイフを取り出しライラの首筋にあてた。

 ぴたりとあてられた冷たい刃の感触と目の前のバーンズの悔しそうな表情が、恐怖と無念という相反した感情を起こさせる。

「ライラさんを離せ!」

「おっと、動かないでください。大事な彼女を失いたくはないでしょう?」

 イエレンは焦りを隠しきれない様子でバーンズを脅し始めた。喉にナイフをあてられ頬を引きつらせるライラ。口惜しさに顔を歪めるバーンズの目が一瞬だけ大きく開いた。

「まったく」

 聞き覚えのある声とともに背後から腕が伸び、ナイフを握るイエレンの手を掴んだ。

「なっ!?」

 イエレンが驚いて背後に振り向いた。塔の檻にいたはずのミューズがそこにいたのだ。

 首からナイフが離れた瞬間、ライラはイエレンの腕に噛みつく。

「痛ッ」

 悲鳴とともに力が緩んだ瞬間、ライラはバーンズへ駆け出した。が、慣れないスカートを踏みつけたライラは前のめりに倒れてしまう。その瞬間、バーンズは力強く床を蹴った。

「きゃぁッ」

「ライラさん!」

 ライラが転ぶ寸前、バーンズが右腕を胸元に差し入れ、強引に抱き起した。だが彼の勢いは止まらない。

「荒っぽくてすみません、つかまって!」

「ちょ、ちょ! バ、バーンズ君!」

 バーンズはライラを右腕だけで抱いたまま、廊下を走った。ライラの足は床から離れ、完全に運ばれている。ライラはバーンズの首に腕を回し、振り落とされまいとぎゅっと抱きついた。

「くっ、離せ!」

「私とてこれでも軍人の端くれだ。お前には負けん」

 イエレンは背後からミューズに腕を掴まれ振りほどこうとしていたが、両者に力の差があまりなく膠着している。

 バーンズの目標はイエレンだ。ライラの碧いスカートを盛大にたなびかせ、バーンズが間合いを詰めた。そしてナイフを巡って取っ組み合うふたりのその背後からバーンズが殴り掛かる。

「失礼!」

「ぐはっ」

「むおおお!」

 固く握りしめたバーンズの左拳がイエレンの頬を殴り飛ばした。イエレンの体が、揉みあっていたミューズごと廊下に投げ出され、ゴロゴロと床に転がる。イエレンの手から零れ落ちたナイフを、バーンズは足で遠くに蹴った。軽い音を奏で、廊下の暗闇にナイフは消えた。

「さて、ライラさんは返してもらいますよ」

 バーンズが勝ち誇った顔をした。ライラを抱きとめているバーンズの腕の力が、ぐっと増す。

 廊下を荒っぽく駆け抜ける足音を聞きながら、ライラは目を閉じたまま、ぎゅっと彼にしがみついていた。


 バーンズとその配下五人が突入して数分で趨勢は決まった。酒に酔った兵士を、フェーニングとランサーらは次々と殴り倒した。

 狭い部屋の中で剣を振り回すことも、槍を構えることも得策ではない。防具もつけていない酔っぱらいの兵士は、ただ殴るだけで事足りたのだ。

 気を失った兵士は用意してあった縄で後ろ手に縛られ、床に転がされた。

 イエレンはランサーに捕まり、完全に床に押し付けられていた。背後から忍び寄ったミューズは揉みあう中でナイフで左腕に切り傷を作ったようで、血をしたたらせたまま苦渋に顔を歪め、亡霊のように立っていた。

「くっ、何故だ。牢にいたはずなのに!」

「あの牢は中から外すことができる。それに逃げ道もあってな。抜け出した先にお前らを見つけられたのは僥倖だったぞ」

 ミューズは床に這いつくばっているイエレンを見下ろし、そう言った。


 診療所の診察室に移ったライラは、ミューズの怪我の手当を始めた。もちろん、お目付としてのバーンズも一緒だ。医務室の扉の横で壁に寄りかかり、ミューズがライラに手を出さないように監視しているのである。

「閣下も無理するねぇ。傷が浅いから縫合の必要はないけど、左腕は安静にしてないとダメだよ」

「左腕だけ安静など、できるわけがなかろう」

「いいから医者のいうことは聞くもんだ」

「……ふぅ、致し方ない」

 左腕に包帯を巻かれながら、ミューズは大きく息を吐いた。そしてライラの体をまじまじと見始めた。

「なんだいじろじろとイヤラシねぇ」

「……お前のために買ったその服が無駄にならなくてよかったと思っただけだ」

「お世辞のひとつもでないのかい?」

「ここでお前を褒めたら彼が不機嫌になるだろうが。もう少し機微を感じないと、彼にも呆れられてしまうぞ?」

 そういってミューズはバーンズを振り返った。ライラも視線を向ければ、彼の不機嫌そうな顔も緩んだ。

「ライラさん綺麗です。良く似合ってます。僕が贈ったものでないのが癪ですけど」

バーンズは、一片の躊躇もなく言い切った。ミューズがやれやれと呟き、立上る。

「治療も終わった。今日は遅い。彼に送ってもらいなさい」

「ちょっと、まだ包帯を巻ききってない」

「後は自分でやるから大丈夫だ」

 ミューズはそのまま扉へ向かう。腕を組んで見据えているバーンズの横で止まり、ポンと彼の肩に右手を乗せた。

 ぼそぼそと何やら話をして、振り返ることなく部屋を出て行ってしまう。入れ替わりにバーンズがこちらに歩いてくる。

 心なしか彼の頬がゆるんで見えるのは、不謹慎だろうか?

