不幸中の幸い
消えないだろうと思っていたアルバートの怒りは、行き場がなくなり、結果的に落ち着いていたようになっていた。
「不可解な出来事に理由が得られたところで、改めて聞きたい。ヴィンス殿下、なぜここに?」
王太子の問いかけに、ヴィンスは地に膝をついた。
「おい、ヴィンス……」
捕らえられている立場ではあるが、進んでそういうことをする身分ではないだろう。
「アルバート、これは当然の姿勢だ。私は過去に無茶を聞いてもらった身だというのに、今、また無茶を言おうとしている」
膝をついたヴィンスは、真っ直ぐに王太子を見据えた。
「こちらの国が戦をしかけておいて、その国の人間がおこがましいとは重々承知。しかし、どうか、妹の奪還に力を貸していただけないだろうか」
「……ふむ。それゆえの、『シルビアの兄』という名乗りだったか。……当然あなた個人の頼みだろう」
ヴィンスは頷いた。
王太子は彼をじっと見て、しばらく黙し、アルバートは待つ。
「その頼みを受けるに当たり、こちらの新たなメリットは。シルビアという存在がこちらに渡る以外に、だ」
何か見返りは?、だ。
単に試しているのか、本気なのか。王太子の表情と雰囲気に、アルバートはどちらとも判断がつかなかった。
新たに利益を求めている場合か、と言いたくはなるが、単純にリスクはあるので当たり前と言える面もある。ただ、こちらとてシルビア奪還を早急にしなければならないと話し合っていたところでもあった。
新たなメリットと言われても、どうするのか。
アルバートがヴィンスの方をちらりと見ると、彼は一つも困った様子は覗かせていなかった。それどころか、淀みなく答える。
「お望みの首を、王であれ取り、差し出すと約束しますが。もちろん、私のものも含めて」
前半にも大概ぎょっとするが、後半は口を挟みたくなる宣言だった。だがぐっと我慢して、アルバートは王太子の対応を待つ。
「自らの国を裏切ると」
「裏切ると言うのなら、とうの昔に裏切ってしまっている」
シルビアを国から内密に出したときに。シルビアを出すことは、国の不利益だっただろう。
しかし、彼にはそんなことは関係ない。
「私にとって妹のこと以上に大事なことはない。シルビアを、同じ環境に戻すことは耐え難い。……元より、こうなっては今度は死ぬ気で彼らを排除する気でいる」
「一人でも?」
「一人でも。ただ、一人であると私が死んだときにシルビアを託せる相手がいないので、目的は達成されない」
王太子の青い目と、ヴィンスの水色の目の視線が交わり、沈黙が十秒、二十秒、三十秒……と続く。
「アルバート、彼の拘束を解けるか」
視線を逸らさずに王太子が話しかけたのは、アルバートだった。
「壊していいのなら、すぐ」
「壊して構わん」
それなら、とアルバートは神通力で剣を出現させ、ヴィンスの手を拘束する枷を切り落とした。
重い音を立て地面に枷が落ち、鎖が一度だけがちゃんと音を立てた。
「グレイル殿下」
「この戦はさっさと終わらせたいのでな。こちらも奪還を考えていたところだ。ただ、あなたの首はいらない。だが然るべき時に差し出すものは差し出してもらおう」
ヴィンスは了承の証に頷き、取引は成立した。
一体何を要求するつもりなのか。要求すること自体は、脅しでもなく、本当だろうと分かった。
「しかし、妹は妹で再会という名の解放を望み、兄も兄で妹の奪還を望む、か」
重い枷から解放されたことで手首を擦っていたヴィンスが、王太子の呟きを拾い上げ顔を上げた。
「……? どういうことでしょう」
王太子が首を傾げる。
「シルビアがここにいたのは、我々が『剣』として強制したためと思っておられるだろうか」
「……そうなのでは……?」
