誤りである
「アルバート!」
執務室で仕事をしていると、けたたましく扉が開かれた。
こんな風に入ってくる馬鹿は、第五騎士隊にはいないし、呼び捨てる者もいない。
しかしその他の人物であれば、心当たりは一人いた。
アルバートは書類から目を上げなかった。
「殿下、お仕事の方はどうされましたか」
「手合わせに付き合ってくれ」
無視するとはいい度胸をしている。
アルバートは目付きを鋭くして、顔を上げた。
部屋の中にずかずかと入ってきているのは、案の定王太子で、頭が痛くなる。
執務はどうした。まさか暇なはずはないだろう。
「殿下、俺は仕事中だ」
「部屋に籠ってばかりいると、腕が鈍るぞ」
「仕事だと言っているだろう」
話を聞かない王太子だ。
アルバートはちらりと机を見下ろす。
仕事の具合は良い。今日は訓練に出られそうだと思っていたところだった。
「いいだろう。予定を前倒しして、付き合ってやる」
「そうこなくてはな!」
短時間でぼこぼこにしてやろう。
アルバートは目を通した書類にサインを記し、立ち上がり、さっさと王太子を部屋から出した。
もちろん、部下に王太子の近辺に知らせをやらせるべく目配せをするのは忘れない。近衛隊はもっとしっかりしてはどうか。それが仕事だろうに。
王太子の逃亡の腕が無駄に成長し続けているということなのか。いらない技術だ。嘆かわしい。
「何だ、ため息か? 悩み相談なら乗ろう。アルバートは悩みを相談出来る者が中々いなさそうだからな」
「お前は俺を何だと思っているんだ」
ため息は目の前の王太子のせいだと言っておいてやった。心外だ、と言われる。どこがだ。今の状況を心当たりにしろと言うのだ。
「しかし正直、今の時期は難儀でな。そう思うだろう?」
「具体的に言え」
「国中の貴族が集まる時期だということだ」
聞かなくても、薄々は分かっていた。
しかし、「そう思うだろう?」と同意を求められても、そうだとは同意しない。
確かにアルバートの家は貴族ということもあり、家でも夜会を開き、他の家からの招待状も届く。無論、アルバートにも。そしてアルバート自身、面倒だと思うこともある。
家でのものはもちろん、付き合いで、最低限参加することになるからだ。
騎士団の日々が大半を占めていると、貴族の付き合いというのは実に面倒くさいと感じる。
だが、そんな感想は抱けど、同意はしてやらない。
義務であり、仕方のないことだと思っているからだ。それなりに大切なことであるとも。
ならば王太子も甘やかすわけにはいくまい。
「目に見えて公務が増えて敵わん」
「仕事なんだから仕方がないだろう」
「そうは言ってもな。こうして息抜きをすることは許してもらいたいものだ」
「仕事から抜け出して来たと、認めたな」
王太子がおっと、と口を手で塞ぐ。
まあいい。相手をしている内にか、早ければその前に迎えが来る。そこまでは休憩を見逃してやろう。
自分はもちろん王太子ではなく、王族でもないが、騎士団にいる自分とは異なる種類の大変さと責任は常にあるだろうとは予想できるからだ。
「今日は何の用だ」
アルバートは、それまでの話の脈略を無視し、促した。
実は、仕事中の突撃で自由に勝手にしている印象が強くなる王太子と言えど、その回数自体は実はそんなにない。いや、そもそも一人で歩き回ること自体があり得ないのだが、今はいい。
この王太子は、本当に部屋にいるのは飽きたとかいう理由で抜け出してくるときもあるが、何か用があって抜け出してくるということもある。
例えば、前にあった、シルビアを見に行った件がそうだ。
今回もその類いだと直感した。
そして、予想通り、王太子はゆっくりと口から手を離した。
「ばれたか」
鋭いな、と笑う。
「見合いの行方はどうなった?」
「……それが本当の用事か」
「いや、どちらも本当の用事だ」
嘘をつくな。どちらかはついでになる。
自分の見合いの行方を聞きにきたことが本当の用事だとは思いたくなかったが、残念ながらそうらしい。
「どこから聞き付けてきた」