 なんとなく頭がボーっとしてくるのは二人きりだからなのか、と緊張の糸が切れて椅子にもたれたライラは、ぼんやりとそう考えてしまう。

「ライラさん、顔が赤いですけど」

 心配そうに窺ってくるバーンズを見上げた。彼がぼやけて見えるのは気のせいではないらしい。すっと彼の手が額に当てられた。

「熱いですね。大分雨に濡れちゃってますし、もしかしたら風邪を引いたのかもしれません」

 バーンズの青い瞳がライラを不安げに見つめてくる。確かにさっきから寒気もしてはいたが、それは恐怖からくるものと思っていた。

 風邪を言われると、ますます寒気が強くなった気がする。

「今帰るとまた雨に濡れるから、今日はここ診療所に泊まっていくよ。隣の部屋にベッドはあるしね。あたしは大丈夫だから、バーンズ君は帰りな。仲間も待ってるんだろ?」

 ライラがそう告げるとバーンズはきゅっと真面目な顔になった。頭が火照っていてもライラの胸はきゅんと鳴る。

「病人を、まして大事な女性を放置するのは騎士道に反します。番も含めて僕もここにいますよ」

 そういうが早いか、バーンズはライラを抱き上げた。

「うわぁっとと」

「さっきみたいにしっかり掴まっててくださいね」

 言われずとも腕が勝手にバーンズの首に巻きついた。不可抗力だ、とライラは心で反論したが腕の力は緩めない。

 バーンズは行儀悪くも足で扉を開けた。部屋は真っ暗だが、彼はベッドの位置が分かるのか、一番近いベッドにライラを横たえた。

 冷えたシーツが寒気を加速させる。カタカタと震えはじめる体に、バーンズの手が触れた。

「毛布がもっと要りそうですね。それとその服だと寝にくいでしょうから、脱いだ方が良さそうです」

 バーンズはそういうと、近くのベッドに毛布を探しに行ってしまう。彼に言われたことは、医師としても同意できる。下心がなければだが。

 問題は寝間着に使えるような服がここにはないことだ。下着姿で寝るしかない。

 ――体調が良ければ、最後に抱かれてもいいんだけどね。

 そう思いつつ、ライラは胸元の紐を緩め始めた。コルセットをつけていなければワンピースは脱ぐには早い。するっと床に滑り落ちたワンピースはそのままに、ライラは毛布に潜って胸元まで引き上げる。邪魔なメガネは脇にある小さな丸テーブルに置いた。

 既成事実はあるとしても、さすがに下着姿を見せるわけにはいかない。たとえそれが色気がない体つきでもだ。

 ごそごそと布の擦れる音がして、バーンズが戻ってきた。優しく毛布が掛けられる。追加で二枚かけられたが、寒気は収まらない。体も顔も震え、カチカチと歯が鳴ってしまう。

 ――医師が風邪とか、笑えないね、まったく。

 ライラは自嘲気味にため息を付いた。風邪と断定できないが症状から導き出されるのは風邪だ。そして治す方法は、ひたすら寝るだけ。コトリネも一時的に痛みを緩和する作用しかない。

「まだ寒いですか?」

「そう、だね」

 心配してくるバーンズに答えるも言葉が震えてしまっている。ぺたと額にふれれば、明らかに熱いことが分かる。

「……ちょっと失礼します」

 バーンズが毛布を持ち上げ、その身体を入れ込んできた。

「ちょ」

 ライラは起き上がって抗議する元気もなく、仕方なしにバーンズに背を向けた。彼はライラの背にぴたりと体を密着させ、腕をお腹に回してきた。

「水に落ちて身体が冷えた時なんかは、こうして温めるんです」

 バーンズの腕の力が少しだけ増した。ぎゅっと抱き寄せるわけではなく、かといって緩いわけでもない。ライラの体が離れないようにする程度の力の入れ方だ。

「……確かに、冷えてしまった体を、人肌で温める方法はあるけど、なにもバーンズ君に、やってもらうことでも、ない」

「そんな辛そうなライラさんを見てられません。手弱女を手荒に扱って押したおすつもりもありません。僕がいて寝にくいとは思いますが、今日はもう休んでください。後のことは僕が片づけますから」

 背後から、バーンズが労わるように優しく語りかけた。背中に感じる彼の肉質と温かみがじんわりとライラに染みてくる。寒気がするからではなく、バーンズから確かなぬくもりを感じ、ライラはもぞもぞと向きを変えた。さらにもぞもぞと手を動かし、バーンズの体をまさぐる。

「そんなこと言って、ここは元気そうだけど」

「想いを寄せる女性と肌を合わせていれば、当然です。ライラさんが元気であれば、我慢できなくて僕は押し倒しちゃってるでしょう」

「ホントかねぇ」

 バーンズの硬い胸板にこつんと額を当てれば、彼の腕が背中に回され体を引き寄せられた。全身で感じる彼の体温にライラは安堵の息を吐き、バーンズに身をゆだねた。

「色々説明したいことはあるんですが、まずはライラさんの体調を戻しましょう。もう、問題は掌握しましたから。大丈夫です」

 ゆっくりと背中をさすりライラを安心させようとしているのだろう。優しく紡ぐバーンズの声は、ライラの耳に心地よく入ってくる。寒気はするものの、ライラの胸は温かくなった。

 ――まぁ、こんな抱かれ方も、いいかも。

 疲労と安らぎの微睡に、ライラはゆっくりと瞼を閉じた。

 翌朝、出勤してきたケイシーが掃除をしようと診察室の奥へ入った瞬間両手で口を覆い、声なき悲鳴を上げた。

 バーンの腕の中にすっぽりと納まっているライラを見て、彼女はにんまりとした。そしてふたりを起こさぬよう、そろりそろりと部屋を後にしたのだった。

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