剣を消したアルバートは、とっさに言いかけた言葉を飲み込んだ。この惚けた男に、教えてやらねばならないことがあるらしい。
王太子の視線がこちらを向いていることから、任せてくれるようだ。
「シルビアがこの場にいたのは、シルビア自身の意思でだ。シルビアは騎士団に入った」
「自分から? なぜ」
ヴィンスは心の底から不思議そうで、訝しげだった。
「シルビアが望んだ」
簡潔に言いながらも、アルバートはやりきれない気持ちになった。
なぜ、こうも事態は悪いことばかり重なっていくのだろう。残酷なことになるのだろうか。
「ヴィンス、シルビアの望みが分かるか」
「シルビアの望み……? 彼女が、望みを?」
「ああ」
彼女のたった一つの望み。騎士団に入ることは、その一端にすぎない。
「お前により俺の元に託され、過ごすことになったシルビアが、騎士団に入ると言った理由である望みだ。シルビアは、強くなりたいと言った」
分かれ。分かるはずだ。お前が、先にそれを望んだのだから。
本当に、やりきれない事態になってしまった。
なぜ、このようなことになるのか。
誰より、妹を守ろうとした友。自分の身がどうなろうと、命さえどうなろうと、決して妹を差し出さない覚悟を持っていた。事実、過酷な拷問に遭おうと彼は差し出さなかった。
差し出していたのなら、もっと早くシルビアがこちらの国にいると分かり、託された先であるジルベルスタイン家のことも分かっていたはずだ。
その友が、妹を斬るはめになった。そして、シルビアは再びかの国に連れ戻されてしまった。
今、これを明かしてしまうことは、残酷かもしれないが、知っておいてもらわなければならない。シルビアの覚悟を。
「シルビアが騎士団に入ったのは、いつかお前と再会するときのため。一時的な再会ではなく、隔てられることのない日々を得られるなら、その機会があったとき自分もその役に立ちたいから。……シルビアはおそらく、頭のどこかでは分かっていたんだろう。匿われてずっと明らかにならない日々が続かないことをな。いつかは、アウグラウンドと対峙するときが来るはずだと」
分かれ、ヴィンス。
「お前の生死が分からないと、シルビアが決定的に悟ってしまったことがあった。お前がシルビアの将来を案じたように、シルビアもお前の身を案じていた。……この戦場に立ち戦うと決めた理由の中には、この先にきっと望みがあるからだ。今の環境からの、お前の解放だ」
『妹』の望みと、それゆえの強い目を知っている『兄』があくまで抑えた声で言うと、本当の兄は目を見開いた。
ヴィンスは、手のひらで口元を覆った。「あぁ」と微かな声が聞こえた。彼は、『あの日』彼自身が妹につけた名前を、噛み締めるように呟いた。
「私のことなど気にせず、ただ、健やかでいてくれたら良かったのに。それだけで……私のことなんて、忘れてしまえば……」
本当に、これほどの兄にはなれないと、心底そう思う。この世のどれだけの人間が、そこまで思い、出来るのだろうか。
忘れても良かったと。本当にシルビアが忘れていても、彼は受け入れただろうと思える声音だった。
「ヴィンス」
ヴィンスが顔を上げた。
「これを機会だと捉えろ。今度こそ、今度はお前も自由になる機会だ」
自分の身を案じろと、シルビアにも言ったことのあるそれをこの男にも無性に言いたくなった。兄妹揃って何だ。
自分の身より誰かの身を案じることは結構だが、疎かにし過ぎだ。本当に死んでしまいそうな危うさだ。
「グレイル」
この話は終わり、話を元に戻すために話を振ると、王太子は頷いた。
「ヴィンス殿下、今、シルビアはどこに」
「……城へ」
「城へ? そちらの陣にはいない?」
「ええ」
「……ちなみにだが、あなたの兄弟たちは」
「全員シルビアと共に」
「全員?」
王太子が大きく瞬き、不意討ちでも食らった様子になったが、アルバートも気持ち的には同様だった。
