第23話 清風邸の会談
喪服すがたの女性こと出口梅と名乗る人物は、茶碗を手に取るとそれを数口飲んだ。懐紙で拭き取り、畳におく。彼女も動作に無駄がない。手慣れたものだ。
左目が義眼の男は、無造作に茶碗をもつと、それを一気に飲み干した。
「なかなかうまいものだ」
ぼそりと低い声で言った。
「すまんな、なにせ大陸での生活がながかったもので。無作法は許してほしい」
「なに、かまいませんわ」
厚化粧の主人は答えた。
化粧の下は絶世の美男子といってもいいほど秀麗であったが、ぬりたくったおしろいのせいで、表情がまったく読めなかった。
「それで、ご用件のほうは……わたくしは善悪かかわらず、お客様はもてなす方針なのであしからず」
屋敷の主人時昌は言った。
「そうですね。百聞は一見にしかずともうします。まずは、こちらをご覧下さい」
梅はそう言い、指をパチンと鳴らした。
世界が一変した。
警報が鳴り響いている。耳がいたいほどだ。
轟音が空を支配していた。
何か黒い物体が雨あられと降っている。
それらが地上にぶつかるとあらゆる建物を破壊し、燃やしていく。
驚いたことに川ですら燃えていた。
瓦礫の下敷きになって死ぬ人。
爆風で吹き飛び死ぬ人。
水でも消えない火で焼け死ぬ人。
街は焼かれ、死が大量生産されていく。
時昌は空を見た。
「ここは、幽界か。夢渡りの術か」
彼なりの分析である。
これは梅が見せている夢である。
しかし、ここまで現実的な夢を他人にみせるとは、かなりの術者とみてまちがいない。
炎の熱さ、ものが焼ける匂い。すべてが本物として感じられた。
空には無数の鉄の船が浮遊していた。
飛行機とよばれるものであろうが、時昌が知るものよりはるかに巨大であった。
科学知識には疎いかれであったが、それがこの大正の時代のものでないということは、理解できた。陸軍内でも屈指の秀才小野寺なら、何か分かるかもしれないが。
炎に焼かれた人がたまらず川に飛び込むが、その炎は水の中でも燃え続けた。川の中で燃え死ぬという奇妙な現象がおきていた。
「これがこの国のそう遠くない未来の姿です」
悲しそうな声で梅は言った。その大きな瞳は涙で潤んでいた。
「何度見ても凄まじいものだ」
地面のこげた石ころを蹴りながら、北一輝は言った。義眼に炎が不気味に反射していた。
「資本主義のいきつく結末だ。富を奪いあい、負けたものの末路がこれであろう。おそらくこの国は西欧列強と覇権争いをし、敗北したのだ。世界戦争のさらに上をいく戦争がおこなわれれば、敗戦国はこのようになるだろう」
そう言い、北一輝は胸ポケットからタバコをとりだした。舞い散る火の粉で火をつける。ふうっと紫煙を吐き出した。
「私は未来予知というのは信じない。だが、確率的にこのような未来は充分あり得ると思われる」
と北一輝は言った。
「私の計算では、現在の国家体制をとるかぎり、このような未来は避けられない。ならば、どうするのか。革命が必要なのである」
そう言い、北一輝は煙草を火の海に投げ捨てた。煙草は一瞬にして燃えつきた。
「だからヨリシロの二人が必要なのです。彼らには、新しい王を産んでもらわなければいけないのです。新しき王の治世こそ、このような未来をさける唯一の方法なのです。故に彼らを我らのもとに渡していただきたい」
梅は言った。その言葉は熱をおびている。酔っているといってもいいかもしれない。
「それで私に弟子や友人を裏切り、あなた方に協力せよと」
笑いを含みながら、時昌は言った。
「それはできません」
と時昌は吐き捨てる。
「臨兵闘者皆陣列在前」
九字の呪法を唱え、複雑な手印を結んでいく。
空間がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
バリバリとガラスにひびが入るように空間が割れていく。
クェーという甲高い奇声をあげ、黒い翼のカラスが空間をこじ開け、侵入してきた。
カゲオウである。
その雄美な翼を広げ、空を駆ける。
彼が駆ける度に空間がひび割れ、砕かれていく。
ガラスの破片が飛び散るように世界は崩れ、闇だけが広がっていく。
時昌は目を閉じた。
次に開けたとき、もとの茶室に戻っていた。
変わったところといえば、時昌の肩にカゲオウが身を休めていることである。
「交渉は決裂というわけか」
北一輝は言った。
「どれだけ可能性がたかくともあなた方がしめした未来は、可能性のひとつにすぎません。それだけのために私は大事なものを捨てることはできません」
美しい笑みを浮かべながら、時昌は言った。
「未来よりも現在をとるというわけですね。もっと大義をとられるかただと思っていましたが、残念でなりません」
出口梅は言った。
「かいかぶりですよ、私は存外、俗物なのです」
時昌は答えた。
「かしこまりました。我らは一度、引きましょう。次に会うのは戦場とこころえてくどさい」
梅はそう言い、北一輝とともに茶室を出た。
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