第十四話 転ばぬ先の固い指

 孤児院を後にしたライラとバーンズは、レゲンダの中心にある砦に向かって歩いていた。これから薬商人の店に行くのだ。

「正直、先手を打たれましたね。彼らは着実に住民の支持を固いものにしている。彼らなしではレゲンダをうまく運営できなくするつもりです」

 バーンズが苦い顔になるが、それはライラも一緒だった。いま軍部の闇を暴くことは、レゲンダにとって良い結果を生まない。このことがライラの頭を占めつつあった。

「それに……」

 バーンズが遠慮がちにライラを見た。ライラと視線が合わさると、彼は下を向いた。

「……あれはミューズの冗談だろうね」

「僕にはそう思えませんでした」

 バーンズの顔に陰がさす。ライラはそれを見ないように視線を逃がした。

「ライラさんを後妻にって、アレ、本気だと思いますよ」

 バーンズの声がライラの心を抉る。突然の提案だったが、一瞬でも心が動いてしまったのは、ライラにとっても意外だった。

 それほどまでにやせ我慢をしていたのだろうか、と自問する。

 だが頭を振ってその思考を追い出した。

「あたしにはそうは思えないんだけど」

「男のあの目は、本気の目です。僕、思いっきり警戒されてますしね」

「それは君が麻薬捜査に来ているからだろ?」

「男としても、だと思います」

 バーンズの青い瞳が熱を孕んでライラに向けられていた。ドキリとしてしまい、ふいっと顔をそむけてしまう。

「負けられないですね。色々と」

 バーンズの決意の声も、ライラの耳からは逃げ出していた。


 王都からの商隊に用事があるとバーンズが言うのでライラもくっついて行くことになった。バーンズは薬問屋の場所を知らないのだから仕方ない。

 人気も一段落したのだろう、二台の馬車の周りは閑散としていた。レゲンダには珍しいといって物を買い続けるほど財力がある人間は少ないし、そのような人種は商隊から買わずとも自ら王都に出向くものだ。

 その馬車で暇そうにふねをこいでいる若者に、バーンズは近づいていた。

「こんにちは」

「うわぁぁ!」

 バーンズが朗らかに声をかけると、その若い男は大げさともとれるほど体を跳ねさせた。驚きの目で周囲を見渡す彼の視界にバーンズが入ったのだろうか、彼は肩を落とし「脅かさないでいただけますか」と頭をかいている。

「ちょっと大至急揃えてほしいものがあってね」

「へぇ、なんなりと」

 バーンズと若い男がこそこそと話している様子を、ライラは少し離れたところから眺めていた。近くの建物の壁に背を預け、すっとポケットに手を入れる。持ってきた煙管と草を取り出し、火皿にぎゅっと詰め込んだ。そういえば火が、と思った時、脇から熱せられた鉄の棒が差し出された。

