琥珀伝 序

ikaru_sakae

第1話

コハク語り


 おれの名はコハクいう。ほんとは漢字があるのだが、むずかしい漢字だから、何度みてもおれは忘れる。名前はコハクなのだが、おれはまだほんもののコハクを見たことがない。それは宝玉みたいなもので、あわくすきとおる茶色のきれいな石だとルリが言っていたから、たぶんそうなのだろう。ところでおれの毛の色は茶色だ。だからそこのところだけはすこし、ほんもののコハクと似たのかもしれない。


 年は十四。しかしほんとうに十四かは知らない。おれは拾い子だ。つまり捨てられたのだ。おれを拾ったイナリさまがおまえは今年で十四だというから、たぶんそうなのだろう。おれは数は苦手だし、むかしを覚えるのも苦手だ。でもイナリさまは数は得意だしむかしのことは何でも覚えている。だからイナリさまがおまえは十四だというならおれはきっと十四なのだ。


 さいしょに言っておくと、おれはニンゲンではない。キツネだ。しかしただのキツネではない。ヨウコだ。ヨウコという漢字もむずかしいから、おれは見て覚えてもまたすぐわすれてしまう。


 ヨウコはヨウカイの一種で、ふつうのキツネよりはずっとえらくてかしこい。体もずっと大きい。おれはヨウコの中ではアタマは悪いほうで、力の強さはルリよりも少し強くて、ルリの姉のヒスイよりは弱く、クロガネとくらべても少し弱い。おれたちの上に立つイナリさまはいちばん強くてアタマもすごくよいから、おれとはくらべることもできない。


 イナリさまはキヨの都をみおろすシチジョウ山というところにいる。山の上に、ものすごいゴテンがあるそうだ。ゴテンというのは城みたいなものなのだが、城よりももっときれいな場所らしい。おれはまだ一度もゴテンに行ったことがない。


 そのシチジョウ山のゴテンからだいぶ北に行ってそのあと東に行ったところに、オーミというおおきな国がある。そこにはサカモト城という城がある。アケチマンシューというトノサマがそこに住んでいるのだが、イナリさまは、さいきんその男のことがキライになった。なんでもその男はだんだんイナリさまの言うことをきかなくなって、好き勝手にカネをもうけたり兵をふやしたりして、ことあるごとにイナリさまに逆らうのだそうだ。


 だからイナリさまは、このまえの四月、ミノの国のトヨオミヒヨシデという別のトノサマに命じて、オーミの国を攻めさせた。ミノとオーミはセキガハラという広い原っぱで何か月もはげしく戦っていたが、とうとうミノが勝って、アケチマンシューは負けて西に逃げもどった。ミノはそのままオーミの国じゅうを攻めて、行く先々で勝って勝って勝ちまくった。


 さいごに残ったのがサカモト城だ。サカモト城はミノの兵に囲まれて、それでも何か月もまだ負けずに戦っている。アケチマンシューというトノサマはとてもしぶとくて、なかなか負けないのだそうだ。だからおれとクロガネが、サカモトまで行くことになった。


 おれとクロガネは、夜の山の中を走って走って走った。クロガネは強いが、足はおれよりだいぶ遅い。おれはクロガネより何里も先までいって、クロガネが息をきらせておいついてくるのを笑いながら待っていた。おいつくと、また全力で走ってクロガネをおいていく。そのうちクロガネはとうとうおこって、おいコハク、てめえ、ちょっとは大人をたてろよと言っておれのアタマをたたいた。たてるとは何だ? と言ったら、ソンケイして大事にするってことだよと言う。ではソンケイとは何だ? ときくと、もういい、アタマのわるいガキと話してたら日が暮れちまう。もう暮れているぞ、今はもう夜だぞといったら、バカやろ! んなことはどうだっていいんだ、とっとと走ってひとりでジゴクにでも行っちまえと怒鳴った。おれは笑って、ジゴクはいやだから先にサカモトまで行っていると言って、またずっとずっと先までかけていった。


 夜明けまえに、サカモトについた。サカモト城は町を見下ろす山の上にあった。山のふもとを、ミノの軍勢がびっしりと囲んでいる。となりの山の上からそれを見ると、黒い虫のむれのように見えた。


「見ろよ、あんだけ数がいてまだらちがあかねーんだ。ったくニンゲンってのはほんとに弱くてしょうもねーイキモノだよなあ」


とクロガネが言った。おれもそう思った。あれだけ数がいるのに、どうしてアケチマンシューの首がとれないのだろう。とても不思議だ。


 二ンゲンのハダはとてもやわくて弱くて、ちょっとひっかくとすぐ血が出て死んでしまう。ニンゲンたちは、木や鉄でできたヨロイというもので肌をつつんで血が出ないようにしているのだが、そのヨロイというものも、じつはたいして強くない。おれたちヨウコがちょっとかむと、すぐにやぶれてけっきょく血が出てしまう。だからニンゲンたちは、ヨウコがとてもこわいらしい。おれたちヨウコはむだにニンゲンをこわがらせないように、いつもはニンゲンのすがたをしてニンゲンをだましている。ほんとうに戦いで必要なときしか、ヨウコの姿にはならないのだ。


