海
第五騎士隊の一員として、シルビアも海賊退治に向かった。
控える事情が事情だけに、休憩は最低限でひたすら馬を駆る。休憩は人間のためと言うより、馬のための休憩だったように思えた。
これほど長時間馬を駆るのは不馴れで、目的地に着いたときにはほっとした。
「首都と比べると、この辺りは季節が進むのが早いというか、ちょっと暑いくらいね」
レイラが手で風を送るような動作をする。国の南部は、季節が進むのが早いと言い表すのは本当のことでもある。
穏やかな春の季節を過ぎると、からっと晴れ、一年で最も暑い季節が徐々にやって来る。首都はそれほど暑くならないが、最も暑くなるのにどこも変わりはない。
この地は、すでにこの先の季節を思わせる気候具合だ。
「船を出すにはいいんだろうけど、晴れすぎっていうくらいよく晴れてるし」
レイラが上を見たのにつられて、シルビアも頭上を見上げると、真っ青な空が広がっている。
雲一つなく、太陽が照り輝く姿が露だ。
青い空に真っ白く輝くまぶしい光源から目を離し、目線真っ直ぐ、右手を見る。
「海とは、広いですね」
右手には、水が広がっていた。
踏み締めることができる大地とは反対に、踏み締める確かな足場のない水が揺れている。青く見える水は、家などの障害物がなけずっと、ずっと先まで広がっている。終わりが見えない。
これが海。
「シルビア、海初めてなの?」
「はい」
広がる大地が水となっただけなのに、こんなにも印象が異なるものなのだ。
「じゃあ船酔いしないようにしないとね」
「船酔い?」
「うん。すごく揺れたりすると、気持ち悪くなったりするんだよ」
いる港には、すでに騎士団の船が四隻用意されていた。
海賊船は徒党を組んでいるらしく、少なくとも二隻同時に目撃されていることから、捕まえるのであればそれ以上の船が必要だ。
着くなり、アルバートはこの地に着いているはずのこちらからの使者に会いに行き、副隊長の指示の元、船の出港準備が進められている。
必要な荷の積み込みは到着前に現地の騎士団により終えられているようだった。
シルビアも船上に上がり、ほぼ出港のときを待つばかり。
船の上の端の方に、佇んでいる白い塊が視界に入った。神官たちだ。
神官は白い外套で身を覆う全身白の格好で、フードをすっぽり被っている。彼らは戦うためではなく、『浄化』のために同行している。
「グレイル、どうしてここまで着いてくる」
「暇だからだ」
手早く会い終えてきたらしいアルバートが船の上に現れていた。
話している隣の人物は、グレイル、と言われた通り、王太子である。近衛隊の制服を身につけ、一見すると騎士団に紛れ込む格好だ。
「ふざけるな」
「冗談だ」
「お前の笑えない冗談は嫌いだ」
「私限定なのか」
王太子が少々大げさに驚いた様子になるが、アルバートの視線に肩をすくめる動作をして、まともに答えることにしたようだ。
「テレスティアと海賊が出くわしてしまったときのための、緩和要員だ。まさかこんなところにまで王太子が出迎えに来るとは感激だろう?」
「それは港まで着いてきた理由だ。港よりあっち、海にまで着いてくる理由にはならない」
「それに関しては視察だ」
「視察?」
「近衛隊にも新人が入ったことだ。騎士団の前線が何と戦っているのか、見る機会などそうない。ここまで来たのなら行くしかないではないか」
「行かない選択肢の方が大きいだろう。そんな見学気分で来ておいて、海に沈めば馬鹿らしいな」
「沈ませないでくれるだろう。お前がいるなら」
それとも簡単に沈ませられるのか?という言葉に、アルバートはため息をつく。
「大人しくしておけよ」
「はっはっは、善処する」
言い含めるのに対し、相手が笑いながら軽い返事をしたから、信用し難い返事だと思ったのだろう。アルバートは渋い表情を滲ませた。
「いや何、社交詰めから一気にこんなに解放されたからといってまさか海に飛び込んだり──」
「グレイル」
鋭く呼ばれ、さすがに王太子が冗談だと発言を撤回する。
アルバートは王太子にはそれ以上言わず、後方にいる近衛隊隊長を振り返る。
「ジェド、絶対に殿下から目を離すなよ」
「分かってるって。何だよ、その目は」
「普段、殿下の執務からの脱走を見過ごしているのはどこの近衛だ」
「あっははぁ、耳が痛い。でも殿下のあれは城の中だからだよ。ですよね、殿下」
「その通り!」
王太子とその近衛隊の隊長の息はぴったりだ。
同じような調子の二人に、一瞬、アルバートが頭でも痛そうな顔をした。
王太子がいるということは、隊長のみならず近衛隊そのものもついてきている。近衛隊隊長の後ろには他の近衛隊員がいて、イオの姿もあった。
彼は近衛隊なのだな、と初めて実感したような心地になる。
「隊長、準備が出来ました」
「よし、行くぞ。今ならまだ周辺にいる可能性がある」
船が出てしばらくすると、港が見えなくなり、周りは海だけとなる。
これで戻れるというのだからすごい。
空を見上げると、鳥が飛んでいた。悠々と一羽で、遥か遠くを行く。
「……」