「それくらい、自然と耳に入ってくることだ。何しろ、私の従兄弟の一大事だからな。──父上からだ。公爵から話は入れられているのだろう」
父から陛下へ。陛下からこの王太子へ。
それはそれで、アルバートは隠す気もなく、答える。結果はまだ耳に入っていないのか。
「破談だ」
「断ったのか」
「俺が断られた方だ」
「断られた?」
王太子は青い目を丸くした。
「何かしたのか?」
「何も。色々あって、結果的に白紙になっただけだ」
「その色々が気になって仕方がない」
「絶対に探るなよ」
そして言い触らすな。
釘を刺す意味を込めて見れば、王太子は口を閉じた。
しばらく、静かに歩く。いつもこうであればいいのにと思う。そもそも仕事中に突撃してくるな。
しかし、いつまでも王太子が黙っているはずはない。
「アルバート、お前は結婚する気はあったのか?」
何だその質問は、と思った。嫡男で、家を継ぐ立場にあるのだから当然だろう。
うろんな目を向けてやったが、王太子は真剣な顔をしていた。
厄介な、様子をしている。アルバートは、目を前方に戻した。
「俺自身は、誰であれ『相応しい相手』と結婚するつもりだった。究極に言えば、家が円満に回るなら誰でもいい」
「愛する者と結婚したいと思うことはないのか?」
何だその質問は、とまた思った。
「俺はそんなに餓鬼じゃない」
これではニーナのことも含めてしまう言い方になったか。決して彼女のことをそう思っているのではない。
下らない質問をはね除けるために、勢いがついた。
「……ふむ。ジルベルスタイン公爵は確か恋愛結婚だったと思うが」
「それはそれだ。父が惹かれ、母も惹かれた互いが、結婚するにも障害のない家柄だった。それだけの話だ」
母は現在の王の妹で、当時ももちろん王族だった。その母に惹かれたのは、公爵家の跡取りだった父だった。母が降嫁し、結婚するにはちょうどいいくらいだった。
だが、惹かれ、相手も惹かれ、結婚に至れることは可能性的には低いだろう。
結婚相手だということで会ってから愛せるようになるか、愛せることもないか。どちらかが多いはずだ。
「……おい、殿下、歩け」
横を歩いていた王太子が消えた。
事実としては、なぜか彼が歩くことを止め、しかしアルバートは歩き続けていたから、後ろに行っただけだ。
相手をしてやらないぞ、と言いかけて、アルバートは止まった。
王太子は、やはり、真剣な顔をしていた。青い目はいつもは青空のような爽快感があるくせして、今は水面のように静かだった。
その表情と、目に、何かやりきれないようなものが混じっている。
本当に厄介な様子になってきている。
「……幸福になりたいとは、思わないのか」
ぽつりと、呟くような言葉。
アルバートと王太子の間に、ぽつんと落ちた。声音も、明らかにそれまでとは変化した。
「不幸せだと感じなければ、どうだっていい」
アルバートは淡々と答える。
「お前が幸せを感じられる相手は」
「グレイル、お前の考えていることは誤りだ」
それはあってはならないことなのだから。
弟のような存在である王太子が納得出来ない表情をしたことで、自嘲したくなる。
お前は気がつかなくてもいいところに気がつく。どうしようもないことなのだから、放っておけばいいことをわざわざ出してしまう。
非は、アルバートにあるのだろう。
自分とて、叶わぬ恋情に振り回されるほど、若造ではないはずだった。
「俺は、早く結婚するべきなんだろう」
この感情に振り回されるのなら、早く。
弟のような王太子が余計な気を回さなくてもいいように。
決して視線を逸らしたのではないが、横の方を見ると、訓練場が見えた。
そういえば、今は神剣の訓練中か、終わったくらいか。
『妹』が、同じ新人である近衛隊所属の青年と一緒にいるところが見えた。
「殿下、歩け。後三秒以内に歩き出さなければ俺がお前を部屋まで引きずって戻してやる」
脅してやれば、王太子は二秒で足を動かしはじめた。
その考えごと、吹っ飛ばしてやろう。
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