心の叫び
白光が視界を染め、音が轟き建物ごと揺さぶり、空気を震わせた。
目映い光を前にしても、シルビアは視界を失わず、その隙に足を前に。
アルバートが近くにいる。あれは人を傷つけるものではない。ただ離したかった。
二人が離れ、出来た距離に飛び込んだ。
白い光が失せたとき、シルビアはアルバートの前に立ち、前方の男と向き合っていた。
「──シルビア」
視界を取り戻し、前にいる姿を認めただろうアルバートが背後からシルビアを呼んだ。
「何、してる。下がってろ」
「いいえ」
シルビアは振り向かず、拒否した。
「シルビア」
動こうとしないシルビアに、状況ゆえにアルバートが強めの声を出した。
シルビアの肩に手がかけられ、さすがに振り向くことになる。
振り向くと、アルバートが「下がっていろ」と言う。その顔にはやはり傷があって、血が流れている。それだけではなく、衣服はところどころ切り裂かれ、もしかすると見えないだけで怪我も負っているのかもしれない。
それなのに、シルビアを下がらせて自分が戦おうとする。
シルビアは、もう、彼にそうして欲しくない。彼にそうさせたくない。戦わせるべきではない。
「いいえ、下がりません」
「シルビア」
「アルバートさん」
ここで折れてしまってはいけない。負けじと、シルビアは強く、彼の名前を呼んだ。
「私は大丈夫です。これは、自分でやるべきことだと思うのです」
以前の夜、『彼ら』の一人がジルベルスタイン家にやって来たとき。シルビアを庇って対峙してくれていたのは、アルバートだ。
もう、自分の代わりに彼を戦わせない。シルビアが立ち向かうべきときに、彼に戦わせない。
「何を、している?」
その声は、一時的に目を離している方からした。
シルビアが瞬時にそちらに向き直ると、少し離れた位置に男がいる。
呆然としたものが混ざった声と、目がシルビアに向けられている。アルバートを庇うように、男に対する形で立っているシルビアに。
「……」
シルビアは、その問いには答えなかった。いや、口が思ったより動きにくかったことが原因か。
「部屋にいなければ。この場は君には相応しくない。部屋に、戻るんだ」
「──嫌」
口が動いてくれた。嫌だ、と率直な言葉が飛んでいった。
「私は、あの部屋には、もう戻りたくありません」
次あの部屋に戻って、良いことなんて一つもないだろう。むしろ悪いことしか起きないはずだ。予感ではない、きっと事実だ。
短い一言を返しただけなのに、言うことも途切れ途切れで、言い終わったシルビアの息は少し乱れていた。
話せるようになっても、彼らの前では長い間話さなかった。さっき話すと、状況は悪い方へしか変化しなかった。それらの積み重なった感覚が邪魔をして、口が上手く動かず、息が苦しい。
負けるな。話すのだ。大人しくしていても悪いことしか起こらない。ならば、その状態自体を打破してしまうしかない。
「──こんなことがあってはならない」
否定される。今のシルビアの行為全てを、また、否定される。
「あってはならない。嫌だと? ああ……」
男は憂いる様子で、片手で顔を覆った。耐えるように、手に力が入ったことが見ていて分かった。
「本当に、酷いな」
手が、顔から外れる。
その目が、露になる。
「どれほどこの女神を汚してくれた」
目は、シルビアを見ていなかった。シルビアの後ろ、アルバートを見ている。声も言葉もアルバートに向けられている。
殺意が宿る目と、同じ感情が乗り、地を這うほど低い声だ。
全て、アルバートに向けられている。
「──違う」
違う。違う。全部違う。
その目に見られることは怖い。でも、今、どうしてアルバートに矛を向ける。
シルビアが否定しているのに。シルビアが話しているのに。
そして、その言葉も違う。
「私は──私は……!」
全部否定しないのはシルビアの方だった。
そう言われることは、今我慢ならなかった。
シルビアが大きな声を出すと、男の視線が戻ってくる。
それに負けないように。声が消えてしまうことがないように、シルビアは力の限り声を出す。
「私は汚されてなんかいない!」
何を示して、汚されていると言うのか。
シルビアの変化全てを示して言っているのか。それならば、それは──
「私は知っただけ! たくさんのことを教えてもらっただけ! ──あの部屋にいたときには知ることの出来なかったことを、知っ──」
「黙れ!」
シルビアの声を上回る大きさの怒声に遮られた。
不覚にも、怒声が纏う迫力に圧され、シルビアの声が喉に引っ掛かってしまう。
そんなシルビアに、男は怒りを霧散させ、「もう喋ってくれるな」と和らいだ声で言った。
「全てを元通りにしよう」
微笑みかけさえして、男は剣を軽く振った。
「さあ、私の女神。せめてそこを退いてくれ」
「……いいえ。近づかないでください」
「君は退いているんだ」
「もうやめてください」
「元通りにすれば分かる。だからそのために、せめて今そこを──退いていろ」
冷たい目だった。拒否することを決して許さない目だ。
その目は、シルビアから離れ、後ろに向く。
「お前、出てこい。彼女を盾にするつもりか?」
「──いいえ!」
何ということを言うのか。
万が一にも彼が出ていってしまわないように、アルバートの服を掴み、シルビアは叫ぶように言う。
