混乱と決断
シルビアは一人になった部屋で、本を読むどころではなく、混乱していた。
原因は、半日も前のことだ。
*
「…………………………え?」
「その反応では、理解出来ているか甚だ疑問なのでもう一度言うが、色々考えた結果アルバートとの結婚が有力となっている」
同じことを、二度目、王太子は言ったのだとは分かる。
けれど、聞き取れることと、理解できることは違うのだ。
でも、言われたことが何だと理解している部分があるからこそ、シルビアの頭は真っ白になっていた。
「お前をアウグラウンドの人間だったとし、この国の高位貴族と結婚させる。アルバートが選ばれたのは……地位もそうだがすでに事情を知っていることなど、まあ、諸々だ」
諸々で、済まされる問題、だろうか。
「私との結婚の話含め、これまでで、現状これが『最善案』だろうな」
「……最善……? 何が……ですか」
「色々だ。例えば、お前をアウグラウンドの者とすれば、アウグラウンドとの和やかな関係築いていくことを示すことができる。お前の利点で言えば、兄を兄だと接し、呼ぶことができる。公的にその存在だとなるわけだからな」
兄を、出入りが制限されているここではなくとも、兄と呼ぶことができる。たしかにシルビアの利点だ。
「後は兄と慕う男の幸せを邪魔したくはないし、何よりお前という存在が知れ渡る事態は出来る限り避けたい。私の隣は、可能性を上げてしまう席だ」
私は戦はどんな理由であれ嫌いなのでな、と王太子は言う。
「お前の正体が知られるようなことがあれば、各国がお前を求めて、この国は数々の争いに見舞われるだろう。誤解するな、これまで散々言ってきておいて何だが、お前がここにいるせいではない。他国にいれば、それこそ我々は腹の探り合いと警戒、ときにご機嫌伺いをしなければならないからな。この国にいてもらうことが一番だ」
そういった事情があって、王太子は、シルビアが嫌いなのではないだろうか。思考の端がそう呟いた。
「お前は、私がかつての『伝説』を行うつもりだと思っていたか?」
「……分かりません、でした」
「そうか。母はそう夢見ているようだが、私は全くする気がない。私は伝説に惹かれない。他の国とわざわざ混乱を起こすようなことをする気はなく、ただこの一国を平穏に治めていきたい。ゆえに、私には『お前』が必要ではない」
状況が違えば、必要ないとはかなり衝撃的なことを言われているのかもしれないが、シルビアは別の事での衝撃が頭を揺さぶられていて、何とも思わなかった。
「だが、野放しには出来ない。お前をこの国に繋ぎ止めておかなければならない。そこで、アウグラウンドの内部が綺麗になったこの機会に新たに出来た案がさっき言ったことだ。──ああ、だがもう一つ選択肢があると言えばあるぞ」
「何、ですか」
「はは、食いつくか」
なぜか愉快そうに、王太子はわらった。
それから、もう一つを教えてくれる。
「結婚を望まないなら、一生結婚せず、騎士団の剣として騎士団に所属し続けることだ。騎士団に籍を置いてもらう。こちらはアウグラウンドの者だとはしない選択肢だ。色々な面から言って、どちらかと言えば『軽く』なるため、何か措置が加わるだろうが、もう一つの選択肢として与えておこう」
「騎士団に所属……」
シルビアは、「もう一つの選択肢」を唱える。
「以上、お前の選択肢は二つ。私の話も終わりだ。これからはただの一騎士団の一員なり、次期公爵夫人としてなり、普通に暮らしてくれ」
「え、あの、だから、それは──」
「では私は忙しいのでな。どちらにするかは、自分でなり、『二人で』なり考えるといい。そのうち、アルバートをここにやる」
王太子は説明したことは説明したとばかりに、去っていった。
*
立て続けの訪問者がいなくなり、シルビアは読書にも、食事にも、お茶にも手が伸びず、じっと床を見つめて考えていた。
アルバートと、結婚。
一番ほど遠い心地にさえなった人と、結婚。元から結婚というものに現実味がないのに、もっと現実感がない。
あり得ない。あっては、ならない、のではないだろうか。
それなら、道は一つ。
「シルビア」
弾かれたように顔を上げると。
兄がいた。
「──兄様」
驚き見上げるばかりのシルビアの側に、近くにあった椅子を寄せ、兄は座る。
「側にいてやれなくてすまない」
「いいえ。兄様にはお役目があります」
シルビアのところばかりにいるわけにはいかない。
「兄様、お役目はよろしいのですか?」
「大丈夫。時間が出来た」
それで、と前回は忙しなくここを後にした兄は、「グレイル殿下から、話を聞いたか」と言った。
どの話かは明白だろう。兄は、シルビアの今後についての話を聞いていたのだ。