「火をどうぞ」

 にこやかにほほ笑む妙齢の男性が火種の鉄の棒を差し出していた。眉を寄せ訝しむライラを見て、彼は慌てて口を開く。

「あ、俺はあの商隊のひとりでして、旦那様が火種を持って行ってあげてと仰るので、その、あの」

 彼は身の潔白を証明するかのように馬車を指差した。その先のバーンズがにっこり笑顔を向けていた事で、彼の疑惑は晴らされた。

 ただ彼の言う〝旦那様〟の定義が気になったライラは、表情を曇らせたままだ。

「美男美女のご夫婦は、羨ましい限りです」

「……いや、夫婦じゃないし」

 ライラは俯きながら火種を草に押し付けた。火皿は下に向けないと煙は外に逃げてしまうのだ。ライラが軽く吸い上げると、草がふわっと赤くなる。

 口に煙管を咥えたまま、隙間から煙を吐き出す。揺蕩う煙がライラの頬をかすめて流れていった。

「……カッコいいですね」

「男前に見えるかい?」

「いえ、姉御肌で惚れてしまいそうです」

 ギラリと鋭くなったライラの目を見て、男は額に汗を浮かべた。彼が禁句を知らないのは無理もない。

「あたしは男前に見られるのが嫌いでね」

「……申し訳ないです」

 棘のある声色に、男は恐縮からか首を縮める。だが否定をしないことに、ライラはむっとした。

「オッとライラさん、あまり彼を責めないでやってください」

 バーンズが小走りで駆けてくる。ライラは煙管を口から外し、自身を落ち着かせるようにゆっくり長く煙を吐いた。

「別に苛めちゃないさ。ただを申してただけさ。それよりも用事は済んだのかい?」

「えぇ、おかげさまで。手配を頼めました」

 ライラの機嫌が悪いのを察知したのか天然なのか、バーンズは優しげな笑みを浮かべる。ちょっとささくれ立ったライラには効果があったようで、胸がほんわりと温かくなった。


 ライラとバーンズは商隊から離れ、夕方に傾きつつあるレゲンダの大通り歩いている。行き交う人も様々で、夕餉用の買い物をする女性も目立つ。かつては自分もそうであった、とライラは彼女たちを見ていた。

 ひとり身が寂しくはない、と強がるつもりはないが、再婚しようという気にはなれなかった。それはギリアムへの操というよりは、贖罪に近いものだった。

 彼が妻であるライラの治療を受けることなく冥府へ旅立ってしまった事が、決して抜けない棘となって心の奥深くに刺さっているのだ。

 自分が幸せになることは許されることじゃない。先に死んでしまったギリアムに申し訳が立たないじゃないか。

 子を抱くこともなく、抱かせることもできなかったライラの闇はいつ晴れるともわからない。

 いつの間にかライラの視線は地面へと吸い込まれていた。

「ちょっと急ぎましょう」

 バーンズの声と共に、ライラの右手が握られた。大きく、皮膚も硬く、がっしりとしたバーンズの指が、ライラの指に絡められていく。

 ゆるゆると顔を揚げたライラの瞳には、にっこりと笑う白馬の王子様が映っていた。

「早くしないと暗くなっちゃいそうです」

 バーンズはそういうと、ライラの右手をぐっと引っ張った。とととっとたたらを踏みながらもライラは歩調を合わせる。

「別に手を繋がれなくっても、はぐれやしないさ」

「ライラさんが辛そうな顔をしていました」

 バーンズはまっすぐ前を向き、狭い道の人の合間をすり抜けていく。繋がれた手はふたりをひとつの生き物にし、蛇のようにうねうねと進んでいく。

 言葉はないが、バーンズの固い手からは温かい何かが流れ込んでくる気がして、ライラはしょげた気分が少し上向きになるのを感じた。

 ――なにか察して慰めてくれてるのかね。

 金髪から覗く彼の横顔を見て、ちょっとだけ、頼もしく思った。

 端正な顔のバーンズが闊歩すれば女性はたいてい振り向く。それは今も例外ではない。

 非難と羨望の視線が飛ばされるが、今のライラにはちっとも刺さらない。繋がれている手から、なんだか安心できる物質がじわじわと浸透してきて、それが体のあちこちに伝搬して安堵を全身で感じ取っていたのだ。

 ――まぁ、たまには悪くないね。こういうのも。

 ライラは連れ去られるままに、無言で足を動かしていた。自分の頬がゆるんでいることにも気が付かず。


 レゲンダの、ちょうどライラの家とは真逆に、薬問屋の店はあった。レゲンダの中心地である砦からは離れているが、街への入り口に近いここは、採取してきた薬草を運ぶ距離を短くできる。

 売るには不便だがそもそも買い手が少ないレゲンダでは、どこに店があっても同じだ。ならば倉庫も兼ねた店舗は薬草を短距離で運び入れることができる立地こそ優先された。

 木造二階建てで、周囲の家よりもがっしりとした佇まいに、そこが民家ではないことがはっきりわかる。薬草を示す草が描かれた看板を壁に張り付けたその建物は、周囲から浮き上がっているが、それも店舗ならば納得だった。

「へぇ、草の看板なんですね」

「まぁ、薬と言ってもその多くは薬草が原料だもの。鉱物とか動物の骨、内臓も使用するみたいだけどね」

「博識ですね」

「全部受け売りだけどさ」

 感心するバーンズに、ライラは苦笑いで返す。いま言ったことはすべてこの薬商人から教わったことだ。

 医師とて薬を作っているわけではない。専門の商人から仕入れていて、レゲンダではここが唯一の薬商人だ。

「さて、中に入ろうかと思うんだけど」

 そういってライラは右手を持ち上げた。その手はいまだバーンズの左手としっかりと繋がっている。彼が離してくれないのだ。

「このままじゃだめですかね」

「だめだろ」

 ライラはにべもなく断じた。

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