「ヴィンス、本当か」
「本当だ」
「この場の決着をつけずにか」
「シルビアを手に入れたからな」
簡単に言ってくれるが、全員この場を放り出して行くのはどうなのだ。
確かに、戦力は元々開きがあり、一人一人が莫大な戦力の塊の彼らがいないなら良い勝負が出来そうだが。
「全員。それも、シルビアもか。これは中々……」
戦としては大助かり。
しかし、シルビア奪還の目的地はアウグラウンド国内へとなる。それも首都だ。
「アルバート・ジルベルスタイン」
改まって呼ばれ、アルバートは思案を打ちきり、体ごと王太子に向き合う。
「極秘任務を命じる。任務による不在はどうとでも誤魔化すので、心配しないように」
「了解」
「任務内容は『女神』の奪還。この地の戦線を離脱し、アウグラウンドに潜入し、奪還せよ」
「了解。──必ず」
誓って。絶対に。
向かう先がどこであろうと、敵がどれほどいようと、やるべきことは変わらない。やるべきことは、やるべきことだ。
「隊の指揮権は副隊長に委譲するように。部下を連れて行くかは任せよう」
「一人でいい。多いと怪しまれる可能性も高まる。ヴィンスがいるなら、問題ない。そうだな、ヴィンス」
「アルバートが来てくれるのなら、助かることこの上ないが、グレイル殿下本当にアルバートを借りてよろしいのか」
「構わないとも。シルビアが奪還出来ないことこそ、一大事だ。いくら有利な戦況になろうと、最後の最後に投入されては敵わんからな。それに、アルバート一人でどうにかしてくれるなら、ここの戦力も減らずに済むというものだ」
笑う王太子に、ヴィンスは生真面目に礼を述べた。
「礼は全てが上手くいってから。無事に再会したときに受け取らせていただこうか」
「──そうだヴィンス、言っておきたいことがある」
「何だ」
アルバートは、最初ほどではないが、ヴィンスの胸ぐらを掴み引き寄せた。
「……何だ。また私は君が怒るようなことを言ったか」
「少し前にな。いいか、ヴィンス。死ぬ気ではいいが、死ぬのは許さないぞ。シルビアが再会を望んでいることもあるが──」
単純に、
「俺も許さない」
真正面から目を睨むように見て言うと、隻眼が瞬き無しに見返してきてしばらく。
「必ず生き抜くと、約束しよう」
「約束か。こういうときに『誓い』を使えばどうなるんだろうな。冗談だ。信じる」
言いたいことは言った。
アルバートは胸ぐらから手を離した。
「ヴィンスがここからいなくなることについてもどうにかしてくれるな」
「もちろん。メッセンジャー返しをしたとでも通そう。むしろそれで、お前ごと出るか?」
「出るのはこっそり出たい」
「やはりそうだな。分かっている」
「ヴィンス、準備が整うまでここで作戦立てるぞ。いや、その前に俺は隊に適当に言っていくから──ヴィンス、何ぼけっとしてる」
思い立つや、テントの外に出かけながらヴィンスの方を見たのだが。
「……こんな状況で何笑ってるんだ」
彼は、ぼんやりしていたかと思えば、笑みを浮かべはじめた。
「いいや、ただ。本当に、君に会えたのは私の人生の中で二番目の幸運だ」
いつかも聞いた言葉だった。今ので、二回目。二番目の幸運、という微妙なあれだ。どんな基準の番号付けだ。
「それ、前は聞く時間がなかったが、一番は何なんだ」
「一番の幸運?」
微かに分かるくらい、という笑い方をし、ヴィンスはアルバートの背を叩いた。
「言うまでもない。──作戦はある。やるべきことがあるなら、やって来ればいい」
ああ、そうだな、とアルバートは愚問だと自嘲した。この男にとっての一番など、分かりきったことだった。
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