一時間、海は何の変化もなく、景色に変化があるように見えない時間が過ぎていく。
シルビアが覗き込む双眼鏡の景色も変わらない。海は穏やかで、船の揺れはそれほどないため船酔いなるものにはならないが、飽きるとはこのことだろう。
シルビアの他の人員により、四方に探索の目が光っているはずだが、沈黙の時間が続く。
「シルビア、大丈夫? 疲れてない?」
「はい、大丈夫です」
フードの陰からじっと前を見続けていた目を、わずかにあげる。
レイラが横に並んだ。
「初任務が海で海賊探しからだから……。今朝青タコ漁船が被害にあったからまだこの辺りを彷徨いている可能性はあると言っても、やっぱり今日見つかるとは限らないし、長いかも」
今朝、漁に出ていたという漁船が新たに被害に遭って帰ってきたそうだ。それから言えば領海内をうろうろしている可能性があるかもしれない。
青タコは無事だろうか。食べられてしまっただろうか。漁師達が捕り、彼らの稼ぎになるはずであったろうに……。
「貿易船から奪われた積み荷や、今朝奪われたという青タコはまだ無事でしょうか……」
「どうだろう。積み荷は、日数を挟んだ分もしかすると売り捌かれてる可能性があるかな。表で規制しても、ルールを守らないような裏のルートがあるみたいだから。青タコも売られてるか……ちょっと食べられちゃってるかも」
どうであれ、一刻も早く、必ず海賊を見つけなければならない。新たな被害を出さないためであり、今回は事情が重なっている。
海賊退治とは、運が悪ければ長期間かかるものだという。
海は広い。
陸にいる賊であれば、拠点があるなら拠点を叩けばいい。海賊は、乗る船がある限り拠点は定まらない。
また、海には民家などがなく、出ている人も少なく、襲撃時以外の目撃証言がない状態だ。
一方、テレスティアの船の到着はなんと今日。
港に出迎えに来ているこちらの国の使者に海賊と魔物のことが伝えられても、すでにテレスティアを出発し、海の上であろうあちら方に警告するのは不可能だ。
であれば、可能な限り彼らが来る前に海賊を見つけ、魔物も出れば魔物も退治するしかない。
「見張り、変わるよ」
「いえ、課された仕事はしっかりしようと思います。まだ一時間でもありますし」
「新人の頃の私なら『もう一時間』だと思ったと思うけどな」
レイラはそのまま船の縁にもたれかかり、ここに一緒にいてくれるようだ。
「本当、天気いいなぁ。雨が降り始めるのは嫌だけど、シルビア、日焼けしないようにね。せっかく白い肌なんだからもったいない」
「僕の婚約者にも肌を守ってもらいたいな」
「──ジェド」
双眼鏡を覗く目をやると、王太子についてきている近衛隊隊長がいつかのように「や」と短い挨拶で手を挙げた。
「ジェド、何してるの。殿下の護衛は? あなたの仕事はそれでしょ」
「人員は足りてるよ。おまけに船の上で未だに海賊の影はなし」
言わばほとんどの者が「暇」な現状である。
「ということで、レイラも肌を守ってください」
「うわ、いらないわよ。暑いし」
「だと思って着ないと思って持ってきたんだよ僕は。シルビアちゃんを見習ってくれよ」
「いえ、」
自分は別に日焼けから肌を守ろうと思っているのではなく、いつも……と思ったが、言うのはやめておいた。
大人しく双眼鏡を覗いておく。
側では、騎士団の制服のマントを持ってきた近衛隊隊長とレイラのやり取りが続いている。
「暑いって、直射日光も暑いだろう。あー、ここに来るまでにもちょっと焼けちゃってるじゃないか」
「別にいいじゃない」
「よくないよ。レイラも肌は白いんだから」
「……?」
マントを着るか着ないか。
自らを挟んでの会話を頭上に、という状態のシルビアは視界に引っ掛かりを覚えた。
真っ青で、進んでいるはずなのに進んでいないかのような海の先に、何か。
双眼鏡を握りしめ、目を細め、身を乗り出し気味に「それ」を確かめる。
「シルビア、どうかした?」
レイラがシルビアの様子に気がつき、会話を切った。
シルビアは双眼鏡を通した光景を凝視し続け、辛うじて、引っ掛かりが気のせいでなかったと知る。
「船影が」
「──どこ?」
身を寄せてきたレイラに双眼鏡を渡し、彼女が確かめている間に、「アルバート! 船影!」と近衛隊隊長が大声で教えた。
直後、船上の雰囲気が変わり、アルバートがやって来た。
「来たか。どこだ」
シルビアが方向を示すと、彼は持っている双眼鏡を覗いたが、
「……船だってことは分かるが、海賊船かどうかは見えないな」
「そうですね」
同じく双眼鏡を覗いているレイラが同意する。シルビアも見たから分かるが、船だと辛うじて分かる距離なのだ。
そもそも、海に姿がある時点で船だ。それ以上、貿易船か漁船か、海賊船かという細かな判別がつかない。
アルバートがすぐに双眼鏡を下ろし、眉間に皺を寄せ、裸眼で海の彼方を見る。
灰色の目に、わずかに白銀色の光がちらつく。
そして、十秒後。
「海賊船だな」
と、断定した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。