話が通じないと思った。
どれほど心から言おうと、否定され、この男は自分の考えに話を戻す。
この人は、どうしてもシルビアを自分の描く『女神』の像に当てはめたがる。そうでなければ、気が済まない。
けれど、もうその言葉に大人しく黙り、従わない。
こうまでしたなら、もう戻れない。もう戻らない。戻ってたまるものか。
シルビアは指で、前を指し示し、息を吸い、声を発する。
「『ベルギウス神に告ぐ』」
理解出来ないほどに、シルビアに責を負わせず、シルビア以外のものに責任を課し、刃を向けたがる人。シルビアが何か言えば言うほど、その刃が鋭くなっていく。
もう、たくさんだ。
そんな風に力を振りかざし、力の上にふんぞり返るのなら──無くしてしまおう。
「『彼の者にその力は、相応しくない』」
白い光が瞬いた。
その場にいた人は、シルビア以外目を瞑ってしまっただろうが、シルビアはまた視界をはっきりと保ったままだった。
光は男から生じたもので、力の塊の光は男から出てきて。
消える。
光が出てきて消えたのは、まさに瞬きのように一瞬。
一瞬後には、光はどこにもなく、後には体の見た目には何も変わっていない人と場だけ。
ただし、男の手からは神通力の剣が失われていた。そして、男は自身の変化を一番感じているだろう。
「力が」
男は、自身を見下ろした。剣のなくなった手を見て、もう片方の手も見た。
だが、二度とその手から剣が形作られることはない。
「何を、まさか、力を──」
男は、それを成したのが誰だと察した。
シルビアを捉えた目は、信じられないものを見る目付きでシルビアを凝視する。
「なぜだ」
シルビアはその問いに答えられなかった。
自分がしたことに、自分でもまだ処理できていなかった。自分でやろうと思ったことではあった。後悔はしていない。
でも、尋常ではない目に見られ、よく分からない心地になった。
後悔していない。彼は力があればあるほど悪いことにしか使わないとしか思えなかった。シルビアが傷つけてほしくないものを傷つけていく力の使い方でもあった。そして事実、傷つけた。
その目と、目を合わせたくない。見ないでほしい。染み付いた、過去の感覚が呼び起こされ、身を侵食していくような感覚に襲われる。
男が手を伸ばし、近づいてくる。触れる前に、退きたくなる。
近づかないで。来ないで。もう何もしようとしないで。
力を失わせても駄目なら。
シルビアは手を掲げようと試みる。
あと一言、口にすれば終わる。
あと一度、力を使えば。
でも、この力で『そう』すれば、越えてはいけない線を越える気がして、手は震え、息は乱れるばかりだった。
「シルビア、もういい」
震える手を、包むように掴まれた。
ぎこちなく振り向くと、アルバートがいる。
「殺すな。殺さなくていい」
シルビアを覗き込む灰色の目と、すっと耳に入ってきた声が、シルビアを落ち着けた。
手の震えが収まり、呼吸が落ち着く。
アルバートの目を見つめ返して、頷きを返し、シルビアは前方に向き直った。
男の目をしっかりと見返すと、男の足が止まった。
その間に、
「『眠りなさい』」
ただ一言。
シルビアが言うと、男の目から意識がふっと失われ、その場に倒れた。
重い音を立て倒れた姿をしばらく動きやしないかと見ていたが、動き出すことはなかった。
それでもじっと見下ろし続けていたシルビアは、体を引き寄せられた。
頬が何かにぶつかり、気がつくと正面から抱きしめられていた。アルバートだった。
背には彼の腕が回り、シルビアをしっかりと抱きしめる。
「──まずいな、汚れる」
十数秒ほどの短い時間で、そんな呟きが聞こえて体が離される予感がして、シルビアは手でぎゅっとアルバートにしがみついた。
「シルビア?」
悲しくて、情けなかった。アルバートに怪我をさせてしまったことも、何もかもが。
そのくせ、アルバートに何と言えばいいのか言葉が出てこなかった。すみません、ありがとうございます。
声が詰まってしまって、しがみつくように抱きしめ返した。そして、せめてこれだけは先にと、ある怪我全てが治るようにと思いながら神通力を流す。
「俺の怪我なんて、大したものじゃないから大丈夫だ」
シルビアは首を横に振る。
「アルバートさん、怪我をさせてしまって、すみません」
シルビアは遅かった。また気がつくことが遅かった。
「シルビア」
背に回っていた腕がなくなった。
そっと、少し体を離され、頬に添えられた手がシルビアの顔をそっと上げさせた。
「させてしまって、じゃない。俺の怪我はシルビアのせいじゃない。本人である俺が言うんだからそうだ。いいな」
「……はい」
「怪我、治してくれてありがとうな」
アルバートは、そう言ってシルビアの頬を撫でてから、またシルビアを引き寄せた。
「よく、立ち向かったな」
シルビアを抱きしめ直し、アルバートは優しい声で言った。
「……アルバートさん」
「何だ」
「来てくださって、ありがとうございます」
返ってきたのは、「ああ」と、いつもの調子の返事だったけれど、とても得難いものに感じられてならなかった。
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