第十二話 白衣の姉御の決めたこと

 太陽が水平線から顔を覗かせ、レゲンダに朝を告げる鳥の声が鳴り響く。

 朝が奏でる騒音を聞きながら、ライラは近所にある酒場に向かっていた。まだ起きたばかりで支度途中のレゲンダは人通りも少ない。

 密集しているライラの住んでいる地区はまだ朝餉の真っ最中で、人影もまばらだ。

 そんな涼しくもいい匂いが漂う空気の中、ライラは早足で歩いている。

 ――今日はふたり分か。

 ふたり分の朝食を買うなど、ギリアムが死んでからはなかった。浮かれているわけでもなく、かといって沈んでいるわけでもない。ライラは不思議な感覚に包まれていた。

 徹夜をしていたらしいバーンズはとりあえずライラのベッドに寝かせた。泣くだけ泣いたライラを宥めていたバーンズが睡眠不足でフラフラだったのもあるが、大事な話をしていないからだ。

 ――うんと言うまでは帰さない。

 ライラはぐっと歯を噛みしめた。

 頼りないかもしれない女の武器を使ってでも、バーンズの頭を縦に振らせるつもりだった。


 酒場で無事に朝食用のパンと肉詰めをふたり分買ったライラは、女将に怪しまれながらも風のように帰宅した。

 混み始めた狭い路地を早足ですり抜けて行くライラを見てくる住民も多いが、その行動を気にする者はいなかった。

 入口の扉の鍵を開け、するりと体を潜り込ませたライラは、一目散に寝室へと向かった。

「まぁ、呑気に寝てるねぇ」

 バーンズが逃げやしないかと心配したライラだが、そんなことは杞憂に終わった。麗しの騎士様は穏やかな寝息を立てていた。

 これはこれで警戒心がなさすぎると思うライラだ。

「泣くだけ泣いたら腹減った。先に食べちゃおう」

 ライラは勝手場に移動し、湯を沸かし始めた。スープなどあるはずもなく、作る材料もない。おまけに調理をしないライラの家には調味料の類もない。

 せめてもお茶でもとがさごそと探していると、あくびをしているバーンズが顔を覗かせた。音で起こしてしまったらしい。

「おはようございます」

「あー、ごめん。起こしちゃったみたいで」

「あ、いえ」

 ライラが苦笑いを浮かべるとバーンズはすまなそうに頭をかいた。寝癖がついてしまって角のようになった金髪がなんとも言えない雰囲気を放っており、ライラはぷっと噴出してしまう。

 機嫌がよくなっているライラを不思議に思っているのだろう、バーンズが微妙に笑った。

「パンと肉詰めを買ってきたから、朝食にしようかね」

 ライラは買ってきたパンを持ち上げた。


 古ぼけたテーブルにはパンと肉詰めを載せた木のプレートが二枚。横には茶が湯気を揺蕩たゆたせている。

 ふたりは向かい合って座っており、バーンズは俯き、ライラはそれを見てまた苦笑いになっていた。

 昨晩のことを考えれば様相は真逆だ。

 バーンズは泣きじゃくっていたライラに対しての負い目で項垂れているのだろう。それほどまでにライラは泣いた。

 ライラは今までため込んでいたものを解き放ったことですっきりしていた。なんだか申し訳ないと感じるライラだが、実際はバーンズが悪いのだ。

「バーンズ君。食べる前に、ちょっといいかな?」

 ライラの声に弾かれるようにバーンズが顔をあげた。端正な顔に慚愧の色を滲ませ、ライラから視線をそらしている。

 そんな彼を見たライラは、王子様がもったいない、と小さくため息をついた。

「昨晩の事について、条件がある」

 沈黙を破るライラの切り出しに、バーンズの碧い瞳がくるっと向きを変えた。まっすぐに見つめるライラと視線が交差する。

 ハッと息をのみそうになったが、意識を持っていかれないようにした。ライラは緊張からごくりと唾を呑みこみ、口を開いた。

「あたしの要求はひとつだ。問題が解決しても、診療の補助を続けること」

「……殿下に相談して、必ずそのように取り計らっていただきます」

 一瞬だけ間をおいて、バーンズが答えた。ライラは値踏みするようにじっと彼を見据えた。 

 これは冗談ではなく、本気なんだと知らしめるために。これは譲れない一線なのだ。

 ライラの迫力を感じたのか、バーンズが居住まいを正し、背筋を伸ばした。顔も昨晩の凍るほどの真剣さを放っている。

 彼の本気の具合に、ライラは少し安心した。

「それさえ叶えてもらえれば、あたしが望むものはないよ」

 ライラが優しく微笑んだ。

 バーンズがこの約束をきちんと守るかは未知数だが、それを監視する役割が自分にあるのだと、ライラは思っている。

 彼が追っている悪魔の薬が見つかり、軍が関係していたとして何かの罰が下れば、加担していた兵士が首になるかもしれない。

 家族がいれば、彼を恨むだろう。加担していたライラにもその憎しみは向くだろう。

 だが、このレゲンダを統治守り抜くにはある程度の兵力は必要なはずだ。首になってもいずれ兵士として採用しなければならなくなるだろう、とライラは思っている。

 この件で責任を問われるのは軍の上層部であるミューズたちだ。バーンズの話が確かであれば、彼れらは反逆罪なりで王都に連れて行かれるだろう。

 さすがにライラも彼らをかばう気にはなれない。断罪はされなければならない、とライラでも思う。

 あとはライラの処遇だろう。

 軍医として一応は軍属である身分であるライラは裏切り行為を働いたことになる。問題解決に協力したとはいえ、何らかの処罰が下される可能性はある。

 ライラは自らの信条としてこの問題を放っておくことができない。自分で選択した結末は、甘んじて受けねばらないのは世の常だろう。

 夢の中でギリアムに会い、泣くだけ泣いてライラは吹っ切れた。

 当たって砕けろ。砕けたらギリアムが拾ってくれる。それが背中を押した。

 ライラは自らの信条に忠実に生きることに決めただけだ。

 そんな悟りの笑みに、バーンズは口を半開けにし、惚けた顔を見せていた。

「……バーンズ君、お口から盗賊が入っちゃいそうだぞ?」

 ライラの注意に、バーンズがハッと目を開いた。明らかに動揺している顔で立ち上がり、そのままライラの前に跪いた。

 今度は驚く番になったライラの手を取り、バーンズが凛とした顔で見上げてくる。

 その碧い瞳には一切の濁りはなく、真っ直ぐな意思を孕んだ視線がライラに届けられる。バーンズはそのまま微動だにせず、ふたりはじっと見つめ合っていた。

「僕は、ライラさんを守りたい」

 息を忘れるほど視線を絡ませ合った後、バーンズが呟いた。、

 碧い瞳に見つめられたライラだが、心中は凪のように穏やかだった。二度目だからではなく、もはや狼狽える必要もなくなったほど気持ちが座ってしまったのだ。

 どうなってもいいや、というやけっぱちがないとは言えないが、ライラはにっこりと穏やかな笑みをバーンズに向けた。

「ま、よろしく頼むよ」

 ライラはふんわりとした笑顔を軽い気持ちで答えた。

 謹厳きんげんな顔のバーンズはライラの手を口もとに引き寄せ、その掌に強く唇を押し当てた。

 彼の「命の続く限り、貴女をお守り致します」という囁きは、ライラの耳には入らなかった。

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