「…………はい」
「考えられたか」
二つの選択肢を示された。
そのどちらにするか。
シルビアは混乱しながらも、考え、そして選んだ。頷き、答える。
「私は、騎士団にいようと思います」
「アルバートとの結婚は、気が進まないか」
違う。それは違う、と思った。
そうではない、のだ。
シルビアは首を横に振る。
ではどうしてだ、というように兄が首をかしげたから、シルビアは理由を口にする。
「……アルバートさんは、アルバートさんの良い人と結婚するべきです。私が、その邪魔をするのは嫌です」
王太子との結婚の話は、もうほぼ決定事項のように道が一本だけ真っ直ぐ用意されていた。そこを歩くだけだと、背を押され、シルビアも受け入れた。受け入れる以外の選択はなかったからだ。そうすることが正しかった。
けれど、今、二つの選択肢がある。それならば、シルビアは彼との結婚でない方を選ぶべきだ。
「アルバートの邪魔は嫌、か」
シルビアの理由を復唱した兄は、「それならば」と再びシルビアに問いを向ける。
「シルビア自身はどうなんだ」
と。
「……私、自身……?」
「邪魔が嫌なのは、アルバートのことを考えた結果だろう。君が、君自身のことを考えた結果は? 結婚によって想像できるもの全てを除いて、シルビアのことが聞きたい。シルビアは、アルバートと結婚するのは嫌か」
他の誰かがどう思うかは除いて、シルビアが。
シルビアは、喉が、奥から苦しくなった。嫌なんて思わない。けれど、その理由を、この兄にさえ言うことは駄目だと、言葉が詰まっている。
「……兄様……私は、」
兄は、優しい眼差しでシルビアを促した。
「──私は、アルバートさんのことが、」
好き、なのだと、初めて誰かに明かしたそれは、シルビアの心臓を苦しくした。
どうして、感情は、自分の思う通りになってくれないのだろう。恐怖のみならず、この感情までも。
自分で消してしまえたらいいのにと思うと、自分の勝手なのに、胸がもっと苦しくなっていくようで。
結婚の話に、嬉しさは生まれていなかった。
結婚とは、好きな人とするものだと、養父母を見ていてそう思っていた。けれどそうではない場合もあると知ったこともあった。
そしてアルバートとは『兄妹』だから、結婚の未来はないと悟りながらも、望んだかと言えば望んだことはなかったのだ。
どこまでいっても、報われはしない想いだ。
今結婚の話が出ても、シルビアはアルバートのことが好きだけれど……
「ですが、アルバートさんが、そう望んでくれるはずがありません。私とアルバートさんは、『妹』で『兄』でした」
アルバートが望むはずがない。
アルバートが強制なんてされてほしくない。
だからシルビアは、その道を見ない。
「それはどうだろうな」
そんな言葉が聞こえて、視線を上げた。気がつかず、兄から視線を逸らしていたようだった。
兄は、変わらない眼差しでシルビアを見ていた。
「シルビア、君がその感情を得ていることを私は嬉しく思う。けれど、君が『そのはずはない』と思ってしまうことは悲しい」
兄の手が、シルビアを撫でる。
「私が君を愛しているように……この言葉は苦手だったか。だが、事実だ。君のことがこの世で一番大切だ。私がこうして、君のことを妹として愛しているように、君を純粋に愛する者はいる。君を愛する者が存在することは何もおかしいことではない」
「そのはずがない」と頭から思い込んでしまうことはないのだと兄は教えるように語った。
「ですが」
「うん。ここでの問題はアルバートのことだな。私が思うに──『妹』であったはずのシルビアは、『兄』であったはずのアルバートを好きになったのだろう? 恋、という意味で」
シルビアは、小さく頷いた。そうだな、と兄が頷き返す。
「そうならば、その逆があっても何もおかしくない」
「逆……?」
逆、とは。
「私は君に幸せになってほしい。だが、私自身で幸せにすることはもう難しいところに来た。君を国から出した。それは私の手が及ばない話が広がることも意味していた」
水色の瞳に、わずかに寂しそうなものが過った。けれどわずかで、瞬きをすると、消えていた。
兄は、シルビアに微笑みかける。シルビアの髪に指を通すように、頭を撫でる。
「この状況の中、君が幸せを感じる道があるのなら。私は、その道を敷いてやりたい。──だが」
ゆっくりとした瞬きを境に、兄の目がシルビアから離れた。
「敷かなくとも、出来るべき道は自然に出来るもののようだ」
「兄様……?」
彼の目が向けられたのは、扉の方だった。
「覚悟が出来たらしい」
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