第355話 平和が苦手

 わたくしちょっと、ほのぼのとしたものに慣れないこの頃です。

 妹の家に行ってきたんだけれど、子供たちは空き地で遊んでて、事件と言えばそのお友達の一人が転んで擦りむいたくらい。

 あと、お隣さんからバナナ一本もらって、みんなでわけるためにバナナジュースにした。


 幼いころに戻った気がした。

 暇で退屈でなんにもすることがない。

 だから、なにかする。


 自分で思いたったことなので、自分だけの思い出になる。

 そんな下積みがわたくしにはあまりにも苦痛です。

 アリの行列を追いかけて過ごした日曜日を思い出します。


 特別でもなんでもない、そんな日常がどれほど贅沢だったかと思います。

 その贅沢は、もう味わってきたからいいのです。

 今はのんびりする暇すら苦痛に感じるほど、しなくてはならないこと、することに追われています。


 たまの休日には思う様寝る、この充実感。

 それをうち壊すような平穏な日々は、まるで別世界のようで、いかに自分が疲れていたかを思い出し哀しくなります。

 がんばります! と毎日のように言うから苦しくなってきちゃったんだけれど、じゃあやめればいいじゃん! と思うことが実質できないということは、それはオーバーワークというのです。


 心のゆとりもなく、飼い猫にすねまくられるほど、ネットに没頭するのも、ある意味不幸せです。

 飼い猫は、生きている。

 死にむかって、時はすすんでいるのに、わたくしだけ時がとまったように、文字に向かっているのはある意味罪ではないのか。


 妹の生み出した幸せは、彼女のものであって、わたくしの入りこむ余地などない、それを思い知るからという見方もできることはできますが、ただ体質に合わないということもできるし、わたくしが今一番したいことってなんなんだ、と悩むことそれがとても嫌なんだということ。

 したいことというのは、できることから選ぶべきもので、新たな選択肢など考えもつかない、狭い自分に驚きます。

 陽の光さす空き地は広々として、健康的で、幸せそのもの。

 ああ、平凡ってつらい。


 耐えられないの。

 わたくしは何かに心動かされたい性質で、それを抑制する何者かが常に存在するので戦ってきた。

 心の中でね。


 ここでは、自分の心を動かすのは自分自身だから、なんにもしない自分と向き合うことになり、大変つまらない。

 つまらない人間である。

 しかし、それも許容されている。


 つまらない人間でも、生きていていいのだ。

 踏みにじられたり痛めつけられたりしないのだ。

 なんて、自由なのだ、平和って。


 不自由に慣れ、ネガティブな思いを昇華するために祈りの句を心に紡ぐ、そんなギリギリでなくたっていいのだ。

 のんびりしても、怒られないのだ。

 流れる雲をただ眺めて、うれしがってもいいのだ。


 子供のようでいいのだ。

 それはとてもうれしい発見なのだけれども、まだ慣れない。

 日常は不平不満で満ちている。


 人がいればモヤモヤする。

 そういったことが一切ない世界というのを初めて見た気がする。

 平和は偉大過ぎて、なにを考えればよいのかがわからない。


 なにを解決にむけて頑張ればよいのかわからない。

 がんばったりしなくていい世界というのは、居心地が悪く、物足りない。

 ワーカホリックか……。






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