 だから今日も、おれもクロガネもニンゲンのオサムライのかっこうをしてここにきた。オサムライというのは兵と同じ意味だそうだが、おれは何となく兵よりもオサムライのほうが強くてかっこいい感じがするから好きだ。


 ミノ軍の陣につくと、そこの兵たちがだれだおまえたちは、とっとと帰れといってさわいだ。クロガネがもってきた書状を出すと、兵のひとりがあやしみながらそれをうけとって奥にひっこんだ。そのあとだいぶまたされた。まっているあいだに夜が明けてきた。雪がふっていた。おれは寒いのはなんでもないのだが、ミノの兵たちは寒いのがダメらしくみんな火のそばにあつまって寒そうにしている。どの兵も身なりはきたなくて、顔もよごれていて、とても弱そうだった。なるほど、これだとアケチマンシューの首をとれないのもしかたないかもしれない。


やっと陣の中に入れたときはすっかり夜が明けていた。陣のまん中に、何人かのブショウがあつまっている。ブショウというのはふつうの兵よりも少しえらく、トノサマよりは少しえらくないのだと前にクロガネがおしえてくれた。


「遠くよりごくろうである、わが軍のためにぞんぶんに働いてほしい」


と、そこのブショウが言った。べつにわが軍のためじゃなくてイナリさまに言われてきたのだから、これはおかしな話だ。でもそれを言おうとするとクロガネはおれのあたまをたたいて、ばかやろう、言われた通りハイハイって言っとけばいいんだ。ここのブショウの顔をつぶすようなことがあればおまえイナリさまにオーメダマをくうぞ、という。オーメダマってなんだときいたら、すごくおこることだと言う。


 おれはクロガネがおこるのはこわくないが、イナリさまがおこるのはこわい。だからおれは、ここのブショウが言うことはハイハイとぜんぶきくことにした。ブショウはへんなヒゲをはやして、背は高くなくて、やっぱりとても弱そうだった。ニンゲンというのは妙なイキモノだ。どうしてこんな弱そうな大人をトノサマの次のえらいブショウに選ぶのだろうか。おれにはどうもよくわからない。


 日がだいぶ高くなったころ、あちこちでタイコがなって、兵たちがわああああっとさけびながら城のほうにはしりはじめた。


「ゼングンシンゲキじゃ、ゼングンシンゲキじゃあああ!!」


 ブショウが大声でそればかりどなっている。意味はおれにはよくわからなかったが、とりあえず戦がはじまることはわかった。


「さ、行くぜ」


 そう言ってクロガネがおれの尻にけりを入れた。けられなくてもおれは行くのだが、クロガネは何かあるとすぐおれをける。おれはけられるのはあまり好きではない。


 兵たちはわあわあ大声でわめいているわりに足は遅く、ぜんぜん前に進まない。おれとクロガネは兵たちの肩や頭を足場にしてぽんぽんぽんと前線までとんで出た。前線では城の壁をのぼるのに兵たちはとても苦労していた。おれとクロガネはひょいとひとつとんで、城の小屋根の上にのぼった。そしたら兵たちが見上げて、何じゃあやつらは? ばけものか? といってさわぎはじめた。おれとクロガネは小屋根の上を走って走って、それからもうひとつとんで、それからまた走って、城の五階の窓のところまでやってきた。


 クロガネが窓をけやぶった。おれはクロガネにつづいて城の中に入った。アケチの兵はおれたちを見てひどくあわてていた。何人かが槍をもって突いてきたからおれは槍をぜんぶ片手ではらって三歩ふみこんで両手で打ったら兵たちは壁までとんで倒れた。血を流して痛がってる兵、足を折ってうめいている兵。これだからニンゲンは弱くていけない。ちょっとふれただけですぐにケガをする。だからいつもニンゲンと戦をするのは退屈でしょうがない。おもしろくない。


「おいはやくこいよ、なにしてるんだ?」


 カイダンの上からクロガネがよぶ。せまいカイダンのいちばんてっぺんにのぼると、そこがどうやらトノサマの部屋みたいだった。黒いヨロイをきた少しは強そうなオサムライが五人と、赤いヨロイをきた強そうなオサムライがひとりいた。


「アケチマンシュー、だよな?」


 クロガネがきくと、いかにもわたしがアケチマンシューであると赤いオサムライが言った。わるいが首はもらうぜとクロガネが言う。なにを言いおるかと黒いオサムライたちがカタナをかまえる。やめよ、とアケチマンシューが言うと黒のオサムライたちはすぐにやめた。なるほど、やはりトノサマというのはえらいのだなとおれはすこし感心した。


「たのむ、奥にいる女こどもは見逃してくれ」


と、アケチマンシューが言った。そいつは約束できねえなとクロガネが笑った。たのむ、とアケチマンシューはまた言う。


「わしの首ならいくらでももっていけ。城も町もすべてやろう。だが、女たちは、助けてやってくれ。罪のない者たちだ。武士のなさけだ。どうかこれだけは約束してくれ」


 クロガネは少し居心地わるそうにアタマをかいて、わるいんだが、おれにはそれはきめられねー、とりあえず姫をころせといわれてるんで、姫はころす。あとの女やなんかは知らねーからてきとうに逃がせや、と言った。


 それからクロガネはおれを見て、じゃ、やるか、といった。やろう、とおれは言った。クロガネが前にとぶと、そこに立つ黒のオサムライがみんなはじけとんだ。赤のヨロイをつけたアケチマンシューも、なにか言う暇もなく死んだ。クロガネがちょっと牙を出してかむと、かんたんにその首がもげた。首のない体が、床の上でまだしばらく動いていた。


 


 クロガネが奥のとびらをけやぶる。続いておれも奥の間に入った。奥にはニンゲンの女たちがいた。十人ぐらいいた。ニンゲンの子供もいた。五人か六人。コドモはみんな泣いている。女たちも泣いている。


 まいったな、とクロガネは言った。


「ほんとに女とガキばかりじゃねえか。で、サクヤ姫ってゆーのはどの女だ?」


クロガネがきくと、いちばん向こうにいた女が立って、


「サクヤはあたしだ」


と言った。その女は、自分から前に進み出た。両手で槍をかまえている。女たちの中にいて、その女はひとりだけ泣いていない。


「わるいがあんた死ぬぜ。あんたに恨みはねーが、命令なんでな」


 かまわずクロガネが前に進む。そうしたらその女は答えて、


「そうかんたんにあたしは死なない。ミノのだれだか知らなけど、アケチの女がどれくらい強いか、その目をひんむいてよく見ろ。さあ、どこからでもこい。あたしは一歩もにげない」


まわりの女たちが「ひめ」「なんてことを」「むしろあやまりなさいっ」などとさわいているが、その女は動じない。黒くて強い目で、まっすぐクロガネをにらみつけた。


「ほぉ、なかなか言うじゃねえか」


 クロガネは面白がっている。おれもちょっと面白かった。なかなか勇気のあるヒトだ。もうすぐ死ぬのだが、だが、死ぬ前のニンゲンにしてはなかなかよい。とても度胸がある。そしてあらためて見ると、その女は、とてもきれいな顔をしていた。まっすぐで形のよいまゆ、心の強さをそのまま見せている真っ黒い目。その目を見ていると、とつぜんおれの心はさわいだ。


なんだろうか、この気持ちは? 


 背はあまり高くなくておれとたいしてかわらない。年はたぶん十五かそれくらいだろう。髪の毛はヒメというわりには短くて子どもみたいにさっぱりしている。着ているモノも、ヒメらしいヒラヒラの服ではなくて、キラキラして上等そうではあるが、そでの短いかんたんな着物をざっくり着ている。そして短いそでからはみでた、ほそくてきれいな腕二本。


「まあなんだっていいんだが、とりあえずおれとしては、あんたが死ねばそれでいい」


 クロガネが間合いをつめた。


「おれたちはそれで帰る。残りの女こどもは、まあどうだっていい。生きるなり死ぬなり、ま、てきとーに選べや。死ぬのがいやなら、このあとミノの兵が大勢くる前になんとか外に逃げる知恵をしぼれよってことだな。んじゃ、とりあえず姫のあんたは死ね」


 そのあとおれの心におこったことは、あとからなんど考えてもとても不思議なことだ。おれの心のまんなかに、ぽっかり光るきれいな玉がおりてきて、ぴかぴかと光りはじめた。外からきた玉が心の中で光るなんてことは初めてだったし、おれはとてもおどろいた。そしてまたおどろいたことに、その玉がおれの心の中でしゃべるのだ。


 まもれ。


 


 光る玉は、そう言った。それは男の声で、とても強いけれどやさしくて、とてもえらい感じがした。イナリさまの声も強くてえらい感じがするのだが、いまの声はそれよりももっと、きーんとあおい秋の空みたいにくもりがなかった。だからおれは思わずその声にききほれた。もっとなにかしゃべってほしいと思った。


 


 あのヒトを、まもれ。


 


 光の玉は、また言った。あのヒトをまもるとはどういうことだ、とおれはきいた。あのヒトとはサクヤ姫だ、と光は言う。もしかしてそれはあの女なのかとおれは言ったら、そうだ、と言った。


 おれは心の中でこまった。あれを殺せとイナリさまから言われました。でもあなたは、まもれと言う。どちらの言うことをきけばいいのか。どちらがいいのですか。そしてあなたはだれですか。えらいヒトですか。


 イナリさまのこわい顔が、一瞬ちらっと心のすみにうかんだ。でも、それはすぐきえて、かわりに、光が、さっきよりも強くひかりはじめた。その光はとてもきれいでまぶしくてあたたかくて、その光にてらされると心がとても落ちついた。それはイナリさまみたいにこわくはなくて、なにかで失敗してもおれをぶったり叩いたりしないだろう。その光は強いけれどとてもやさしくて、いつもいい香りがして、やわらかくて、おれがバカでしっぱいしても、けしておこったりけったりなぐったりしないと思う。それは秋のすすきの野原みたいにまっすぐに見晴らしがよくて、どこまで遠くまでかけてかけて行ってもずっとずっとまだ先まで続いていて、いつもふさふさと風にゆれてそばにいて笑っているだろう。そこはいつも良い風がふいてとても気持ちが良いだろう。それは秋のすみきった風なのだ。


 そんな気持ちが、むくむくとうかんできておれの心の中はいっぱいになった。おれは思わず泣きそうになって、だからおれは思いきりとんで、そのヒトの前に立った。


「おいコハク、なんだ、どうした? それはなんのつもりだ?」


 クロガネが変な顔をしておれをみた。


「だめだぞクロガネ。まもらないとだめだ」


「ああ?」


「だから、ころすのはだめだ。おれはこのヒトを、まもる」


クロガネはちょっとだまって、それから、


「おいどうしたコハクよ、どっかでアタマうったか? 悪いものでも食ったか?」


 おれは首をふって、


「まもるのだ、クロガネ。ころすのは、良くない。このヒトを、おれは、まもるのだ」


おれはすぐうしろのそのヒトの腕をつかみ、ひきよせ、肩の上にかついだ。


「おいこら、なにするんだっ!」


 そのヒトが槍をふってあばれたが、おれは気にしない。二歩で壁まで行っておもいきり壁をけった。しかし壁は堅くてこわれなかったから、おれはそのまま横に走って窓をけやぶり、そのヒトをかかえたままぶわっと大屋根にとびおりた。


「おいおまえっ はなせ! なにするんだ、おい、きいてるのか!」


 おれの耳もとでそのヒトがどなる。


「おれは、はなさないのだ」


おれは言う。


「耳がいたいからしばらくだまれ。そうじゃないとおまえ、舌をかむぞ?」


「なに? なんだって?」


「だまれと言ったのだ」


 おれはそれ以上相手をしないでとにかく走った。大屋根の上は雪がつもってとてもすべりやすかった。おれは履物をぬいではだしになってでででででっと屋根の上をふんでふんでふんで、それからこんどは思いきりとんだ。


「おいおまえ! ばかなことを――」


「ばかではないぞ。見ろ」


 足の下に、城のまわりの堀と、堀のそばに立つ兵たちが見えた。兵たちはぽかんとした顔でおれたちを見ている。そいつらをぜんぶとびこえてから、だんっ、と地面におりた。肩にのせた女がすこし重かったが、なんとか落とさずにふんばる。


「ななな、なんだこれはっ。バケモノかおまえ?? って、おいおまえ、もういいかげんおろせっ。はなせよほらっ」


 女が肩の上でじたばたと動いた。おれは力をだいぶかげんして女の尻を叩いた。


「いでっ て、おま、おまえ、なにする――」


「だまらないともっと叩くぞ? ヨウコが本気を出したらもっと痛いのだぞ?」


「お、おまえなー、うら若き女の尻を叩くとか、それは本気でサイテーだぞ?」


「ならばもう少しオンナらしくおとなしくしているのだ」


 ばしばしばし!


「って! いたいって。やめ、やめろってば。わかったわかったわかった! だまるからさ、いたっ、あいた! 本気でサイテーだおまえ!」


 くせものだぞっ、


 まわりの兵らがさわぎはじめた。おれは牙をむいて、来るなっ! とどなった。とたんにそいつらはおびえた顔をしてうしろに下がった。そいつらをおれははもう気にせずに、雪の地面をかけてかけて、目の前におおぜい兵の集まっている陣のようなものがあるからそれもぜんぶひとまたぎにとびこえて、びゅんびゅんと風をきって走った。雪風がひょうひょうと音をたてて耳のそばを走る。

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